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2007年11月 8日 (木)

ドイツ帝国

昨日のブログで、ドイツ皇帝が大沼を訪れたというのは、どうも「ドイツ皇弟」ハインリッヒによる1879年の訪問だったようです。当時のドイツ皇帝は、ヴィルヘルム1世、フリードリヒ3世、ヴィルヘルム2世と続きますから、どう考えてもドイツ皇帝ではなさそうですね。さっそく訂正しておきました。

神聖ローマ帝国がナポレオンによって解体された1806年以降、ドイツではフランスの支配に対抗する民族主義運動が盛んとなり、それがドイツ統一へと動いていきます。「ドイツ帝国」が成立するのは、普仏戦争に勝利した1871年、ヴェルサイユ宮殿で執り行われたヴィルヘルム1世の戴冠式によってでした。「鉄血政策」を打ち出した宰相ビスマルク、そして陸軍参謀総長として天才的な手腕を発揮した大モルトケらが、当時、大いに活躍しています。

祖父と父の死後、第3代ドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世は、複雑な外交術を駆使する老宰相ビスマルクと対立。結局、ビスマルクは辞職するに至ります。その後、ドイツは単純な植民地拡大主義をとり、各国との対立を深め、第1次世界大戦が勃発。敗戦によって帝国が滅ぶのは、1918年のことです。講和条約の場として選ばれたのは、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」でした。その50年ほど前、ドイツ帝国の成立が宣言されたのと、まったく同じ場所にあたります。

ヴェルサイユ条約の過酷な賠償規定は、ドイツ人たちの不満を呼び、ナチスの台頭へとつながります。神聖ローマ帝国、ドイツ帝国に次ぐ「第三帝国」を築くのだというヒトラーらの主張は、当時のドイツ人たちの心に強く響きました。それが第2次大戦への大きなうねりとなっていくわけです。

明治期の日本が、国づくりのモデルとしたのは、このドイツ帝国です。天皇は皇帝、元勲たちは宰相ビスマルクに相当したのでしょうか。陸軍は、ドイツ陸軍にならい、参謀本部を設置しました。(ちなみに、海軍はイギリスがモデルです。)

この仕組みは、元勲たちが生きている間は押さえが利いていたようです。ところが彼らがいなくなると、軍部(特に陸軍の一部)が暴走します。国政における有効なリーダーシップ不在のまま、日本は、第2次大戦へと突入することになりました。

ドイツ皇弟ハインリッヒは、1879年、80年、99年と、3回も大沼(正確に言うと、「蓴菜(じゅんさい)沼」)を訪問しているそうです。そこで私たち夫婦と同じように、「デート」をしたかどうかは不明です。(笑)戦乱や政治的駆け引き(それにマスコミの喧騒?)とは無縁な、ただ美しく、平和な景色に魅せられただけかもしれませんね。

戦いに満ちた世を生きる私たちに対し、創造主なる神様が、人の手によらない、神の手による平和を約束して下さっていることを感謝します。

「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。」(2テサロニケ3:16、新改訳第3版)

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