葬儀
義父の家は先祖代々、日蓮宗だったそうで、函館山山麓にあるお寺が菩提寺となっています。一人娘の結婚相手が牧師になろうとしていても、自分は仏教だからと聖書の話を積極的に聞こうとはしませんでした。
それでも愛娘の結婚には反対せず、私が妻子を連れて留学した時には、支援さえしてくれました。若い頃は、キリスト教の集会に出席したとのこと。私たちの教会の礼拝にも、義母とともに何度か顔を出し、献金もしてくれました。
ただ自分の葬儀は仏式でしてくれと、以前から義母に伝えてあったようです。電話で「臨終」と聞いた私は即座に、教会で葬儀をするかどうか、義母に確認しました。しかし、義母は夫の遺志を尊重し、お寺にお願いすると言います。付き合いのある葬儀屋さんがいるようなので、24時間体制で受付をしているその会社にすぐ連絡するよう、私は妻に伝えました。
遺体は深夜、葬儀屋さんが病院から自宅に運んだようです。私は来なくても大丈夫とのことだったので、朝早く起きて子どもたちを始業式に送り出し、翌日からの出張のために準備していたすべての資料を、メールで関係者に配布しました。教団の代表に連絡し、会議の欠席と聖書学校クラスの休講を決め、私のかかえていた仕事を他の方々にお願いしました。
午後から家族で義母宅に行き、ただ眠っているようかのような遺体の前で、お祖父ちゃんと一緒に過ごした日々を感謝する祈りをささげます。義母に対しては、神様が慰めと平安を与え、すべてを支えて下さるよう祈りました。その日の夕方、納棺となり、翌々日の朝に火葬、夜に通夜となりました。家の留守番がいないと言うので、妻と子どもたちは通夜に出ましたが、私は一人、義母宅に残りました。
次の日は、私と妻の二人で告別式に出席しました。全部終了した後、親族の食事の場で、遺族を代表して私に挨拶してほしいと言われます。そこで、すべてのいのちは、創造主なる神様に与えられていること。今回の葬儀は故人の遺した言葉により仏式となったが、最期の瞬間に義父が何を考え、何を願っていたかは、本人と神様にしか分からないということをお話ししました。
人間の死亡率は100%であり、私たちも誰一人例外なく、いつか地上での人生が終わる時が来る。その厳粛な事実をいつも心に留め、人生の一瞬一瞬、一つ一つの出会いを大切にして生きて行きたい、とも語らせていただきました。仏式の葬儀ではありましたが、創造主なる神様による弔いのメッセージを少しでも伝える機会が与えられたことを感謝します。
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」(伝道者の書7:2、新改訳第3版)
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