いやし
20世紀の世界を覆った「聖霊の働き」の大波は、キリスト教界に、さまざまな反応を引き起こしました。(「大波」については、昨日のブログ参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_73d3.html)
キリスト教界は、決して「金太郎飴」のようではありません。大きな変化の際に異なった見解が示され、聖書を土台として活発に議論が交わされることは、初代教会の時代からあることで、ある意味、健全な状態なのでしょう。成熟した議論の末、意見の一致に至ることができれば、なお素晴らしいですね。
20世紀初頭にペンテコステ運動が始まった時、肯定派と否定派の議論は、残念ながらいつまでも平行線で、折り合うことが困難だったようです。議論の中心は、クリスチャン以外の人にはほとんど理解されにくい、「異言」という話題でした。
「異言(tongues; glossolalia)」とは、普通の方法で習得したものではない、神様から特別に与えられる言語のことです。通常は、話す本人にも(もちろん周りにも)意味が分からず、個人的な祈りの言葉として用いられます。時には、集会の場で解釈が与えられ、神様からの直接的な語りかけ(「預言」)としての働きをすることもあります。(新約聖書・第一コリント14章参照)
運動開始から100年を過ぎた今、振り返ってみると、実は議論の中心とすべきは「異言」ではなく、「いやし」だったのではないかと私は感じています。実際、第二・第三の波である「カリスマ運動」や「力の働き」の運動を推進してきたリーダーたちは、次第に異言よりもいやしを強調してきたように思えます。
「いやし(神癒、divine healing)」とは、神様が特別な(奇跡的な)方法で病人を回復させること。ペンテコステ、カリスマ、そして「力の働き」の波が世界中を覆ったのは、「いやし」の働きを担う指導者たちが、活発な宣教活動を行なったことが一つの重要な要因ではないでしょうか。
アズサ・ストリートのリバイバルも、指導者のウィリアム・セイモア牧師の下、いやしが多く行なわれたようです。私たちの属するフォースクエア教団を創設したエイミー・センプル・マクファーソンも、いやしの伝道者でした。その他、オーラル・ロバーツ、キャサリン・クールマン、ベニー・ヒン、ラインハルト・ボンケ等も、神癒の働きのために用いられています。
その働きの真偽については、かなり論議の的となっている人たちもいます。しかし、「いやし」というのは、「異言」よりも一般の人にずっと分かりやすいため、今ここにある「神の国」の力を体験し、キリスト信仰に導かれる人たちも多く起こされてきました。奇跡的に病がいやされた本人が、喜びに満ちてその経緯を説明(証し)すると、聞く人も大いに励まされ、神様の素晴らしさをともに賛美することができます。
今もなお「いやし」の働きを通し、世界中の多くの人々が神様の愛にふれられ、イエス・キリストを信じる者とされていることを感謝します。
「わたしは(創造)主、あなたをいやす者である。」(出エジプト15:26、新改訳第3版)
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