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2007年12月17日 (月)

救い主をともに礼拝する(ゼカリヤ14章)

071209_12580001 礼拝(れいはい)というと、キリスト教会になじみのない多くの日本人には、具体的に何をするのかイメージしにくいかもしれません。ヘブライ語の原語では、(上位の者に対し敬意を表して)腰をかがめる、お辞儀をする、ひざまずく、そして(その権威に)従う、というような意味になります。ただ形式的に賛美を歌い、牧師の説教を聞くことが礼拝なのではありません。創造主なる神様を心から敬い、そのみ前でへりくだり、そのことばに従うことが、真の礼拝なのです。

イスラエルでは過越(すぎこし)の祭り、七週の祭り、仮庵(かりいお)の祭りという三大祭りがあり、かつて世界中に散らされたユダヤ人たちは、エルサレムの神殿で神様を礼拝するために集まって来ました。春の過越の祭りは、エジプトにおける奴隷状態からの解放という「神の国」の原点を祝うための祭り。初夏の七週の祭りは、約束の地において小麦の初穂を感謝する祭り。そして秋の仮庵の祭りは、すべての収穫を感謝する祭りでした。

これら三つの祭りは、キリスト教会の歴史と対応している部分があります。過越の祭りの時、イエス・キリストは、いけにえの小羊として十字架につかれました。七週の祭り(ペンテコステの祭り)の時、キリストの働きの初穂として、初めてエルサレムに教会が誕生しました。そして、仮庵の祭りは世の終わり、人類の歴史を通して神様が与えて下さったすべての収穫を祝う時を象徴しています。

神殿に大勢の人々が集まって礼拝する様子は、日本人にとっては、初詣のイメージに近いかもしれません。ただ拝む対象は誰でも良いわけではなく、あくまでも私たちは唯一の創造主なる神、救い主イエス・キリストを礼拝しています。そして、半信半疑でご利益を求めるだけの形式的な「参拝」ではなく、心から礼拝する姿勢を持っている人を、神様は切に求めておられるのです。

神の国の王、イエス・キリストのご降誕をお祝いしに、遠路はるばるやって来た東方の博士たちは、幼子の前にひれ伏して、拝みました。すべての人に救いを与えに来て下さったお方、いつも私たちとともにいて下さり、人生の戦いに勝利を授けて下さり、私たちの生涯に良い実を結ばせてくださる救い主イエスを、あの博士たちと同じく、心から礼拝していきましょう。それが、神様が永遠の昔から計画された、本当のクリスマスなのです。

「主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。…生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」(ゼカリヤ14:9&16、新改訳第3版)

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