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2007年10月 2日 (火)

修道院運動

七重浜から海岸に沿って、西および南西方向に走っていくと、函館湾の西端を過ぎたあたりが当別(渡島当別)となります。「トーベツ」というのは、アイヌ語で「沼のある川」という意味だそうです。ここにはご存知、トラピスト修道院があります。

市街地と空港に近いトラピスチヌ(女子)修道院と違い、トラピスト(男子)修道院は人里離れ、観光客もあまり多くないようです。何度か行ったことがありますが、丘の上の緑豊かな敷地に建つ修道院は、いつも静かなたたずまいですね。世俗を離れ、ただひたすら祈りと労働に励むには、絶好の環境なのでしょう。

カトリックの信徒により当別の原野が寄進され、1896年に修道院創設。「赤とんぼ」の作詞者・三木露風や男爵いもの開発者・川田龍吉は、この当別の修道院との関わりで、カトリックの洗礼を受けたそうです。

西欧に修道院運動が始まったのは、紀元480年頃、古代ローマ貴族の家に生まれたベネディクトゥスからと言われています。その前にも先駆者がいましたが、ベネディクトゥスは、529年頃にローマの南130キロにあるモンテ・カッシーノに修道院を築き、共同生活のための会則を定めました。

祈りと労働を中心とするベネディクト会のスタイルは、その後、ヨーロッパ各地に広がっていく修道院運動のモデルとなり、中世キリスト教世界を形成するネットワークを築いていきます。修道院は農地を開拓し、農業技術を改良・普及させ、学問と教育そして伝道の拠点となり、人々に避難所を提供しました。ローマ教皇に忠実で、働きに熱心な修道士たちは、カトリック(普遍)教会の権威を西ヨーロッパ全体に及ぼす「神聖な戦士たち」でもあったのです。

ベネディクト会の改革運動の中から出てきたのが、クリュニー会、シトー会、トラピスト会(厳格シトー会)などの新しい修道会でした。12~13世紀には、トラピスト会だけで全ヨーロッパに1,800の修道院があったというのですから、たいへんな数ですね。日本には、男子修道院が当別の他に大分県に、女子修道院は函館の他に栃木、兵庫、佐賀、大分にあるそうです。

宗教改革の中心人物、マルティン・ルターも、もともとは聖アウグスチノ会の修道士でした。教皇よりも聖書の権威が上だと考えた時、彼の教会改革運動は、新しい教派・教団の形成へと導かれていくことになります。

「聖職者」だけでなく、すべての信徒は、祭司として神に仕える者とされている(万人祭司説)と彼が主張したことは、よく知られていますね。それは、修道院の中に限られていた「祈り、働け」という生活スタイルを、修道士だけでなく、世俗の世界に生きる一般のクリスチャンたちにも広げるという意味を持っていたはずです。

とすれば、プロテスタント教会の源流の一つは、修道院運動の中にもあったと言えるかもしれません。そう考えると、トラピスト修道院と、そこで作られているバター、クッキー、バター飴が、前よりも少し身近なものに感じられます(笑)。私たちも、一人ひとりが神様から選ばれた「祭司」として、熱心に祈り、忠実に働いていきたいですね。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(1ペテロ2:9、新改訳第3版)

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