国の象徴
牧師の仕事の一つは、毎週の礼拝でお話しすることです。人によって、準備の仕方はいろいろあると思いますが、私の場合、先ず祈りをもって聖書箇所を決め、その部分を何度も繰り返し読み、気になる言葉の意味を調べ、中心のテーマと3つほどのサブテーマを抽出し、アウトラインを作成するというプロセスをふみます。学生の頃、よくやった「単語・熟語の意味調べ」を、毎週するわけです。
聖書を解釈するには、文脈と歴史的背景を理解した上で、意味を理解することが大切です。ある言葉や表現が、現代日本に生きる私たちとはまったく違った文化の中で、異なる意味やニュアンスをもっているかもしれないからです。海外や昔の小説を読む時は、描かれている世界に行ったつもりで、想像力を働かせて読まなければ、理解しにくい部分があります。聖書も同じことです。
昨日、日本国憲法を読んでいて気になった単語は、「象徴」でした。天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」だというのは、どういう意味なのでしょうか。私は、昨日のブログで書いた通り、憲法学はまったくの素人ですから、専門家の方々がこれをどう解釈するのか詳しくは知りません。ただ国民の一人として、憲法条文の意味を理解しておく必要はあります。
手元の辞書を開くと、「象徴」は「シンボル」の訳語で、「抽象的なものを具体的なもので例えること、また、その表したもの」とあります。「日本の国」を具体的に表すイメージとしては、日の丸や桜、富士山などがよく挙げられます。人物では、聖徳太子や福沢諭吉が、1万円札の肖像として選ばれています。憲法が規定する日本の代表的なイメージは、天皇だということですね。
ただ、調べていて、ちょっと気になることがありました。それは1942年6月、真珠湾攻撃から半年後のミッドウェイ海戦時に、米英両軍は、天皇を「平和のシンボル(象徴)」として利用する戦略をもっていたというのです。日本国憲法生みの親(?)のマッカーサー元帥も、それを承知していたと言います。
(http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/linebarger.html)
とすれば、天皇が和平を希望し、米軍が「錦の御旗」を掲げる官軍となった瞬間、「天皇陛下万歳」と言って戦ってきた旧日本軍は「朝敵」、つまり賊軍になったことになります。確かに戦後の歴史は、そのように動いたわけですが、これは皮肉ですね。日本史と天皇の位置づけをよく研究していた当時のアメリカは、やはり一枚上でした。イラクにも「象徴」となる人がいたら、状況はずいぶん違っていたかもしれませんね。
神の国(天国)とその民を象徴するものの一つに、ぶどうの木があります。イエス・キリストは、「まことのぶどうの木」であり、神の国と神の民統合の象徴です。キリストを信じる世界中の人々が、一つの大きな木に連なる枝として、豊かな実を結ぶ者とされていることを感謝します。
「わたしはまことのぶどうの木であり、…あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:1&5、新改訳第3版)
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