クリスマスと初詣
先日、ある教会のクリスマス・コンサートの案内をいただきました。「本当のクリスマスをあなたに」というキャッチフレーズで、素晴らしい音楽ゲストが招かれているようです。表紙と中身はクリスマス一色なのですが、ふと裏面を見ると、元旦礼拝の案内があります。こちらは「初詣は教会で」といううたい文句で、なんとお雑煮も用意しているとのこと。お雑煮大好きで、「いやしい系」の私は、ヨソの教会の「初詣」に行きたい気もします。(笑)
クリスチャンになる前、友人にさそわれ、一度だけ成田山新勝寺に初詣に行った記憶があります。そこは何でも明治神宮、川崎大師とともに初詣者数のトップ3となっているようで、私が行った頃も、大勢の参拝者で賑わっていました。どうお参りしたかはまったく覚えていませんが、強烈な印象が残っているのは、おみくじでした。
おみくじなど引いたことがない私が、せっかく来たからと引いてみると、「凶」が出ます。新宿近辺から電車を乗り継いで来たほとんど初めての初詣で、「凶」はないだろうと思い、もう一度引くと、また「凶」が出ました。私には、「もう来なくて良い」という縁切りのメッセージのように思えました。
私の記憶が確かなら、その年、函館で洗礼を受けクリスチャンになり、牧師になる決心をしたように思います。妻と出会ったのも、同じ年。函館の教会堂2階に引っ越し、住み込みの「丁稚奉公」を始めたのは、その年の11月末。もう教会では、クリスマス準備が進められている頃でした。
クリスチャンになって以来、もう神社や仏閣に初詣に行くことはありません。クリスマスも元旦も、いつも教会でお祝いし、礼拝しています。結婚式も葬儀も教会で行い、恋愛、子宝、安産や入学祈願、病気平癒や「家内安全・商売繁盛」等についても、すべて創造主なる神様にお祈りします。このお方こそが私たちを愛し、いつくしみ、豊かに祝福しようと願われていること、そしてその力と権威がある(ご利益がある)ことを私たちは、知っているからです。
成田山のおみくじは、初詣で参拝される八百万の神々と諸仏からの絶縁状のようでした。しかし、それが一つのきっかけとなり、創造主なる神様、クリスマスの主人公である救い主イエス・キリストを信じるようになったことを感謝します。天地万物を創造された唯一の神様は、被造物である他のあらゆる神々の上に立つお方。クリスマスであろうと元旦であろうと、このお方に真摯な心で願掛けをする時、私たちは本当の祝福を手にすることができるのです。
「まことに、私は知る。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。」(詩篇135:5、新改訳第3版)
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コメント
どうも、12月に入ってからの、教会でのクリスマスイベントには、違和感を感じています。
クリスチャンが、クリスマスをお祝いする必要があるのでしょうか?使徒業伝で、パウロやペテロがクリスマスをお祝いしていたという記述は、見受けられません。
一説には、ローマ時代に太陽神のお祭りと主の生誕がくっつけられたものと聞いたことがあります。
特に、商用化されたクリスマスと一線を画すべく「本物のクリスマスを教会で」というキャッチコピーも各教会で貼られていますが、いかがなものでしょうか?
私は、クリスマスなんて聖書的でないと、クリスマスイベントを一切しない、硬派な教会が一つぐらいあってもいいような気がしますが...
投稿: コナン将軍 | 2007年12月18日 (火) 14時05分
12月にクリスマスをお祝いする必要があるかと言えば、聖書にそうは記されていないので、特にお祝いしなくても良いかもしれません。
「硬派な教会」も、捜せばどこかにあるかもしれませんよ。
多くの教会は、福音を伝えるよい機会となることを願って、クリスマスに特別な行事を組んでいると思います。
異教の祭りとの関連が指摘されることもあり、また実際の誕生日はもっと暖かい時期(秋の仮庵の祭りの頃?)だったのではないかとも言われます。
ただ私たちの教会では、キリストの誕生をお祝いする日が、一年に一回あっても良いと思い、12月にみんなでお祝いをしています。
投稿: shigeki | 2007年12月18日 (火) 15時52分