天皇制
私たちの教会が属する教団は、2000年に日本宣教50周年を迎え、それを機に内規をきちんと明文化し、明確なルールに基づく運営体制を整えていこうということになりました。私は、その前年に規約委員に選ばれ、内規案作成と制定のプロセスに深く関わりましたが、それはたいへんな作業でした。50年間、共有化されていなかったルールを新たに文章化し、考え方の異なる人々の間で議論を戦わせ、合意を得る作業というのは、クリスチャン同士であっても、そう簡単ではありません。
内規が制定されて良かったことは、上に立つ人の責任と権限が明確になったことです。牧師や教会役員はもちろん、理事や教区長といった教団役職者が具体的に何をすべきであり、その権限はどこまでの範囲なのか、今は内規にはっきり明記されています。ルールが明確でなければ、リーダーの権限が無限に拡大したり、あるいは逆に限りなくゼロに近づくことも、可能性としてあり得ます。
戦前の日本において、そのような状況が発生したのは、天皇の責任と権限に関してでした。大日本帝国憲法の規定では、「神聖不可侵」なる天皇が軍の統帥権を保持することになっていました。現人神(あらひとがみ)である天皇には、無限の権限があったようにも思えますが、しかし、明治新政府において実権を握っていたのは、よく知られているように薩長土肥出身者を中心とする藩閥、維新の元勲だったのです。
元勲たちがいなくなった後、天皇の統帥権を盾にとる軍部は、暴走していくことになります。中央政府が最前線の部隊に引っ張られるような形で、対外戦争に突入していった時、天皇の統帥権が十分に発揮されていたかというと、そうではありませんでした。実際の政治的権限は、限りなく縮小されていたのです。敗戦後、昭和天皇の戦争責任が問われなかったのも、そのような経緯によります。
日本国憲法では、天皇は日本国と日本国民統合の象徴と位置づけられ、その地位は国民の総意に基づく、と規定されています。また天皇は、国政に関与せず、定められた国事行為のみ行い、その責任は内閣が負っているとも記されています。責任と権限の明確化という意味では、これはたいへん良いことです。
古代イスラエル王国には、王、祭司、預言者という3種類のリーダーたちがいました。王はもちろん、政治的な権限を有する人。祭司は、神への礼拝を司る人。そして預言者は、神からのメッセージを語る人です。現代日本における王は内閣総理大臣(と行政組織?)、祭司は天皇、そして預言者に相当するのはマスコミに登場するコメンテーターたち、というところでしょうか。王や預言者的な働きをする人たちには、不満を感じることもありますが、天皇家と皇族の方々は、憲法に定められた役割を実に忠実に果たされてきたように思えます。
「天の王」たるイエス・キリストは、同時に祭司であり、預言者であると記されています。キリストは、神の愛のメッセージを伝えるため私たちのもとに来られ、自らいけにえの小羊となって人類を代表して神への礼拝をささげ、今や全世界の王として、すべてをその手に治めておられます。紀元前14~15世紀頃、モーセが次のように預言した通り、イエス・キリストが地上に来て下さったことを感謝します。
「あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。」(申命記18:15、新改訳第3版)
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