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2007年11月16日 (金)

ペルシア

所沢に住んでいた頃、人のつながりで、妻はイラン人の家庭にお手伝いに行ったことがあります。まだ長女が、2歳くらいの時でした。ご主人は、かつてパーレビ元国王のスタッフで、1979年のイスラム革命の際に亡命し、日本に来たとのこと。ご主人は無神論のようでしたが、奥様はゾロアスター教だと言います。ゾロアスター教というのは、確か、高校の世界史の授業で習ったような気がしましたが、今でも信徒がいるとは知りませんでした。

紀元前539年、ペルシア王クロス(キュロス大王)は、新バビロニア王国を倒し、メソポタミアの地にアケメネス朝ペルシア帝国を確立します。この帝国は、第3代ダリヨス王(ダレイオス1世)の時代に最盛期を迎え、東はインダス川から西はエーゲ海とエジプトに至る大帝国となります。ゾロアスター教は、このアケメネス朝の時代に広まり、後のササン朝の時代にペルシアの国教とされました。

ペルシアは、アッシリアやバビロニアと異なり、征服した異民族とその信仰に寛容でした。紀元前538年、バビロン捕囚の中にあったイスラエルの民は解放され、祖国帰還の許可が下ります。エレミヤの預言通り、紀元前605年に起きたダニエルらの最初の捕囚から数えて、ほぼ70年が経過していました。

ダリヨスの息子で、ペルシア王位を継いだアハシュエロス王(クセルクセス1世)は、美しい王妃ワシュティとの関係が悪化し、別の王妃を帝国中から捜そうとします。この壮大なビューティー・ペイジェントを勝ち抜き、新たな王妃として選ばれたのは、両親を亡くし、親戚に育てられていた捕囚のユダヤ人エステルでした。

エステルは、ペルシアの宮廷で、ユダヤ人存続のため決定的な役割を果たします。王の側近が、帝国内における全ユダヤ人根絶の陰謀を企てた時、命懸けでその事実を王に伝え、自らの民を大量虐殺から救ったのです。イスラエルでは、今でも毎年2~3月頃、この出来事を記念し、「プリムの祭り」としてお祝いしています。

アケメネス朝ペルシアは、紀元前330年、アレクサンドロス(アレキサンダー)大王に滅ぼされ、その家臣が築いたセレウコス朝シリアは、イランとイスラエル、アナトリア(現トルコ)の地を含む広大な領域を支配。ギリシア風のヘレニズム文化が栄えます。その後、メソポタミアはパルティア王国、そしてササン朝ペルシアが治め、それがイスラム教徒の到来まで続きます。ササン朝の美術品は、シルクロードを経て、古代日本にも伝わったようですね。

ギリシア(マケドニア)人たちの後、新たな統治者としてイスラエルの地を制圧するのは、地中海世界の覇者ローマ帝国です。初代皇帝アウグストゥスの時代に生まれ、2代皇帝ティベリウスの時に十字架につかれたイエス・キリストは、自らの命を懸け、神様の愛を伝えられました。それは、あの王妃エステルが自らの民のため、命を懸けた姿と重なるものがあります。

キリストによる命懸けの愛が、今、私たちに注がれていることを感謝します。

「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(エステル4:16、新改訳第3版)

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