奇しいみわざに感謝する(詩篇105篇)
2007年も、昨日が最後の礼拝となりました。一年の終わりに、私たちは年を忘れるのではなく、神様が良くして下さったことを何一つ忘れず、一つひとつの出来事を大切に思い起こし、感謝をもって過ごしたいと思います。
詩篇150篇の2節、5節では、神様のなさった働きを、「奇しいみわざ」と形容しています。私たちの周りは、神様の奇蹟で満ちあふれています。すべてが無の状態から今の形に存在するようになったことも、実に微妙なバランスで生態系が保たれていることも、私たちが誕生し、人との新たな出会いがあり、また日々生かされていることも、創造主なる神様の奇蹟です。
世界中に神様の祝福を伝える「人類の代表者」として、最初に選ばれたのは、すべての神の民の父祖アブラハムでした。神様は、メソポタミア・ウル出身のアブラハムと永遠の契約を結び、地中海東岸に約束の地を与えると宣言されました。世界中でたった一人のアブラハムとその子孫を通して、神様の祝福が伝えられるというのも、創造主の不思議なご計画に他なりません。
アブラハムの孫のヤコブの時代、中東一帯は、7年にもわたる大飢きんに見舞われました。しかし、その苦難の中にも、神様の奇しいご計画がありました。ヤコブの息子ヨセフが、兄たちにより奴隷として売られ、エジプトの牢獄に捕われ、そこでパロ(ファラオ)の家臣たちと出会うのです。
この奇蹟的な出会いがきっかけとなり、ヨセフはエジプト王に見出され、宰相に就任します。ヨセフの進言で十分な食糧備蓄をしていたエジプトに、ヤコブ一家は避難することができました。そして、その地で70人の家族は、やがて数百万人のイスラエル民族に増え広がるのです。これも苦難を祝福に変える、創造主の不思議なみわざです。
約400年の後、神様はエジプトにモーセを遣わされました。奴隷の身分に落とされていたイスラエルの民が、いよいよエジプトを脱出し、約束の地へと向かう時が来たのです。エジプト王は奴隷の解放をしぶりましたが、イスラエルの民は多くの奇蹟を通して、苦役の中から救い出されます。そして、約束の地に導かれ、創造主なる神様の素晴らしさを宣べ伝えるという使命を与えられるのです。
それから千数百年、時が満ちて、救い主イエスが来臨されます。キリストは、処女懐胎という奇蹟的な方法でアブラハムの子孫として誕生し、奇蹟的ないやしや悪霊の追い出しをなされ、そして十字架につかれた後、復活の奇蹟を成し遂げて下さいました。迫害の中、ローマ帝国の辺境でごく一握りの人々から始まったキリスト教会は、数々の奇蹟を体験し、最終的に帝国の国教となって世界中に福音が宣べ伝えられます。
私たちが今、イエス・キリストによって罪と死の奴隷状態から救い出され、アブラハムの子孫となり、永遠の神の国(天国)という約束の地が与えられていることも奇蹟です。創造主なる神様の奇しいみわざにより、私たちの心と生き方が変えられてきました。そして、この一年も、神様は私たちに夢とビジョンを与え、心を希望と喜びで満たし、日々の生活を支えて下さいました。
2007年の数々の奇蹟と祝福に感謝します。そして、私たちをいつも愛しておられ、「奇しいみわざ」を成し遂げて下さる、全知全能の創造主なる神様をほめたたえます。
「主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。」(詩篇105:1-2、新改訳第3版)
P.S. 明日元旦の更新はお休みします。
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