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2008年1月18日 (金)

いのちの水の郷

「いのちの水の郷(さと)」というコンセプトは、七飯における教会設立準備の祈りの中で生まれました。

帰国する直前の1995年、私は新しい教会のビジョンを祈り求めていました。その時、LA郊外のパサディナ市で、ジョン・アーノット牧師によるリニューアル集会が開かれたのです。主催したのは、いわゆる「トロント・ブレッシング(Toronto Blessing)」の流れの中にあった韓国系のチェ・アン牧師(ハーベスト・ロック・チャーチ)で、そのリニューアル運動を南カリフォルニアにも波及させようとしているようでした。

私が出席した集会で、アーノット牧師は、旧約聖書・エゼキエル書の47章を開きました。そして、神殿から世界中に流れ出す「いのちの水の川」の話をしたのです。聖霊の「川」が流れ入る所には、いのちが与えられ、すべての回復がある。しかし、入らない場所、聖霊の流れを拒否した「沢」と「沼」には、いのちも回復もない、というメッセージでした。

集会には聖霊の圧倒的な臨在が感じられ、メッセージ後、いやしと回復、霊的な刷新を願う人々が祈りを求めて長蛇の列をなし、多くの人が神の力により倒れ、しばらく横たわり、涙を流し、また別な人たちは神様に叫び声を上げ、賛美し、あるいは踊っていました。私は、この聖霊の「いのちの水」の流れが、日本にも及んでほしいと切望しました。

私の赴任が内定していた七飯という場所は、LAや東京などの大都市とは違い、のどかな田舎町です。超教派の人々が大勢集まる都市型のリニューアル集会、リバイバル集会などとは、縁遠い場所に思えました。その代わり田舎は自然が豊かで、「故郷(ふるさと)」というイメージが丁度ぴったりです。聖書の中にも、「天の故郷」という言葉があります。

そこで、「いのちの水」が豊かに流れる「天の故郷」という意味を込めて、「いのちの水の郷(さと)」というコンセプトが生まれたのです。イエス・キリストは「郷長(さとおさ)」であり、救い主に従う私たちは、「郷(さと)の民」です。心に渇きを覚え、「いのちの水」を求める人は、いつでも誰でも、それを飲むことができます。今も再建中のこの郷は、時が来たらすべてが完成され、世界中から集められた郷の民は、この永遠の故郷で天上の祝福をいつまでも味わい続けることができるのです。

「lifestream community」というこのブログのタイトルも、もちろん、「いのちの水の郷」から来ています。創造主なる神様から与えられる「いのちの水」によって救われ、いやされ、回復が与えられる人が七飯、日本、そして全世界において、さらに増えていってほしいですね。

「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示録22:17 、新改訳第3版)

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