« 新しい人生を生きる(ヨハネ3章) | トップページ | 禅宗 »

2008年2月 5日 (火)

日蓮宗

以前、インド宣教が阿弥陀信仰に影響を与えた可能性について、記したことがあります。(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_bc2c.html

新仏教としての大乗運動がインドで始まったのは、一説によると紀元前後だそうです。紀元1世紀から世界中に広がっていったキリスト教会による宣教運動が、インドにおける新仏教運動に何らかの影響を与えていた可能性は、あながち否定できないのではないでしょうか。

大乗運動の中でまとめられた経典の中には、浄土三部経以外に般若経、華厳経、法華経、涅槃経などがあります。中でも法華経は、「諸経の王」とも言われ、多くの人々の信仰を集めて来たとのこと。聖徳太子は法華経を講じ、平安時代、日本に天台宗を伝えた最澄(伝教大師)は、法華経を至上の教えとしたそうです。

鎌倉時代に日蓮によって始められた日蓮宗は、この法華経を信仰の土台としました。どんな人にも、「仏性(ぶっしょう、仏陀となりうる性質)」が備わっており、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えさえすれば、その仏性が現れ出ると、日蓮は主張したのです。「南無」とは「私は帰依します」という意味、「妙法」とは正しい教え、「蓮華経」は法華経の経典のことですから、この題目は、「私は正しい教えである法華経の経典を信じます」という信仰告白になります。

聖書には、すべての人が「神のかたち」に造られたと記されています。そして、イエス・キリストを信じる人は、主なる神と「同じかたち」に、姿が変えられていくとも書かれています。「私は聖書を信じます」という信仰告白は、仏教風に言うと、「南無妙法聖書」になるのでしょうか。信仰の構造としては、似ている部分がありますね。

ただ、キリスト教では題目を唱えるだけでなく、聖書を読むこと(「おしえ」)、神に祈ること(「おはなし」)、そして愛に基づいた生き方をすること(「おこない」)が、信仰者として成長し、キリストの姿に近づく上で不可欠だと教えています。(ちなみに私は、これを「三つの“お”」と呼んでいます。)そしてもちろん、キリストは仏陀ではありません。私たちを神の国に招待しておられる、すべてを造られた創造主なる神なのです。

神から離れ、「神のかたち」を失いつつあったかつての「古い自分」は、キリストによって日々新しくされ、本来のあるべき姿に回復されつつあります。聖書とキリストを信じる人は誰でも、限りない愛に満ちた神の似姿に変えられ、永遠の神の国に集う者とされていることを感謝します。

「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(コロサイ3:9-10、新改訳第3版)

|

« 新しい人生を生きる(ヨハネ3章) | トップページ | 禅宗 »

スピリチュアル」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日蓮宗:

« 新しい人生を生きる(ヨハネ3章) | トップページ | 禅宗 »