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2008年2月25日 (月)

いのちのパンによって生きる(ヨハネ6章)

Flower080224 「人はパンのみにて生くるにあらず」というのは、クリスチャン以外の人々にもよく知られている言葉です。ある人によると、日本では終戦直後の左翼知識人が、この言葉をよく引用したとのこと。唯物論を信じ、「宗教はアヘンだ」とする共産主義の人々が、聖書のことばを引用したというのは、何とも皮肉です。

もっとも左翼の人々は、この言葉に続けて、「共産主義社会を実現するという理想のために生きる」という主張をしたかったのでしょう。それは、聖書のメッセージとは、明らかに異なる方向性を持っていました。他の方々も、よくこの言葉を引用されますが、ほとんどの場合、もともとの意味とはまったく関係のない文脈で用いられるようです。

イエス・キリストは、救い主としての働き(公生涯)を始められる前、荒野で40日間の断食をしました。その直後にあった悪魔の誘惑の一つが、「お前が本当に神の子なら、この石をパンに変えてみろ」という挑戦的な言葉です。父なる神の意思と関わりなく、ただ自らの空腹を満たす目的のため、与えられているはずの超自然的な力を魔法のように用いてみろというサタンのささやきでした。

この誘惑に対するキリストの回答が、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」という旧約聖書からの引用だったのです。人間は神によって生かされている存在であり、すべての必要は神によって満たされる。そして、人としてのイエス・キリストも、父なる神が命じられなければ、石をパンに変える奇蹟を起こすことはしないという宣言でした。

実はこの言葉は、「悪魔の誘惑」の千数百年前、モーセを通してイスラエルの民に語られています。エジプトから脱出し、荒野の40年を過ごした後、約束の地を目の前にした人々に対して、モーセはその言葉を語りました。40年の放浪生活は、神様がすべての必要を満たして下さるのだということを人々が理解するための訓練だった。だから、ただ即物的に日々の糧を追い求める生活をせず、創造主なる神にいつも信頼し、神のことばに従って生きなさいというメッセージでした。

荒野の40年間、イスラエルの民が食べたのは、「天からのパン」と呼ばれたマナでした。このエピソードに基づき、イエス・キリストは、ご自身を「天からのまことのパン」と呼ばれています。天から下ってきて、世の人々に永遠のいのちを与える「いのちのパン」だと宣言されたのです。

イエス・キリストが誕生したベツレヘムの町名は、「パンの家」という意味がありました。そして、キリストは神のことばであると、ヨハネ福音書は語っています。すべての人を生かす神のことばは、天から「パンの家」にご降臨された「いのちのパン」だったのです。

キリストを信じるすべての人は、永遠のいのちが与えられ、神とともに生きる者とされていることを感謝します。

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」(ヨハネ6:35、新改訳第3版)

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