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2008年2月11日 (月)

真の礼拝者として生きる(ヨハネ4章)

Flower080210 イエス・キリストとの出会いは、人の生き方を一変させます。ヨハネ福音書4章に記される「サマリヤの女」も、まさに人生が一変した一人でした。

この女性には、過去がありました。結婚と離婚を5回繰り返し、さらに6人目の男性と同棲中だったのです。町でも、「あばずれ」として悪名高かったのでしょう。普通の人が水を汲みに来ない正午頃、人目を避けるようにして井戸にやって来ました。その場所で、まったく思いもかけない人物との出会いが用意されていたのです。

イエス・キリストがこの女性に水を求めた時、「サマリヤの女」は、不思議に思ったようです。町の嫌われ者だったこの女性は、人々から、もうしばらく声をかけられたことがなかったかもしれません。それだけではありませんでした。この声をかけた人物は、どう見ても、ユダヤ人だったのです。

純血を尊ぶユダヤ人は、すぐ隣に住む混血のサマリヤ人を嫌い、関わりを持とうとはしませんでした。どうしてこのユダヤ人は、サマリヤ人である自分に声をかけてきたのだろうか、疑問に思った女性は、ちょっと聞いてみることにします。それが新しい人生の始まりになるとは、思いもせずに…。

「サマリヤの女」は、見ず知らずの人物との井戸端での対話を通して、この人物が待ち望んでいた救い主であることを知り、町の人々に堂々とそれを知らせに行きます。過去に捕われ、人目を忍んで生きていた女性には、キリストの証人としての新しい生き方が与えられたのです。神様が約束されている将来に新たな希望を持ち、現在の男性との関係も、きちんとしたものにしていったに違いありません。

イエス・キリストがこの女性に教えたのは、礼拝者としての生き方でした。礼拝とは、形ではありません。場所が重要なわけでもありません。一番大切なのは、心です。「霊とまことによって」とは、心から誠実な思いをもって、ということです。それは、全身全霊をもって、創造主なる神様を愛する生き方と言い換えることもできます。

イエス様がサマリヤの女に教えられた通り、私たちも「真の礼拝者」として生きて行きたいですね。神様が、私たちの人生をも一変させて下さることを感謝します。私たちの生き方を通して、神様への愛をあらわして行く時、神様もそれを喜んでいて下さいます。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:23-24、新改訳第3版)

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