ヴォーリズ
遺愛学院の講堂を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年、米国カンザス州生まれ。両親に伴われ、長老教会に出席し、そこで洗礼を受けたようです。その後、コロラド州デンバーに転居し、コロラド大学に進みます。
(デンバーは、松井稼頭央選手が活躍したコロラド・ロッキーズの本拠地ですね。余談ですが同チームは、キリスト教信仰に基づくチーム作りをしているそうです。)
建築家を目指していたヴォーリズは、大学在学中、カナダ・トロントで開催された学生向けの宣教大会に出席します。これが、彼の人生における大きな転換点となりました。宣教師ハワード・テイラー夫人のメッセージに心を動かされたヴォーリズは、建築家の夢を捨て、海外宣教の道を志すのです。
日露戦争中の1905年1月、ヴォーリズは来日し、近江八幡の公立校で英語を教え、自宅でバイブルクラスを開きました。彼の人柄を慕う多くの生徒が集まり、洗礼を希望したそうです。ところが新年度に仏教に熱心な校長が着任すると、バイブルクラスが問題となり、ヴォーリズは、2年足らずで英語教師を解任されてしまいました。
近江八幡にとどまって伝道を続けたヴォーリズは、活動資金を得るため、同じく海外宣教に重荷をもつ米国人建築家や学校の教え子たちとともに、会社を設立します。建築設計、建材や雑貨輸入を手がけました。メンソレータムも、輸入商品の一つでした。
ヴォーリズは、ミッション系の学校校舎やチャペルの多くを設計し、その数は1600以上にも上ったそうです。代表的な教会建築としては、近江金田教会、京都メソジスト教会、麻布南部坂教会、軽井沢ユニオンチャーチ。教育機関では明治学院大学チャペル、同志社大学や関西学院大学の校舎等があるようです。
ヴォーリズは、音楽にも豊かな才能を発揮し、ピアノやオルガンを演奏し、作詞作曲もしました。同志社大学のカレッジソング「One Purpose」(一つの志)は、ヴォーリズの作詞だそうです。実は、この曲、ある個人的な理由から、私はこの春、口ずさんで歌っていました。(笑)作詞者が誰かまでは、気づきませんでしたね。
この曲はもともと、神聖ローマ帝国滅亡後のドイツ統一運動の中で作られた、「ラインの守り」という軍歌だったそうです。映画「カサブランカ」では、ドイツ人将校たちが歌っているとのこと。その若々しく力強い旋律は、後に米国イェール大学校歌となり、同志社の英語校歌にも採用されたようです。これも、まったく知りませんでした。(笑)
日本人と結婚し、日本国籍を得たヴォーリズは、第二次大戦中も日本に留まり、終戦時にはマッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談を仲介、昭和天皇が戦犯とされないよう尽力したそうです。1964年、83歳で召天。日本国政府より、正五位勲三等、瑞宝章が贈られました。
ヴォーリズのさまざまな事業は、キリストの愛を日本に伝えるという、ただ一つの目的(One Purpose)に基づいていました。彼は、大学生の時に神様から与えられた志に、忠実に生きたのです。
私たちも、神様から与えられる導きをいつも求め、忠実な生き方をしていきたいですね。神様は、私たちの人生に祝福の計画をお持ちであり、どこに進んでいったらよいか、教えて下さるお方です。
「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く。」(イザヤ30:21、新改訳第3版)
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