格闘家から「不良牧師」へ
所沢にいた頃、ずいぶん風変わりな伝道者と出会いました。確か最初、メッセージを聞いたのは、市内で開催されたコンサート集会だったでしょうか。音楽の後、さっそうと登場したその伝道者は派手なスーツを着て、過去の悪事を洗いざらい告白し、イエス様はそんな自分をも愛し、救って下さったと力強く語りました。その後、私たちの教会にも、講師として来ていただいたように記憶しています。
彼の名は岡田正之、英語名アーサー・ホーランド。通称「アサホ」と呼ばれています。父親は、朝鮮戦争に参加したアメリカ海兵隊員。母親は、大阪・西成のやんちゃ娘。ダンスホールで出会った二人は、駆け落ちして結婚し、生まれた長男が「アサホ」だったそうです。
父親の影響で柔道を始め、高校時代はマリファナを吸い、売春婦と関係を持ち、ケンカに明け暮れた末、バーの用心棒にも雇われたとのこと。このまま日本にいては大変だと考えた父親は、高校を卒業したアーサーを、アメリカの大学に送り出します。留学しても素行は変わらなかったようですが、格闘技は続け、全米レスリング選手権チャンピオン2回、パンアメリカン大会銀メダル、全米柔道選手権3位という成績を残します。
ある日、アメリカ人女性と結婚した高校時代の柔道の恩師から電話があり、教会に行くことになります。奥様のお父さんが、牧師だったのです。アーサーはそこで、不思議な目をした老人たちと出会いました。「ガンつけ」や勝負の世界をはるかに超えた、深く、広く、高い次元に生きる、輝きをもった澄んだ目だったそうです。強くなることで魅力的になろうと努力していたアーサーは、強烈なインパクトを受けました。
その目が「ジーザス」につながっていることを知ったアーサーは、神様の愛と赦しを信じ、23歳で洗礼を受けます。大学生向けの宣教団体で奉仕した後、日本宣教の志を同じくする米国人女性と結婚し、日本に帰国。そこで始めたのが、新宿駅東口アルタ前の交差点伝道でした。白いスーツに赤いネクタイの奇抜なファッションは、数々のメディアでも注目されることになります。
十字架を担いで日本縦断する「伝道旅行」も、アーサーが発案したようです。その計画に、鈴木啓之さんを含む6名の仲間が集まって来ました。日本列島を北上するうち、各地に元ヤクザのクリスチャンがいることが分かり、それがミッションバラバ結成のきっかけになったとのことです。
40歳を過ぎて、バイクに魅せられたアーサーは、宣教活動の合間を縫って大型二輪免許まで獲得し、ハーレー・ダビッドソンに乗り始めます。バイクを使った伝道を目指し、日本初のクリスチャン・バイカーズクラブ「ザ・ロード・エンジェルス」を立ち上げました。全国をバイクで旅行し、今度はバイク乗りに「ジーザス」を伝えると言います。
バイカーらしく革ジャンを着て、鎖をチャラチャラさせ、刺青をしている格好は、自著のタイトルにある通り、「不良牧師」と呼ばれるのにふさわしいかもしれません。彼の過激な発言のすべてに、諸手を挙げて同意できるわけでもありません。しかし、既成の教会や宣教団体がなかなか関わりをもてない人々のところに自ら飛び込んで行き、なんとかして「ジーザス」の愛を伝えようとしている姿には、何かしら心打たれるものがあります。
大多数の「マジメなクリスチャン」たちから見れば、ずいぶん型破りですが、こうした働きを通しても、神様の愛を知り、生き方が新しく変えられる人たちが増えていってほしいですね。
「律法を持たない人々に対しては、──私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(1コリント9:21-22)
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