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2008年1月

2008年1月31日 (木)

葬儀

義父の家は先祖代々、日蓮宗だったそうで、函館山山麓にあるお寺が菩提寺となっています。一人娘の結婚相手が牧師になろうとしていても、自分は仏教だからと聖書の話を積極的に聞こうとはしませんでした。

それでも愛娘の結婚には反対せず、私が妻子を連れて留学した時には、支援さえしてくれました。若い頃は、キリスト教の集会に出席したとのこと。私たちの教会の礼拝にも、義母とともに何度か顔を出し、献金もしてくれました。

ただ自分の葬儀は仏式でしてくれと、以前から義母に伝えてあったようです。電話で「臨終」と聞いた私は即座に、教会で葬儀をするかどうか、義母に確認しました。しかし、義母は夫の遺志を尊重し、お寺にお願いすると言います。付き合いのある葬儀屋さんがいるようなので、24時間体制で受付をしているその会社にすぐ連絡するよう、私は妻に伝えました。

遺体は深夜、葬儀屋さんが病院から自宅に運んだようです。私は来なくても大丈夫とのことだったので、朝早く起きて子どもたちを始業式に送り出し、翌日からの出張のために準備していたすべての資料を、メールで関係者に配布しました。教団の代表に連絡し、会議の欠席と聖書学校クラスの休講を決め、私のかかえていた仕事を他の方々にお願いしました。

午後から家族で義母宅に行き、ただ眠っているようかのような遺体の前で、お祖父ちゃんと一緒に過ごした日々を感謝する祈りをささげます。義母に対しては、神様が慰めと平安を与え、すべてを支えて下さるよう祈りました。その日の夕方、納棺となり、翌々日の朝に火葬、夜に通夜となりました。家の留守番がいないと言うので、妻と子どもたちは通夜に出ましたが、私は一人、義母宅に残りました。

次の日は、私と妻の二人で告別式に出席しました。全部終了した後、親族の食事の場で、遺族を代表して私に挨拶してほしいと言われます。そこで、すべてのいのちは、創造主なる神様に与えられていること。今回の葬儀は故人の遺した言葉により仏式となったが、最期の瞬間に義父が何を考え、何を願っていたかは、本人と神様にしか分からないということをお話ししました。

人間の死亡率は100%であり、私たちも誰一人例外なく、いつか地上での人生が終わる時が来る。その厳粛な事実をいつも心に留め、人生の一瞬一瞬、一つ一つの出会いを大切にして生きて行きたい、とも語らせていただきました。仏式の葬儀ではありましたが、創造主なる神様による弔いのメッセージを少しでも伝える機会が与えられたことを感謝します。

「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」(伝道者の書7:2、新改訳第3版)

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2008年1月30日 (水)

義父の思い出

妻との初デートは、函館山山麓、いわゆる「西部地区」の散策でした。85年5月、私は函館に来たばかりで、観光名所の立待岬からハリストス正教会、公会堂などを経由して、元町公園でお弁当を食べた後、外人墓地まで歩いたのです。散策の後は、新島襄海外渡航碑のそばにあった「JOE」という喫茶店に入りました。(残念ながらこの喫茶店は、後にレストランに変わり、今はもうそのレストランも営業していないようです。)

妻とは函館駅前で待ち合わせましたが、そこまで愛娘を車で送って来た義父は、何と私たちを立待岬まで乗せて行ってくれたのです。一人娘とデートしようとしている男はどんなヤツか、心配だったのでしょうか。乗車拒否されなかった私は、とりあえず最初のテストをクリアしたのかもしれません。(笑)

「JOE」の後は、ずうずうしく妻の実家にお邪魔し、夕飯をご馳走になりました。義母は、初対面の私をたいそう歓待してくれ、その温かな家庭の雰囲気は、私の心に強いインパクトを与えました。この3人家族の温かさは、後に妻を結婚相手として考える一つの要因となったように思います。(ちなみに後から聞くと、義母は、私があまりたくさん食べるのに驚いていたそうです。 笑)

私たちが七飯に来てからの12年半、義父母は私たち家族と一緒に花見に行ったり、紅葉を見に行ったりしました。子どもたちの運動会や学習発表会、その他の音楽発表会も、毎年のように応援に来てくれました。義母にいつも小言を言っていたらしい義父は、孫たちにはあくまでも優しいお祖父ちゃんで、一緒に過ごす時を心から喜んでいるようでした。本当に、楽しい日々を過ごすことができたと感謝しています。

そのような楽しい思い出をしっかりと心のうちに刻み込み、義父を亡くしたこれから後も、地上に残された家族で楽しい時をさらに過ごしていきたいと願っています。そうすることが、きっと、故人の遺志に沿っているのではないかと思えるからです。

「私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。」(伝道者の書3:12-13、新改訳第3版)

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2008年1月29日 (火)

義父の最期

人の最期とは、分からないものです。先週日曜夜遅く、義父が急死しました。77歳でした。糖尿病を患い、目も悪くなっていましたが、他には特に大きな病気もありませんでした。日曜の夕食時は食欲がなく、早めに床についたようです。

夜10時半頃、義母から電話がありました。義父の様子がおかしいというのです。翌朝まで経過を見守るという義母に対し、私と妻は、すぐ救急車を呼ぶよう説得しました。妻は搬送先の病院に駆けつけ、義母と入院の心積もりをしていましたが、医師が二人に告げたのは、意外にも「臨終」という言葉でした。運び入れられた時点で、もうすでに心肺停止状態で、循環器系の問題ではないかと医師が言ったそうです。

妻は次女とともに前日、実家を訪れ、義父と話をしていました。その時は、普段と変わらなかったようです。ただ、数日前から目がまったく見えない状態になっていたため、神様が視力を回復させて下さるよう祈ったとのこと。私と長女、長男は、元旦に一緒に食事をし、7人そろって記念写真を撮ったのが、義父の顔を見た最後となりました。

ほとんど前兆といえるものがなく、あまりにも突然やって来た最期でした。まだあまり実感がなく、遺体が火葬された今でも妻の実家に行くと、義父が以前と同じく、いかにも寒そうに体を小さくしてソファーに座っているような気がします。

しかし、すべてのいのちは神様のみ手の中にあります。創造主なる神様は私たちにいのちを与え、時が来たら地上での人生に終わりを告げられるのです。私たちは全然知りませんでしたが、義父の最期の時も、神様がはっきりと定められていたのでしょう。

私は予定していた出張をすべてキャンセルしなくてはなりませんでしたが、教会で大きなイベントの最中でもなく、葬儀も滞りなく済ませることができました。神様の目から見ると、きっとベスト・タイミングだったのでしょう。創造主なる神様のみ手によりすべてが守られたこと、そして神様が私たちの心を平安と慰めで優しくつつんでいて下さることを感謝します。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(伝道者の書3:1-2、新改訳第3版)

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2008年1月28日 (月)

主の神殿として建て直される(ヨハネ2章)

Flower080127 イエス・キリストがその公生涯の中で、最初に行なった奇蹟は、カナという町の婚礼の場でした。宴会のぶどう酒がなくなってしまった時、水がめに満たされた水をぶどう酒に変えられたのです。キリストの奇蹟には、いつも深い霊的真理を明らかにするという意図がありました。では、この最初の奇蹟には、一体どのような意味が隠されていたのでしょうか。

結婚式は、契約の場です。創造主なる神様のみ前で、新郎と新婦がいつまでも互いに愛し合うことを約束するのが、聖書が教える結婚です。同時に婚礼は、神と人との契約関係をも象徴しています。神様はイスラエルを選び、特別な愛の契約を結び、イスラエルは神の「花嫁」として、その永遠の愛を世界中に伝える使命を担っていました。

ぶどう酒は、神様の祝福を象徴しています。ぶどう酒がなくなるという出来事は、その祝福が途絶えてしまったことを暗示していました。「花嫁」イスラエルは、「花婿」である神様から離れ、その祝福を十分に受け取ることができなくなり、全世界にも神様の祝福が届かない状態になっていました。イエス・キリストは、この悲劇的状況に解決を与えに来て下さったのです。

キリストは、まず6つの水がめを水で満たされました。「7」は完全数で神様を象徴していますが、「6」は「7」に至らない不完全な数で、被造物である人間を表しています。そして、水は聖霊を象徴していました。イエス・キリストは、私たちを罪の「けがれ」から救い、きよめ、聖なる霊で満たして下さいます。

水がめから汲み出された水は、ぶどう酒に変えられ、結婚式に集う人々に振る舞われました。ぶどう酒も聖霊の象徴ですが、ここで新しいぶどう酒は、神様の新しい祝福、新しいいのち、そして新しい契約をも象徴しています。イエス・キリストを信じる者たち(教会)は、「キリストの花嫁」と呼ばれています。「花婿」なるイエスが「花嫁」なる私たちと、新しい祝福といのちの契約を結んで下さったのです。

キリストは、この新しい契約(新約)を結ぶため、私たちの身代わりとなって十字架につき、3日目によみがえられました。そして、救い主イエスを信じる人は誰でも、その復活のいのちが与えられ、心のうちを聖霊が満たす「聖霊の宮」、「主の神殿」として建て直されています。

神様は、定められた時に、再建途上の「神殿」すべてを完成させて下さいます。私たち一人ひとりは、神様の祝福と愛に満たされ、栄光に輝く「聖霊の宮」として、いつか完成の時を迎えるのでしょう。その完成の時を、楽しみに待ち望んでいきたいですね。

「イエスは彼らに答えて言われた。『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』そこで、ユダヤ人たちは言った。『この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。』しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。」(ヨハネ2:19-21、新改訳第3版)

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2008年1月21日 (月)

神のことばを受け入れる(ヨハネ1章)

Img_11891 宇宙がビッグバンから始まったとしたら、その時からすでに「すべての秩序を支配する自然法則が存在した」というのが、おそらく自然科学の大前提なのでしょう。この「自然法則」という概念は、ひょっとすると古代ギリシア語に置き換えると、「ロゴス(logos)」に相当するのかもしれません。

もしそうだとすると、「初めに、ロゴスがあった」というヨハネ福音書冒頭の宣言は、「科学的真理」が絶対視される傾向にある現代にも、直接通じる考え方だと言えます。「ロゴス」は通常、「ことば」と訳されますが、「(神が定めた)世界を規定する論理」と翻訳することもできます。これは現代風に言えば、「自然法則」にあたるのではないでしょうか。

ヨハネ福音書は、この「自然法則なるロゴス」は宇宙を創造された神とともにあり、「ロゴス」自体、神であったと記しています。そして、「神なるロゴス」は人となって、私たちのもとに来られたと続きます。そう、「ロゴス」とは、イエス・キリストのことだったのです。

「神なるロゴス」が人となったのには、特別な理由がありました。それは、私たちに創造主なる神様の愛と定められた自然界の真理を伝えるためだったのです。ロゴスは、私たちにいのちを与えて下さいました。そしてロゴスを信じ、受け入れた人は、神の子どもとされるという特権も与えられているのです。

神であり、自然法則であるロゴスを信じる私たちは、神の子どもとして、いつも神様の愛に満たされ、どんな中にあっても希望をもって生きていきたいですね。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12、新改訳第3版)

P.S. 都合により、今週の更新は本日のみとし、明日からお休みします。また来週お会いしましょう。今週の皆様の歩みの上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2008年1月18日 (金)

いのちの水の郷

「いのちの水の郷(さと)」というコンセプトは、七飯における教会設立準備の祈りの中で生まれました。

帰国する直前の1995年、私は新しい教会のビジョンを祈り求めていました。その時、LA郊外のパサディナ市で、ジョン・アーノット牧師によるリニューアル集会が開かれたのです。主催したのは、いわゆる「トロント・ブレッシング(Toronto Blessing)」の流れの中にあった韓国系のチェ・アン牧師(ハーベスト・ロック・チャーチ)で、そのリニューアル運動を南カリフォルニアにも波及させようとしているようでした。

私が出席した集会で、アーノット牧師は、旧約聖書・エゼキエル書の47章を開きました。そして、神殿から世界中に流れ出す「いのちの水の川」の話をしたのです。聖霊の「川」が流れ入る所には、いのちが与えられ、すべての回復がある。しかし、入らない場所、聖霊の流れを拒否した「沢」と「沼」には、いのちも回復もない、というメッセージでした。

集会には聖霊の圧倒的な臨在が感じられ、メッセージ後、いやしと回復、霊的な刷新を願う人々が祈りを求めて長蛇の列をなし、多くの人が神の力により倒れ、しばらく横たわり、涙を流し、また別な人たちは神様に叫び声を上げ、賛美し、あるいは踊っていました。私は、この聖霊の「いのちの水」の流れが、日本にも及んでほしいと切望しました。

私の赴任が内定していた七飯という場所は、LAや東京などの大都市とは違い、のどかな田舎町です。超教派の人々が大勢集まる都市型のリニューアル集会、リバイバル集会などとは、縁遠い場所に思えました。その代わり田舎は自然が豊かで、「故郷(ふるさと)」というイメージが丁度ぴったりです。聖書の中にも、「天の故郷」という言葉があります。

そこで、「いのちの水」が豊かに流れる「天の故郷」という意味を込めて、「いのちの水の郷(さと)」というコンセプトが生まれたのです。イエス・キリストは「郷長(さとおさ)」であり、救い主に従う私たちは、「郷(さと)の民」です。心に渇きを覚え、「いのちの水」を求める人は、いつでも誰でも、それを飲むことができます。今も再建中のこの郷は、時が来たらすべてが完成され、世界中から集められた郷の民は、この永遠の故郷で天上の祝福をいつまでも味わい続けることができるのです。

「lifestream community」というこのブログのタイトルも、もちろん、「いのちの水の郷」から来ています。創造主なる神様から与えられる「いのちの水」によって救われ、いやされ、回復が与えられる人が七飯、日本、そして全世界において、さらに増えていってほしいですね。

「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示録22:17 、新改訳第3版)

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2008年1月17日 (木)

「いのちの水」の大波

韓国YWAMチームが今朝、高速バスに乗り、札幌に出発しました。そちらに1週間ほど滞在し、教会のお手伝いをした後、韓国に帰る予定のようです。2週間近くの七飯滞在が祝福され、無事に送り出すことができたことを感謝します。

私たちの教会に来るチームは、ソウルの大学生たちで、普段は毎週木曜日に大きな集会があり、何百名もの若者たちがともに神様を礼拝していると聞きました。彼らが日曜日に集う教会も、大きな教会が多いようです。私たちの教会に来た人たちは、小さな集まりの家族的な雰囲気を楽しんでくれるようです。都会の洗練された大集会とはまた一味違った、田舎の素朴な人情味が感じられるのではないでしょうか。

ソウルは、あまり雪が降らないそうです。チームの人は雪があると喜んでくれるようなので、毎年、この時期になると天候が気になります。今シーズンは、暮れの29日に大雨が降り、それまでに降り積もった雪がすっかり無くなってしまいました。「今年は雪なしかなぁ」と思っていると、不思議なことに、彼らの来訪に合わせたかのように、再び一面の雪景色となりました。チームの一人は、「北海道ではこんなに雪が降るとは思いませんでした」と言っていました。神様がきっと、雪を通しても、彼らの訪問を祝福して下さったのでしょう。

チームを札幌に送り出す直前、ふと彼らが、私たちの教会から流れ出す「水の流れ」のように感じました。YWAMのビジョンは、先日の記事に書いた通り、若い人たちが神様の愛のメッセージを携えて、世界中に押し寄せる波になることだそうです。(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_5ee3.html

私たちの教会のビジョンは、「いのちの水の郷(さと)」を築いていくことです。(http://homepage3.nifty.com/nanaezion/vision.htm

「いのちの水」とは、創造主なる神の霊(聖霊)の象徴です。イエス・キリストを信じる人は、聖霊が心のうちに住んで下さり、この神様の霊によって私たちは、愛と喜びで満たされた生き方ができるようになります。そのような人々が、互いに愛をもって支え合うコミュニティー(共同体)を、私たちは「いのちの水の郷」と呼んでいます。

今朝ふと感じたのは、世界中に溢れ流れて行く「いのちの水」のビジョンは、人の流れのことも言い表しているということです。聖霊に満たされた人々は、世界各地に遣わされ、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、弱っている人たちに、「いのちの水」による新しい生き方の祝福を伝えることができます。

毎年来てくれる韓国YWAMチームは、神様の水の波となって、私たちの教会を潤してくれています。私たちの教会から出立するチームの一人ひとりが、さらに聖霊に豊かに満たされ、神様の愛を伝える大波、怒涛のような「水の流れ」として全世界に流れ出て行ってほしいと願っています。

「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。」(エゼキエル47:9、新改訳第3版)

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2008年1月16日 (水)

国際理解教育

Img_11581 昨日は、韓国大学生チーム(YWAM)とともに、函館中部高校を訪問しました。昨年や一昨年と同様、歴史と現代社会(?)の授業にお邪魔して、日本の高校生たちとの交流の時を持ちました。今回は、高1の2クラスでした。

「新しく選ばれた韓国の大統領に何を期待するか」と日本の学生が質問すると、韓国人の一人は、日本でも報道されていた通り、「経済発展」と答えました。「私たちは大学生なので、特に就職問題に関心があります」というコメントがつきました。

「韓国で人気のある職業は何か」という質問に対しては、「医者、公務員、学校の先生」という答えでした。「安定しているから」という理由です。これも、現在の経済情勢が反映しているのかもしれませんね。韓国も、日本と同じなんだと相づちを打っている人たちがいました。

若い人たちですから、やはり一番盛り上がったのは、好きなアニメやドラマ、芸能人などの話題です。韓国の人たちから「ワンピース」、「NARUTO-ナルト-」、「クレヨンしんちゃん」、「のだめ」、「花より男子」、「ホタルノヒカリ」、「1リットルの涙」などのタイトル、そしてキムタクや藤原竜也、上野樹里、沢尻エリカなどの人名が挙がっていました。(その他、あまり多くて覚えていません。笑)ペ・ヨンジュンやチャン・ドンゴン、そして韓国のお笑い芸人に関する質問もありました。

教科書やマスメディアのフィルターを通して、間接的に見る隣国ではなく、高校生や大学生たちが直接対面し、話をするこのような機会は、「国際理解教育」の一助となっているのかもしれません。以前、私と妻がお手伝いしていた「国際交流センター」でも、留学生たちが小学校や中学校を訪問する「学校交流」というイベントがありました。言葉を交わした韓国と日本の学生たちが、互いに何かを受け取り、両国の将来における友好関係を築いて行ってほしいですね。

「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:18、新改訳第3版)

(写真は、クラスで自己紹介をする大学生たち)

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2008年1月15日 (火)

韓国の「子どもたち」

韓国の大学生たち(YWAMチーム)が私たちの教会に初めて来た3年前、リーダーの人から、「韓国に息子や娘たちが増えましたね」と言われました。その時はまだ、長女が高1だったので、チームの人たちは、ちょっと大きな「子どもたち」だと感じました。

しかし、今年は長女も大学生になり、チームの中には長女より年下の人もいます。なんだか本当に、韓国の「子どもたち」のような気がします。私も、年をとりつつあります。そのうち、「孫」みたいに感じるかなあ。(笑)

日曜の礼拝後は、日本のキリスト教会の定番、カレーライスを食べた後、しばらく皆でゆっくりお話ししていました。チームの人たちは、中2の長男が出場する吹奏楽アンサンブル・コンクールに行ってみたいと言うので、夕刻、総勢16人の大応援団(!)が車3台を連ね、函館の「芸術ホール」までおしかけました。

昨日の月曜日は、午後3時から夜9時まで、教会に来ている子どもたちや学生たちと一緒にゲームをしたり、チームの人に歌やダンスを披露してもらったり、自由に話をしたり遊んだりして、楽しい時を過ごしました。夕食はビビンバとチヂミで、デザートにパフェがつきました。

イエス・キリストを信じる人は、韓国人も日本人も、同じ一つの「神の家族」とされています。一緒に時間を過ごしていると、本当に家族とされている実感がわきます。今年も韓国の「子どもたち」が、神様の愛と励ましを運んで来てくれたことを感謝します。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19、新改訳第3版)

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2008年1月14日 (月)

目標を目指して一心に走る

Img_11311 現在、教会に滞在中の韓国大学生チーム(YWAM)の一人が、ソウルで出会ったある日本人の話をしてくれました。その人は、「日本には未来がない」と明言していたとのこと。確かに、今の日本は人々の心に訴えかけるビジョンが不明確であり、目標を見出しにくく、希望がどこにあるのか分からない状況になっています。

今年の新成人を対象に民間の調査会社「マクロミル」が行なったアンケート調査では、「日本の将来は暗い」と回答した人が47%、「どちらともいえない、分からない」が43%、「明るい」と答えた人は9%だったそうです。自分の未来については、43%の人が「明るい」と思っているようで、ちょっと救われた気持ちにはなりますが、この人たちは、国外にでも脱出するつもりなのでしょうか。個々人が心に抱くビジョンや目標、希望が他の人たちにも共有化され、明るい未来をともに築いていけたら良いですね。

昨日はまた、YWAMチームの皆さんが礼拝でダンスや歌を披露して下さり、一人の人は短くお話(証し)をしてくれました。創造主なる神様が私たち一人ひとりを愛して下さっていること、そして私たちには神様の素晴らしい祝福の将来が計画されていることを証言してくれたのです。イエス・キリストを信じる人には、神様から与えられるビジョン、目標、そして希望があることを感謝します。

地上でどんな国籍をもち、どんな言葉を話し、どんな文化の中に生きていようとも、救い主イエスを信じる世界中の人々には、ただ一つの目標が与えられています。それは、キリストと同じ、愛に満ちた完全な姿に至るという目標です。自らに与えられている人生の完成と言っても良いでしょう。人生の走路を十分に走り抜いて、天国のゴールに到達し、神様から栄冠をいただくことを私たちは目指しています。

世界中のクリスチャンたちと、このビジョンと目標を共有できるのは素晴らしいですね。日本や韓国、そして他の国々においても、創造主なる神様が約束して下さっている祝福の未来に希望を抱いて、イエス・キリストという目標に向かい、一心に走っていく人々が、さらに増えていってほしいと願っています。

「兄弟たちよ。私は、…ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13-14、新改訳第3版)

(写真は、賛美を歌うYWAMチーム)

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2008年1月11日 (金)

規範

昨日の朝日新聞の「オピニオン」コーナーに、玄侑宗久さんという芥川賞作家のお坊さんが寄稿していました。このところ犯罪が発覚しても、容疑者に罪の意識が感じられないことが多く目に付きます。それは、個々人が罪を犯さないようにしようと心に誓うことがなくなったからではないかと、同氏は指摘しています。

外側から人を、法令や決まりで一律に規制しようとする最近の風潮に対しても、玄侑氏は異議を唱えます。どんなにこまごまとした法令を作り、道徳教育に力を入れたとしても、本人がそれを守ろうと決心しなくては、自制も罪の意識も生まれないのではないか。そして、一番の問題は、約束を守りますと誓う相手がなくなってしまったことではないか、と言っています。それは、つきつめていくと、神や仏といった至高の存在になるのではないかとも示唆しています。

目に見える物的世界の原則だけを土台とし、すべてを人間理性により論理的に秩序立てようとした結果、社会は規範を失いつつあります。物的世界自体には善悪を指し示す基準が存在せず、また理性によって何らかの基準を「発見」したとしても、次の時代にはそれが「古い」と否定され、新しい(一時的な)基準に取って代わられたりするからです。実はこの傾向は、ルネサンスと啓蒙主義、そして進化論がもたらした近代社会のパラダイム(基本的考え方)と言えます。

同じく近代社会を生み出したもう一つの流れは、宗教改革です。日本の歴史教科書では、「ルネサンスと宗教改革」と一まとめにされますが、宗教改革はルネサンスとは全く違った方向性を持っていました。ルネサンスが多神教の、つまり相対的価値観をもつギリシア・ローマ文化に回帰しようとしたのに対し、宗教改革は、唯一の神が語られたことばである「聖書のみ」に回帰しようとしたのです。一方は人間中心であり、もう一方は神中心であると言い換えることもできます。

人間中心の流れは、その後、日本にも大きな影響を及ぼし、特に伝統的価値観が徐々に崩壊してきた20世紀後半以降、主流となっているようです。伝統的な規範も失われつつありますので、社会全体がアノミー(無規範)状態となっているように思えます。この社会が今後、グローバルスタンダードに沿った新たな規範を再構築できるかどうか、規範を守ろうとする人々が社会の屋台骨を支えていくことができるかどうかが、日本の大きな課題なのでしょう。

すべてを創造された神様は、さまざまな夢や幻、ことばによる語りかけ、歴史上の出来事を通し、すべての人が守るべきルール、人類共通の規範を授けて下さいました。それは一言で言うと、「神を愛し、人を愛する」という規範です。長い間に口述され、書きためられた「聖なることば」は「聖書」としてまとめられ、人間の尊厳、自由、(神の下の)平等、人権といった考え方の土台となってきました。そして今も将来も、私たちがどのように生きるべきか、どのような社会を築いていくべきか、聖書のことばは教え続けてくれるのです。

創造主なる神様が与えて下さった聖なる規範を守り、罪に支配されない確かな生き方をしていきたいですね。

「あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。」(詩篇119:133、新改訳第3版)

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2008年1月10日 (木)

出来事

昨日は、YWAMチームとともに函館山に登り、山頂で祈ってきました。出発する時は雪がちらつき、山全体が霧におおわれていたので、景色がまったく見えないことを覚悟していました。ロープウェイのチケットを購入する時も、「何も見えないかもしれませんが、それでもいいですか?」と窓口で念押しされました。

案の定、山頂駅に着くと、すぐ下のハリストス正教会や聖ヨハネ教会の辺りまでは見えますが、それから先はすべて真っ白な霧の中です。それでもチームの人たちは外に出て、手足から体全体まで凍りついてしまいそうな気温の中、しばらく祈り、賛美していました。すると霧が少しずつ晴れ、函館の街並みが時折、目の前に広がるようになったのです。神様が、チームの人たちに、函館山からの景色を見せて下さったのだと感謝しました。

私たちは、日常生活の中に起こるごく小さな出来事を通しても、神様からのメッセージを受け取ることができます。神様は私たちに、日々の糧(食事)を与えて下さいます。人や仕事、書物などとの出会いを用意されています。戦いに勝利を得させて下さいます。危機的な状況や失敗、人との衝突などを通して、私たちを訓練して下さいます。外界の素晴らしい景色や人の思いやりなど、今まで見えていなかったものが、突然、見えるようになることもあるのです。

身の回りに起こった出来事を通し、神様の愛を感じられる人は幸いです。多くの人は、創造主なる神様に愛され、大切に養われていることを知りません。何か良いことが起きても、ただ幸運だったと考えたり、自分の努力や能力のゆえだと考えたりします。逆に悪いことが起きると、不運を嘆いたり、他人に怒りをぶつけたり、あるいは自信をなくしたりします。しかし、本当は、すべては神様の手の中にあることなのです。

日々の出来事を通して、創造主なる神様の愛と恵みをいつも感じ取っていきたいですね。聖書は、そのような人を「知恵のある者」と呼んでいます。

「知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。」(詩篇107:43、新改訳第3版)

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2008年1月 9日 (水)

神の声

日曜日に皆さんの前でお話ししてくれたYWAMチームの一人は、牧師家庭に生まれ育ちました。ピアノが上手で、9歳の時から礼拝で演奏してきたそうです。それが何よりも好きだったにもかかわらず、プロの演奏家になろうとは決して思いませんでした。理由は、お金が儲からないと思ったからだそうです。

ところが、ある日、祈っていると神様が、彼女に語りかけました。「あなたが演奏している時に感じる喜びは、わたしの喜びなのだ」と言われたのです。神様の「声」を聞いた彼女は、涙が溢れ、新たな決心をします。どうしたらお金が儲かるかではなく、何をしたら神様が喜んで下さるだろうと考えて、将来の道を選択することにしました。

神様は、夢や幻だけでなく、私たちに直接、声をかけても下さいます。実際に耳に聞こえる場合もあるし、心の中に語りかけられる場合もあります。私も、創造主なる神様の語りかけを聞き、このお方の存在を信じました。(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2d1.html

洗礼を受けて、牧師になろうと決心した時も、そうでした。(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b39c.html

人類の歴史を通し、神様は、人々に語りかけて来られました。エデンの園のアダムとエバ(イブ)に声をかけられ、アブラハムには約束の地に行きなさいと命じられました。モーセにはエジプトからイスラエルの民を連れ出しなさいと語られ、ダビデには敵との戦い方に具体的な指示を与えられました。使徒パウロは、天からの声を聞いてキリストを信じ、ペテロは神の声に導かれ、異邦人の家を訪ねました。

神様は今なお、私たちに語りかけ、その愛を伝えて下さいます。神と人との関係は、聖書の中で、羊飼いと羊とに例えられます。イエス・キリストは、最高の牧者(羊飼い)として羊である私たちに声をかけられ、私たちが最善の人生を生きることができるよう、先導して下さるのです。イエス様の愛に満ちた「声」を感謝します。

「…門から入る者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネ10:2-4、新改訳第3版)

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2008年1月 8日 (火)

夢と幻

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」というのは、織田信長が好んで舞った「敦盛」の一節とのこと。「天界」の時間と比べれば、地上の人間世界の50年など一瞬のようだ、という意味のようです。

ここで「夢幻」は、「はかないもの、確かでないもの、すぐに消え去ってしまうもの」の代表例に挙げられています。「夢」には「将来の希望」という意味もありますが、「幻」にはそのような使われ方もなさそうです。「夢想」、「幻想」、「幻覚」というと、現実でないことを見たり、思い浮かべることになります。

ところが夢と幻について、そのようなイメージをもったまま聖書を読むと、違和感にとらわれること必至です。確かで消え去ることがなく、人の生き方に大きな影響を与える夢や幻がいくつも登場するからです。

エジプトに行ったヨセフは、王の夢の意味を解き明かし、宰相として飢きん対策の食糧備蓄を進めました。旧約の預言者たちは、与えられた幻を書き記し、最重要な人生の指針として人々に伝えました。使徒ペテロは、幻に導かれてローマ軍人コルネリオの家に行き、パウロはマケドニア人の幻を見て、ヨーロッパ伝道を開始しました。

神様は、夢や幻を通して、人々に語られたのです。創造主なる神様から与えられた夢や幻は、神様から預けられたメッセージ、「預言」でした。そしてその夢や幻が、本当に創造主からのメッセージだったかどうかは、伝えられた内容が実現するかどうかによって判断されました。実現しない、偽の「預言」は「偽りの夢」、「むなしい幻」と呼ばれ、真の夢や幻とは区別されたのです。当時、偽預言者は死刑と定められていましたから、夢や幻を伝える人も命懸けでした。

創造主なる神様は、今なお私たちに、夢や幻を与えて下さいます。昨日の記事でご紹介したYWAMも、創始者ローレン・カニングハムが見た幻から始まりました。私たちの教会も、神様から与えられた幻によって設立され、今もビジョンに導かれて歩んでいます。聖霊なる神様が、私たちに夢や幻を与えて下さることを感謝します。

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」(ヨエル2:28、新改訳第3版)

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2008年1月 7日 (月)

志を一つにする

Img_11001 今年も、韓国からYWAMチームが来てくれました。韓国のクリスチャン大学生12名(男性6名、女性6名)のグループです。昨日の礼拝では、スキット(寸劇)とテコンドーダンスが披露され、一人の人が証しをしてくれました。(証しとは、神様によって自分がどのように変えられたかを短くお話しすることです。)礼拝の後は、手作りの食事で愛餐会の時をもちました。

YWAM(ワイワム)とは、Youth With A Missionの略で、日本語に訳すと「(宣教の)使命をもった若者たち」という意味になります。今や世界149カ国、16,000人ものスタッフをかかえるYWAMの働きは、最初たった一人、ローレン・カニングハムという20歳の大学生が見た幻(ビジョン)がその発端でした。

1956年、バハマへの賛美ツアーに参加していたローレンが、部屋で聖書を開き祈っていると、突然目の前に、生きて動いている世界地図が見えたそうです。全世界に怒涛のように押し寄せ、すべての国をおおい尽くしていた波は、次の瞬間、若い人たちの姿に変わったとのこと。彼らは、宣教師として街頭や家々を訪問し、キリストの愛を伝えていました。この不思議な体験が基となり、4年後に発足した新しい宣教団体が、YWAMとなったそうです。

イエス・キリストを信じる者たちは、世界中どこにいたとしても、一つの家族に加えられます。神の家族の一員として、キリストの愛をともに喜ぶことができるのは、大きな恵みです。神様によって進められつつある和解の使命を果たすため、日本人も韓国人も、クリスチャンは「天国人」として志を一つにし、愛の心をもって両国の架け橋となっていきたいですね。

「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」(ピリピ2:1-2、新改訳第3版)

(写真は、テコンドーダンス)

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2008年1月 2日 (水)

新たに集う人々に仕える

七飯シオン教会は、神様から与えられたビジョン(幻)によって始まり、ビジョンによって歩んでいます。私たちが七飯に来たのも、実は、妻が見たビジョンが大きな要因の一つでした。

私が米国留学を終えて帰国する時、三つの選択肢が考えられました。牧師になる決意は変わりありませんでしたが、渡米前に住んでいた所沢に戻るか、妻の出身地である函館周辺に戻るか、はたまた私の出身地・札幌に帰るか、神様に導きを求め、祈っていました。

長男が生まれて一時帰国した際、函館の教会が、隣町・七飯に新たに建設したという教会堂を初めて見に来ました。辺りを見回した妻は、はっと息をのみます。以前、妻が幻に見た風景に、そっくりだったのです。神様は、その場所に私たちを導かれていると確信し、七飯に来ることに決めました。

それからはや十数年。私たちは毎年、神様から新たなビジョンが与えられ、ともに歩んでいます。今年、与えられたのは、教会にまったく来たことのない人たちが集まって来るビジョン。私たちは迎える側として、何を心掛けるべきか、というのが、今年の教会のテーマです。今いる人たちは新しく集う人々を歓迎し、その必要に応え、仕えていかなければなりません。

神様が新しい年も私たちを導き、さらに新しい人々をも神の国に集わせて下さることを期待します。「贖(あがな)い」とは、買い戻すこと。創造主なる神様は、イエス・キリストのいのちの代価により、私たちの死すべきいのちを買い戻して下さいました。永遠の神の国を今も、そして将来も、心から喜び、楽しむ者とされていることを感謝します。

「主に贖(あがな)われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ51:11、新改訳第3版)

P.S. 今週の更新は、明日以降お休みします。また来週お会いしましょう。新しい年の皆様の歩みの上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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