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2008年3月

2008年3月31日 (月)

救い主を仰ぎ見る(ヨハネ9章)

Flower080330 ヨハネ福音書は、先週引用した20章30、31節に記されている通り、はっきりとした目的の下に書かれています。それは、読者がイエス・キリストを信じ、(永遠の)いのちを受け取るためでした。ですから、そこに記されているエピソードも当然、執筆目的に沿うものが厳選され、掲載されています。

ヨハネ9章に出てくる、いやしの奇跡もそうです。イエス・キリストと弟子たちは、ある時、エルサレムで生まれつき目の見えない人に出会います。弟子たちは、その人を見て、目が見えないのは天罰が下ったせいだと考えました。その人か、その両親のどちらかが悪いことをしたから、そういう状態にあると思ったのです。

イエス・キリストは、そのような弟子たちの考えを否定します。「その人が生まれつき目が見えないのには、神様のご計画がある。創造主なる神様がその人に、特別なことをなさろうとしているためだ」と言われたのです。そして、この人の目を奇跡的にいやされました。生まれつき目の見えない人が、突然、見えるようになったのです。

周囲の人たちは、この奇跡に驚きました。最も否定的な反応をしたのは、社会的な影響力を持つ指導者層、特にパリサイ人たちです。彼らは、旧約聖書に記される律法の規定を厳格に守り、「自力」で神様の完全さに近づこうとしていたグループでした。その敬虔そうに見える生き方は、一般の人々から尊敬を受けていましたが、実は、偽善的な形式主義に陥っていたようです。パリサイ人は、外側の行動だけ立派に見せながら内側の心をなおざりにしていると、イエス・キリストから批判されています。

このパリサイ人の一部が問題にしたのは、奇跡が安息日に行われたことでした。安息日は、律法の規定から言うと労働してはいけない日なので、その日に奇跡を行う人は、律法を守らない罪人であり、神様からの使者ではない。つまり、奇跡も奇跡を行う人も、ニセモノだと主張したのです。それは、パリサイ派神学による重箱の隅をほじくるような議論でした。

目が見えるようになった人にとっては、そのような細かい神学的議論は、どうでも良いことでした。自らの身に起こったことが間違いなく奇跡的な出来事であり、その奇跡を起こしたのは、創造主なる神様から遣わされた特別な人に違いないと確信していたからです。そして、イエスご自身がメシア(キリスト、救い主)だと聞いた時、彼は、それを素直に受け入れました。

このエピソードは、象徴的な意味を持っています。私たちはもともと、霊的に目が見えない状態でした。本当の神様を知ることがなく、イエス・キリストが誰なのかも、初めは理解できなかったのです。キリストは、そのような私たちの「霊の目」を開いて下さり、創造主なる神様が私たちを愛し、いのちを与えて下さっているという真理を教えて下さったのです。

起こった出来事によって自らの神学の真偽を検証することなく、あくまでも自分たちの神学の細部にこだわり、自分たちだけが神様を正しく「見ている」と主張し続けたパリサイ人には、イエスが旧約聖書に約束された救い主であるという最重要な真実が、「見え」ませんでした。今、私たちはイエス・キリストと出会い、救い主を「仰ぎ見る」生き方が与えられていることを感謝します。

「イエスは、…彼を見つけ出して言われた。『あなたは人の子(メシア)を信じますか。』その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。』イエスは彼に言われた。『あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。』彼は言った。『主よ。私は信じます。』そして彼はイエスを拝した。」(ヨハネ9:35-38、新改訳第3版)

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2008年3月28日 (金)

フランス啓蒙主義の教訓

最近は、物忘れが多く、少し前に何をしたかをすぐに忘れてしまいます。(笑)実は「聖俗革命」の話も、クリスマスから年末年始、YWAMチーム来訪、義父の葬儀、次女のピアノ・コンクール、長女の帰省、所沢教会訪問と教団会議、次女の卒業式とピアノ・コンサート、イースター、そして長男のスプリングコンサートという一連の出来事の中、すっかり忘れていました。

また思い出したのは、所沢の書店で買った一冊の本によります。小田垣雅也氏の「キリスト教の歴史」(講談社学術文庫)です。同氏は、かつて青山学院大学、国立音楽大学で教鞭をとり、現在は高齢ながらご自宅で教会を主宰しておられるとのこと。信仰的にはかなりリベラルで、私の保守的な福音信仰とずいぶん違うため、読もうかどうかしばらく迷っていたのですが、今回、思い切って購入し、読んでみることにしました。

聖書時代の理解は、やはり自由神学的視点で、私とはまったく異なっています。また現代のキリスト教については、現在、世界中に広がるペンテコステ・カリスマ運動に関する記述がなく、もの足りなさを覚えます。しかし、古代から中世、近代に至るキリスト教史については、ただ出来事の羅列ではなく、著者の思想史的分析が加えられており、たいへん参考になりました。

その中で、ふと目をひいたのが、フランスの啓蒙思想についての分析です。フランスのルイ14世による絶対王政は、国教化したカトリック教会至上主義(ガリカニズム;Gallicanisme)と深く結びついていたため、アンシャン・レジーム(Ancien Regime)に対抗したフランスの啓蒙主義は、特に反キリスト教的になったというのです。

この一節を読んで、「聖俗革命」のことを思い出しました。フランスの啓蒙主義に大きな影響を与えた、「百科全書」(L'Encyclopedie)。その編さんの中心となったドゥニ・ディドロは、若い頃は修道会に入って司祭になる訓練を受けたほど熱心なカトリック教徒でしたが、その後、完全に信仰を捨て、無神論になったとのこと。当然、百科全書の全体的傾向は人間理性を高らかに賛美し、反キリスト教的でした。

この反宗教的視点は、後年、血みどろのフランス革命における思想的母体となったようです。理性を基盤とする人間中心主義は、結局、大量虐殺と恐怖政治(Terreur;テロの語源)を生み出すことになります。フランス革命において「テロ」を推し進めたのは、「宗教」ではなく、「宗教」に批判的な勢力だったのです。

当時の教会にも、確かに問題は多くあったでしょう。しかし、不必要なほど多量の血で歴史を染めたのは、人間の過ちであり、すべての人が持つ「罪の性質」から来るものでした。戦争やテロの責任をすべて「宗教」に押し付け、自らの内面を深くさぐらない人には、また盲目的に同じような過ちを犯す危険性が潜んでいます。

イエス・キリストを通して、私たちは今、罪の奴隷状態から解放され、神の真理を教えられています。創造主なる神様の導きにより、「義を行う者」とされていることを感謝します。

「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」(ローマ6:17-18、新改訳第3版)

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2008年3月27日 (木)

聖俗革命の超克

昨日のブログで書いた「知識の組み換え」については、実は、しばらく忘れていました。日々の雑務に追いまくられ、それどころではなかった、というのが実態です。忘れていたのでは、「学なりがたし」となるのが当然ですね。(苦笑)

20数年前の心境をふと思い出したのは、昨年後半に読んだ一冊の本がきっかけでした。村上陽一郎氏による「科学史からキリスト教をみる」(創文社)という書籍です。長崎純心大学での一般向け講演会をまとめたこの本の中で、村上氏は、近代科学の成立過程とキリスト教との関係について語っています。

村上氏によると、近代科学は当初、神が創造した自然の秩序を発見するという目的を持っていたが、その後、その知識体系から創造主なる神を追い出し、神抜きですべてを説明しようとする立場に変化したとのこと。この変化を、同氏は「聖俗革命」と呼んでいます。

聖俗革命をもたらしたのは、もちろん、啓蒙主義(Enlightenment)の思想です。「啓蒙」とは「蒙(くらき)を啓(ひら)く」、つまり、「暗闇を明るく照らす」という意味。啓蒙思想家たちにとっての暗闇とは、ヨーロッパ中世のいわゆる「暗黒時代」、そしてその時代を支配していたキリスト信仰ということになるでしょう。彼らは、キリスト教が「覆い隠していた」真理を、理性の光で明らかにしようという思いを持っていたのです。

この聖俗革命により、それまで神学を中心として束ねられていた学問体系が、神抜きの、世俗化された「近代的」学問体系に再編成されていったとのこと。現代日本に生きる私たちが受けた教育は、研究対象ごとに細分化された、この「近代的」知識体系に基づいているわけです。

とすると、私が20数年前に考えていた「知識の組み換え」は、この聖俗革命とまったく逆の方向性を持った試みでした。大げさに言えば、世俗化された知識体系をキリスト信仰の立場から再編成してみようと思ったのです。25歳の私が考えていた「聖俗革命の超克」(俗聖革命?)は、身の丈をはるかに超えた、大それた知的試みだったかもしれません。しかしそれは、あながち間違った方向性ではなかったのだと、村上氏の本を通して再確認することができました。

啓蒙主義と聖俗革命は、その後、倫理観が崩壊し、人間の尊厳が否定され、人生の意味を喪失した現代社会を形成するに至ります。世の光なるキリストが今、聖俗革命がもたらした闇を再び真理の光によって照らし、私たちを暗黒の中から解放して下さったことを感謝します。

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:9&5、新改訳第3版)

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2008年3月26日 (水)

知識の組み換え

イエス・キリストを信じ、牧師を志した20数年前、丁稚のように住み込んだ教会堂の2階の部屋で、いつも夜一人だった私は、あることを考えていました。自分がそれまで学んできたことは、何だったのか。これから学んでいかなければならないことは、何か。そして、信仰を持つ前に得た知識は、信じた以降に得る知識とどのようにつながり、どのように生かされていくのか、ということです。

高校までの学校教育で学んだ5教科、国語、数学、社会、理科、英語のうち、すぐに役立ちそうなものは、国語と英語でした。聖書や解説書、神学書を読むためには、まずは日本語の読解力が必要です。英語は大学でも専門的に学びましたが、英文の参考文献も日本語とは比べ物にならないほど多いので、英語力はすぐに生かせます。海外からのゲストが来た場合は、通訳をする機会もあります。

数学は、学校で解く問題がそのまま役に立つわけではありませんが、論理的思考をするための基礎訓練だったと考えれば、何年にも及ぶ訓練(!)を積んで来たと言えるでしょう。算数というレベルなら、もちろん、教会にも日々のお金の計算があり、年間の予算決算もきちんと数字を合わせていかなければなりません。

問題は、理科と社会でした。この二つについては、大学に進んだ後も自然科学、社会科学、人文科学という分野に区分された、細分化された知識を習得しました。さらに大学卒業後は、「塾」で政治学、経済学の基礎をおさらいしました。「つまみ食い」も多かったように思いますが、それにしても、ずいぶん雑多な知識を詰め込んで来たものです。(笑)

高校までの理科、社会、そして大学以降の諸科学は、ほとんどの場合、啓蒙主義的な人間中心主義、理性主義、そして無神論的な基盤の上に立っています。唯物論的自然観や進化論、社会契約説、進歩史観など、近現代社会に大きな影響を与えた「仮説」の正しさが暗黙のうちに前提とされ、教科として教えられたりします。それらは、現代日本に支配的な「パラダイム」だからです。

(「パラダイム」については、こちら参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_ed3b.html

人間中心的世界観から神中心の世界観にパラダイムが転換した私は、それまでに学んだ知識を総ざらいし、神中心の知識に組み替えていかなければならないと感じました。そう考えたのは、ひょっとしたら当時読んでいたフランシス・A・シェーファーの本、「それでは如何に生きるべきか」("How Should We Then Live?"の邦訳、いのちのことば社)の影響があったかもしれません。

それから早、20年強。「知識の組み換え」が順調に進み、神中心の知識体系が自分の頭の中で十分組み立てられたかと言うと、「欠け」が大きく、非常に心もとないものを感じます。まことに、「少年老いやすく学なりがたし」です。(苦笑)まだまだ学ぶべきことは多くあり、道半ばですが、いつか納得のいくレベルに達したいですね。

創造主なる神様が、私たちに必要な知識を与えて下さることを感謝します。

「もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、(創造)主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。」(箴言2:3-5、新改訳第3版)

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2008年3月25日 (火)

イースター

イースターの礼拝では、会衆賛美とメッセージ(説教)の間に、特別賛美が2曲ありました。妻のピアノ伴奏に合わせ、一曲目は長女のフルート演奏、二曲目は長女と次女によるハンドベル演奏です。短い練習期間ながら、息の合った心温まるひと時となりました。

礼拝後は、愛餐会です。教会の皆さんが、それぞれ腕によりをかけて、自慢のパーティー料理を持ち寄りました。出されたものすべてが素晴らしいご馳走だったのですが、私の独断と偏見で評価すると、今回の目玉は鮭の押し寿司とゴーヤーチャンプル、そしてデザートバイキングのような豊富なスィーツメニューだったでしょうか。その他の料理も甲乙つけがたく、デザート以外ほとんど全種類の味見をした私は、最後にいただこうと思っていたぜんざいが食べられないほど、お腹一杯になりました。(笑)

食事の後、子どもたちを中心に、エッグハントをしました。色画用紙を切り抜いたタマゴを会堂のあちこちに隠し、いくつ見つけられるかを競うのです。たくさん見つけた人や特別なタマゴを発見した人におやつの賞品があり、また参加者全員に参加賞がありました。この他、この日教会に来たすべての人に、きれいに色づけされたイースターエッグのおみやげがありました。

片付けを含め、全部終わったのが、1時半過ぎだったでしょうか。実は2時から長男の属する吹奏楽部のスプリング・コンサートがあったので、その後、急いで近くのホールに駆けつけました。長男は第一部でユーフォニアムのソロを吹き、第二部は1、2年生による合奏、第三部は引退した3年生の一部が加わって、フィナーレを飾りました。こちらも何とか無事に終わり、私たちも聴きに行くことができて良かったです。

イースターは、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ということで、毎年日付が変わります。今年は、3月20日が春分の日、22日が満月だったようです。3月23日がイースターというのは、かなり早いパターンですね。

イースター前日の満月は、たいへんきれいでした。月も星も、あたかもキリストの十字架と復活のみわざをほめたたえていたかのようです。天と地を造られ、私たちにいのちを与えて下さった神様の大いなる恵みを感謝します。

「(創造)主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。」(詩篇148:3、新改訳第3版)

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2008年3月24日 (月)

信仰によって生きる(ヨハネ20章)

Flower080323 昨日は、イースター(復活祭)でした。もちろん、イエス・キリストの復活をお祝いする日です。キリストは十字架で死に、三日目によみがえったというエピソードは、新約聖書の複数箇所に明確に記されており、キリスト教会の根本をなす教義の一つとなっています。

「死者の復活」というのは、1世紀のローマ帝国の人々にとっても信じがたい内容であり、教会に集まって来る人の中にも、その事実をなかなか受け入れられない人たちがいたようです。しかし使徒パウロは、復活がもし事実でないとしたら、弟子たちはすべて偽証したことになり、キリスト信仰も宣教活動もまったく意味がなくなると指摘しています。もしそうなら、クリスチャンは世の中で一番哀れな者だとさえ言い切っています。

キリストが葬られた翌々日の日曜日早朝、遺体に香油を塗ろうと女性たちが墓を訪れると、入口の大きな石が取りのけられ、墓が空になっていることを発見しました。イエスがよみがえったと天使から告げられた女性たちは、急いで、弟子たちに知らせに行きます。弟子たちは十字架の後、自分たちも捕まり処刑されるのではないかと恐れ、隠れていたのでした。

この日の夕刻、よみがえった主イエスは弟子たちと再会し、その後も多くの人々と会い、復活が事実であったことを証明します。そして、新たな希望に満たされた弟子たちは、その後、殉教をも恐れず、イエス・キリスト復活のニュースを世界中の人々に伝えていくようになるのです。

啓蒙主義の影響を受けた近代的視点から見ると、イエスの行なった奇跡、特に復活に関する記述などは、「科学的でない」という理由で退けられるのかもしれません。かつては理系で、科学論に大きな関心があった私も、聖書を読み始めた当初、復活の話をなかなか信じることができませんでした。

しかし考えてみると、科学とは起こった現象を一定の方法で研究し、そこに何らかの法則性を見出し、仮説を立て、まだ起こっていないことを予測するための知識です。起こったと報告されている現象を、起こっていない(あるいは「起こったはずがない」)と、十分な根拠なしに否定することはできません。もし説得力ある「科学的」証拠なしに、ただ「ありえない」と言っているだけなら、それこそ非科学的態度と言えるでしょう。

イエスが復活した証拠は、第一にイエス自身の予告、第二に空の墓、第三に新約聖書がまとめられた当時、まだ生きていた目撃者たちの証言、第四に死をも恐れなくなった弟子たちの劇的変化だと言われています。これらを完全に否定するに十分な反証は、その後2000年の歴史を通して、未だに提示されていません。

そもそも、いのちが創造主なる神様から与えられるのだとしたら、いのちを一旦失った後、もう一度神様がいのちを与え直したとしても、何の不思議もありません。イエス・キリストは、十字架上で死んだ後、奇跡的に死からよみがえられました。それは、救い主イエスを信じる者に対して、新しい「復活のいのち」が与えられるためだったのです。

復活のイエスを目撃した証人の一人である使徒ヨハネは、その驚くべき事実を福音書として後世に遺しました。その執筆目的は、人々がキリストを信じ、いのちを得るためだと記しています。今、私たちは、救い主への信仰により新しいいのちを受け取り、永遠の神の国への希望に満ちた人生を歩む者とされていることを感謝します。

「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:30-31、新改訳第3版)

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2008年3月21日 (金)

十字架

今日は、イエス・キリストが十字架についた日です。日本語では、「受難日」と言われることが多いようですが、英語では「Good Friday」と言います。神様が私たちのために、素晴らしく良いことをして下さったという意味で、「Good Friday」なのでしょう。「聖金曜日」と言われることもあるようですが、これは「Holy Friday」の和訳ですね。

「最後の晩餐」を終えたイエスは、弟子たちとともにゲッセマネの園で祈っていました。そこに、ユダに先導されたローマ兵と役人、そして群集たちがイエスを捕えに来ます。戦おうとしたペテロを制し、イエスは自ら縄目にかかります。この後、イエスは先ずイスラエル議会、翌朝早くにローマ総督ポンテオ・ピラト、そして祭りのためエルサレム滞在中だったガリラヤ領主ヘロデ・アンテパスの尋問を受けることになります。

イスラエル議会は、イエスが神を冒瀆したという理由で死刑を求刑。ヘロデはイエスに相手にされず、怒って「容疑者」をピラトのもとに送り届けます。最終的な裁判権を持っていた総督ピラトの判断は、治安維持の危険分子としては証拠不十分で、無罪というものでした。

ところが、イエスを釈放しようとしたピラトに対し、ユダヤ人指導者たちは群集を扇動し、反対運動を起こします。ローマ帝国にとって、イスラエルの地は統治しにくい地域でした。群集は、いつ反乱を起こすか分からず、もし暴動が起こると、ローマから一時的に派遣されていた総督の経歴に傷がつきかねません。

ここで、ピラトは妥協します。彼も、罪のない人を守るより、自らの保身が第一だったのでしょう。祭りの恩赦で釈放される囚人を、群集に選ばせることにしました。すると扇動された群集は、数日前、エルサレムに入ったイエスを盛大に歓迎したことをもはや忘れたかのように、バラバという殺人犯を釈放し、イエスを死刑にすべしという理不尽な要求をしたのです。

むち打たれ、市中引き回しの後、イエスは、ゴルゴタという処刑場で十字架につけられました。十字架は、人類の考え出した刑罰の中で、最も残酷なものの一つと言われています。死に至るまでの時間が長く、その間、釘で打たれた手足に激痛が走り、体を支えられず呼吸困難となり、最後は窒息死するそうです。この残酷な十字架が、今はアクセサリーとしてクリスチャン以外の人たちにも人気が高いのですから、何とも不思議なものです。

イエスが十字架に磔(はりつけ)となったのが、金曜日の午前9時。午後3時頃、息を引き取り、安息日が始まる日没前に遺体は亜麻布で包まれ、岩に掘られた墓に葬られます。何が起きたのか理解できなかった弟子たちにとっては、青天の霹靂(へきれき)、一巻の終わりかと思われました。イエスとともに過ごした3年半。その栄光に満ちた宣教運動がにわかに終わりを告げ、新たな王の側近となる夢も破れ、弟子たちは、犯罪者の一味と見なされるようになったのです。

もし翌々日の日曜日に事態が急変しなかったとしたら、弟子たちは犯罪的カルトグループの元メンバーとして、逃げ隠れする一生を送ったかもしれません。しかし、創造主なる神様は大きなサプライズを用意されていました。絶望の淵にあった弟子たちの人生は、その偉大な奇跡を通して、再び希望で満たされることになります。それは、ナザレのイエスが神の子であり、世界の救い主であることを、まさに証明する一大事件でもありました。

後になって弟子たちは、イエスの十字架の意味を悟るようになります。キリストは、全人類を代表し、その罪の身代わりとして自ら死刑を背負われ、尊い犠牲を払われたのでした。それは、神の前に罪人であるすべての人が、身代わりの十字架によって死刑が赦免され、死に至る罪の病からいやされるためだったのです。

イエス・キリストにより、今、私たちが罪と死から自由にされ、神の平安に満たされた新しい人生が与えられていることを感謝します。

「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5、新改訳第3版)

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2008年3月20日 (木)

最後の晩餐

受難週の木曜日、今日は「最後の晩餐」の日にあたります。イエス・キリストは、この夜、いよいよ十字架につく時が迫ったことを知り、弟子たちと特別な夕食会を催しました。何も知らない弟子たちにとっては、毎年春にいつも通り行われる過越(すぎこし)の祭りの食事に過ぎなかったでしょう。エルサレムの群集に盛大に迎え入れられ、いよいよイエスが王位につく時が近いのかと期待する人も、中にはいたかもしれません。

ただ一人、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダだけが、別の計画を持っていました。彼は、イスラエルの政治的・宗教的指導者たちと通じ、イエスの逮捕に協力します。国の指導者たちは、いわば政敵として強大な影響力を持ちつつある、イエスの抹殺をたくらんでいたのです。

ユダの裏切りの真意が、どこにあったのか、はっきりとは分かりません。イエスを引き渡した代金を受け取った後、後悔して自殺したところを見ると、お金や抹殺自体が目的ではなかったようです。イエスが、ユダヤ人指導者たちやローマ軍との対決姿勢を強め、即座にイスラエル独立のための武力闘争を開始することを期待していたのでしょうか。そうだとしたら、彼はまったく師匠の心を理解していなかったことになります。

イエスは、ユダの心を知っていました。それでも最後の晩餐の前に、しもべのように弟子たちの汚れた足を洗い、あなたたちも互いにしもべのようになって仕え合いなさい、と教えられたのです。もちろん、ユダの足も洗ったでしょう。ユダにとっては、この晩餐の時が、裏切りを思いとどまる最後のチャンスだったかもしれません。弟子たち全員に対するイエスの深い愛が、あらわされた瞬間でした。

「最後の晩餐」と言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が有名です。最近は、「ダ・ヴィンチ・コード」などという荒唐無稽な小説が映画化されて話題にもなりました。(苦笑)日本では、徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に、その複製(陶板)が展示されているそうです。長女が帰省前、大阪の教会の人たちと見に行ったので、壮大な展示物の写真を見せてもらいました。

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、本当の晩餐と確実に違っている点は、第一に全員が集合写真のようにこちら側を向いていることです。通常、このように食事はしません。第二に違うのは、テーブルを前に椅子に座っていることです。紀元1世紀のイスラエルでは、寝そべって食事をしました。テーブルを囲んだのは、ルネサンス期のヨーロッパ文化だったのでしょう。寝そべったイエスのすぐ横にいたのは、もちろん、マグダラのマリアではなく、「イエスの愛された弟子」と自称した使徒ヨハネでした。

食事の最中、イエスはパンとぶどう酒の杯(いわゆる「聖杯」)をとり、その意味を説明されます。パンは、人々のためにささげられるご自身のからだであり、ぶどう酒は、流される血による新しい契約(新約)を象徴していました。それ以降も、同じようにパンとぶどう酒をいただき、その意味を思い起こしなさい、というキリストの命令は、今なお、「聖餐式」として世界中の教会で守られています。(ただし、現在では多くの教会でお酒に弱い人や運転者への配慮から、ワインの代わりにぶどうジュースが用いられます。)

最後の晩餐の時を通しても、イエス・キリストが私たちに、その深い愛をあらわして下さったことを感謝します。

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:26-28、新改訳第3版)

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2008年3月19日 (水)

受難週

今週は、受難週です。「受難週(Passion Week)」とは、イースター(Easter; 復活祭)前の一週間を言います。クリスマスですら、サンタクロースと恋人たちの季節にしてしまった日本の多くの人々にとっては、イースターは、ほとんど馴染みのないイベントかもしれません。しかし、この季節は、世界中のクリスチャンたちにとり、実はクリスマス以上に重要な意味を持っているのです。

受難週の第一日目(日曜日)は、「しゅろの聖日(Palm Sunday)」と呼ばれます。この日、イエス・キリストは、十字架につくためエルサレムに入られました。3年半に及ぶ驚くべき教えと奇跡の働きを目撃した群集は、この方こそ旧約聖書を通して預言されていたイスラエル王(メシア)だと確信し、しゅろの木の枝や自分たちの上着を道に敷いて、イエスの来訪を歓迎しました。

しかし、イエスご自身は、その数日後に同じ群集に裏切られ、殺されることを知っていたのです。死地に向かうというのは、どんな気持ちだったのでしょうか。エルサレムでは、多くの人々を教え、論敵を打ち負かし、木曜夜に弟子たちと「最後の晩餐」を済ませた後、ゲッセマネの園で祈られます。それは、苦難から逃れられるようにという祈願ではなく、父なる神のご計画が成就されるように、という祈りでした。

その直後、キリストは捕えられ、翌金曜日、むち打たれた後に十字架刑となります。「十字架につけろ」と叫んだのは数日前、イエスに最大の敬意を払っていたエルサレムの群集でした。この刑の残忍さは、4年前に公開されたメル・ギブソン監督による映画「パッション(The Passion of the Christ)」に衝撃的に描かれています。「パッション(Passion)」とは、この場合、「情熱」ではありません。キリストの受難、つまり十字架刑のことです。

もしナザレのイエスが十字架で死んだだけだったら、イエスはメシア(キリスト)ではなく、「キリスト教」もキリスト教会も存在しなかったでしょう。しかし、この後、事態は人々の予想外の展開を見せることになります。そして、ゴルゴタの丘で処刑されたイエスをキリストと信じる弟子たちは、それから2000年を経た今でも世界中で20億人を数え、受難週とイースターの恵みをお祝いしているのです。

私たちは、エルサレムに主イエスを迎えた時の群衆と同様、このお方の来訪を心から歓迎し、その愛のみわざを賛美し続けていきたいですね。

「その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。』」(ヨハネ12:12-13、新改訳第3版)

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2008年3月18日 (火)

小学校の卒業式

今日は、次女の小学校の卒業式でした。午前10時からの式で、保護者は9時40分までに来て下さいとのこと。妻と長女の3人連れで歩いて行こうか、車で行こうかなどと思案をしていると、またまた急な予定が入ります。中2の長男は先週から結膜炎だったのですが、まぶたの腫れが大きくなり痛みが出てきたので、朝一番で眼科に連れて行くことになったのです。

8時半過ぎに眼科に飛び込むと、幸い、一番乗りでした。診療開始とともにすぐ診てもらい、長男を中学校に送り届けてから、すぐ近くの小学校に向かいました。保護者控え室に入ったのが、ちょうど9時30分頃。そこで妻と長女が待っていました。

式が始まると、会場の体育館に卒業生たちが入場して来ます。最近の流行はダークスーツのようで、大多数が黒や紺のフォーマルっぽい服装でした。その中に2、3人、着物の子がいました。うちの次女は、白っぽいドレスに黒いカーディガンです。ドレスは実は、先月開催されたピアノ・コンクールのために用意したもので、明後日のコンサートにも着る予定になっています。ネットで安く買ったドレスですが、3回着てくれれば、さらにお得な気がしますね。(笑)

印象に残ったのは、校長先生が話されたクラーク博士のエピソードです。(クラーク博士については、こちら参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_e0d0.html

北大の前身である札幌農学校を立ち上げるためクラーク博士が来日した際、農業試験場のあった七飯(七重)にも来訪しました。うちの子たちが学んだ小学校は、その農業試験場の事務所があった場所で、クラーク博士は当時、そこにいた人たちに次のような話をしたそうです。「失敗があっても、決してあきらめず、新しいことに取り組んでいって下さい。」

今日、同じ場所で卒業証書をもらった120人余りの子どもたちも、開拓者たちのスピリットを受け継ぎ、それぞれの未来を力強く切り開いて行ってほしいですね。神様が、子どもたち一人ひとりに「大志」を抱かせて下さり、その志を成就できるよう祝福して下さいますように。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13、新改訳第3版)

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2008年3月17日 (月)

光に照らされて生きる(ヨハネ8章)

Flower080316 もし、今の日本に「姦通罪」が残っていたとしたら、どれだけの人が有罪となり、刑罰を受けることになるのでしょうか。「姦通罪」とは、もちろん、不倫の罪です。明治体制下の旧刑法には姦通罪の規定があったそうですが、第二次大戦後、廃止されたとのこと。理由は、男女平等を定めた日本国憲法に反する、というものだったそうです。

なぜ不倫の罪を罰するのが、男女平等に反するかと言うと、既婚女性が浮気した場合、相手の男性とともに罪に問われるだけだったからです。既婚男性が浮気した場合は、何もお咎めなしです。男女平等だから、既婚男性の場合も罪に問うようにしたらどうか、という意見もあったようですが、賛成多数とはならなかったとのこと。やはり、男性側が都合のよい解決を図ったということなのかもしれません。

ヨハネ8章では、姦通の現場で捕まった女性が、イエス・キリストのもとに連れて来られます。以前、この箇所を読んだある方が、相手の男性はどこに行ったのか、と私に質問しました。聖書では姦通罪は死刑であり、それはもちろん、相手の男性にも適用されます。「容疑者」の女性は、おそらく、死刑を覚悟していたでしょう。男は、どうしたのか。捕まったのがなぜ女で、男じゃなかったのか。それは聖書に記されていないので、私には分かりません。「男は、おそらく逃げたんじゃないでしょうか」と答えておきました。(苦笑)

姦通の現場に女性だけ残し、逃げた男は卑怯です。ただ、捕まえる側が、何らかの理由で女性だけ逮捕し、男性は逃がしたという可能性もあります。男性には社会的立場があったからか、逮捕する側に貸しがあったからか、あるいはまた別の理由があったからか。これも、聖書に書いていないため、よく分かりません。

一つはっきりしているのは、この「姦淫の女」を捕まえて連れて来た人々が、何を意図していたかでした。彼らは、イエス・キリストが何と言うかを聞き、その言葉尻をとらえて告発しようとしていたのです。律法の定め通り、死刑にしなさいと言えば、被占領民の手による死刑執行を禁じていたローマ軍に逆らうことになります。死刑にしてはならないと言うと、神から与えられた律法に違反することになります。キリストが何と言うか。それだけが彼らの関心であり、女性が生きるか死ぬかは、彼らにとってはどうでも良いことだったのです。

イエス・キリストは、この場面をみごとな言葉で切り抜けます。それは、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」という言葉でした。罪とは、神様の求める完全さに達しないこと。誰も自分は完全だと人々の前で言い切ることができず、一人去り、二人去り、最後に残ったのは女性とイエス様だけでした。そこでイエス様は、「もう以前のように罪を犯してはなりませんよ」と言って、この女性を解放されたのです。

その女性は、ここで一度死に、新しい人生が与えられたようなものです。未来のない絶望的な状況からイエス・キリストによって救われ、人生に新たな希望の光が灯されました。私たちにも同じように、神様が新しい人生を与えて下さいます。救い主イエスにより、私たちの歩む道に光が灯され、進むべき方向にいつも導かれていることを感謝します。

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12、新改訳第3版)

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2008年3月14日 (金)

お留守番

Img_49901 私たちが所沢を離れた時、4歳だった長女も今年、成人となります。今回、妻と私が二人で旅行するにあたり、まず最初に相談したのは、大学1年の長女でした。中2の長男と小6の次女は留守番させなければならないので、そのお世話を、春休みで帰省中の長女にお願いしようと考えたのです。

3人分の食事作りもあるので、どんな反応かと気を遣いながらメールしてみると、なんと意外なことに、「超楽しみ~っ♪ 2人でゆっくりしちゃってぇ~っっ」という返信です。(笑)子どもたちだけのキャンプといった感覚でしょうか。一年間、自炊をし続けたのが、長女にとっては良い訓練だったようです。

出発前の金曜日の夜、いらなくなった大きなカレンダーの裏に、長女が線を引き始めました。何を書くんだろうと見ていると、3日間の5人のスケジュール表です。私と妻の留守中、長男と次女はそれぞれ別々の行動で、長女は食事作り、弁当作りをしなければなりません。その他、こまごまとした家事についても、すべて表にメモしたようです。なるほど、こうすれば分かりやすいかと、ちょっと感心しました。(笑)

それでもアクシデントはつきもので、親の留守中、ブレーカーが落ちたそうです。トイレの暖房をつけたまま、炊飯器のスイッチを入れ、なおかつオーブンを使ったとのこと。以前、同じ経験のある親二人は、もうそんなことはしないのですが、こればっかりは伝え忘れていました。戻し方は特に教えていなかったのですが、なんとか自分たちで考えて、ブレーカーをもとに戻し、電化製品を再設定したようです。

長女が作ったスケジュール表には、一番左に3日間のテーマが大きく書かれていました。「協力する、成長する、楽しむ」という目標です。子どもたちだけで過ごす3日間をも、神様は訓練の機会として用いて下さったのかもしれません。3人で互いに協力し、ほんのちょっと成長し、そしてたいへん楽しかったようです。貴重な体験を与えて下さった神様に感謝します。

「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、(創造)主があなたを訓練されることを、知らなければならない。」(申命記8:5、新改訳第3版)

(写真は、長女が作ったパエリアと野菜炒め、わかめスープ。右上にちょっと見えるのは、焼き上がったバナナブレッドを置く場所。)

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2008年3月13日 (木)

分裂と成長

90年代初頭、所沢の教会は大きな傷を受けていました。牧師が、ある問題を巡って教団理事会の決定に異を唱え、教会員たちとともに教団を脱退することを決めたのです。私は、しばらく成り行きを見た結果、フォースクエア教団にとどまることにしました。双方の主張を聞き比べ、教団側の方が筋が通っていると判断したからです。

しばらく、同じ教団に属する近くの教会に通っていると、当時の教団代表から連絡がありました。教団に残る人たちで、また新たに所沢の教会を立ち上げるので、手伝ってほしいというのです。以前の所沢教会のスタッフで教団に残ったのは、私と妻の二人だけでしたので、そうお願いされればやるしかありません。(笑)

91年の秋、再び所沢教会に集まった人々は、子どもも合わせて20人ほどでした。私は87年春、最初に教会開拓チームが集まった頃のことを思い出しました。その時も、家族の人数を含めると、ちょうど同じくらいの人数だったのです。分裂前は100名を越えていましたが、また振り出しに戻ったかのようでした。

翌年の3月に、次の牧師がハワイから赴任してきました。そして6月末までに引継ぎを終え、私たち家族は渡米します。もう、それから16年。所沢教会のメンバーも、すっかり入れ替わり、今はまったく新しい教会として着実に歩んでいます。教会の分裂は、大きな痛みをともなうものでした。しかし、その傷を神様がいやしてくださり、新しい牧師の下、所沢教会が健全に成長し、新たな実を結んでいるのを見ることは、大きな励ましです。

初代教会の時代、バルナバとパウロも、一つのチームで一緒に働く期間が終わった後、別々のチームに分かれて行動するようになります。二つに増えたチームのそれぞれの働きを、神様は豊かに祝福して下さいました。生物の細胞が分裂を繰り返し、増殖していくように、創造主なる神様が、教会の分裂をも神の国の働きを広げるために用いて下さったことを感謝します。

「…バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。」(使徒15:37-40、新改訳第3版)

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2008年3月12日 (水)

所沢

先日、妻と二人で所沢に行きました。私は礼拝でメッセージ(説教)、妻は午後の女性の集まりでお話し(証し)するため、所沢の教会が私たちを招待してくれたからです。私は会議で何度も所沢を訪れていますが、妻は私とともに渡米して以来、16年ぶりでした。

土曜夜は宿の近くのホテル・バイキング、日曜は道南に一軒もない(!)スタバで朝食と、普段とはまったく違う食事をした後、少し早めに西武線に乗りました。妻が、礼拝の前に、以前住んでいたアパートを見に行きたいと言ったからです。駅に到着後、プロペ通りの変化を眺めつつ、ダイエー方面に向かいました。

細い通りに入ると、ここには昔、クリーニング屋があったとか、自動販売機があったとか、私が忘れていたようなことを妻はよく覚えています。最初は一人で、後には長女と二人で毎日、買い物にゆっくり歩いて行ったから、通勤のため急ぎ足で駅に向かった私と違い、しっかり記憶に残っているようです。

以前住んでいたアパートは、新しくマンションに建て替えられていました。周囲も家が新築され、赤のセルボ(後にキャロル)の駐車スペースは、住宅の一部となっていました。すぐ横の公園も、なぜか滑り台がなくなっています。小学校の入り口にも、昔は二宮金次郎の像があったように思うのですが、別な銅像に変わったようです。時代の移り変わりを感じますね。

所沢は、結婚以来の5年間を過ごした街です。今、思い起こしても、激動の5年でした。牧師になるための訓練期間でしたから、苦痛に感じる経験が多かったように思います。しかし、たとえ苦しみを体験することがあっても、神様は私たちのことを決して見放さず、いつもともにいて、愛をもって支えて下さったことを感謝します。

まだまだ、神様の訓練(「懲らしめ」?)が続いているような気がしますが(笑)、いつか平安な義の実を結ぶ者となっていきたいですね。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:11、新改訳第3版)

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2008年3月10日 (月)

関係を通して成長する

私たちは、人生を通して、さまざまな人間関係に取り囲まれています。最初は親や兄弟、祖父母、親戚など。その後、近所や幼稚園、学校での友人関係、師弟関係、先輩後輩との関係等。そして、就職した後は会社の上司、同僚、部下、取引先、顧客との関係。恋人や配偶者、義父母、そして子どもたちとの関係など。数え切れないほどの出会いがあり、人間関係があります。

神様は、これらの人間関係を通して、私たちを人格的に成長させて下さいます。親の生き方を見て、子どもは育ちます。先生や友人、人生の先輩たちの言葉は、私たちに大きな影響を残します。仕事での人間関係も、私たちの生き方の方向を左右します。そして私たち自身、配偶者や子どもたち、その他多くの人々の人格に影響を与えつつ生きています。周りの人たちとの関係を通して、多くを学び、「大人の品格」を身につけていきたいですね。

使徒パウロは、クリスチャンになった後、バルナバとの関係を通して成長していきました。バルナバは、かつてキリスト教会を迫害し、人々から恐れられていたパウロを、エルサレム教会の人々に紹介し、推薦してくれました。故郷のタルソでしばらく休んでいたパウロをアンテオケ教会に招き、教師チームの一員に加えてくれました。そして、その後パウロは、バルナバとともに宣教旅行に送り出され、ローマ帝国各地に教会を開拓していったのです。バルナバとの関係がなかったら、後世に知られる偉大な使徒パウロは、存在しなかったかもしれません。

人間関係は、私たちが人格的に成長し、「キリストの品格」に近づいていくため、神様が与えて下さる必須の栄養源です。下に引用したみことばで、「友」というのは、ただ友人だけでなく、広い意味でとらえて良いと思います。さまざまな人々との関係により、私たちは「とがれ」ていくのです。そして、もちろんクリスチャンには、教会の人々との関係や最大の「親友」であるイエス様との関係を通して、「大人の品格」が少しずつ与えられていきます。

神様が、さまざまな人間関係を通し、私たちを成長させて下さっていることを感謝します。

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」(箴言27:17、新改訳第3版)

P.S. 都合により、明日の更新はお休みします。読者の皆様の上に、神様の豊かな祝福がありますように。

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2008年3月 7日 (金)

神々の正体

「創造主なる神以外のすべての霊的存在(と物的存在)は、創造主によって造られた」というのが、聖書の基本的立場です。と言うことであれば、創造主以外の「神々」は、天使や人間と同じ被造物ということになります。では「神々」の正体は、一体、何なのでしょうか。

一昨日のブログで、4種類の霊のお話をしました。創造主なる三位一体の神と人間、良い天使、そして悪い天使です。先ず明らかなことは、世の「神々」はほとんどの場合、創造主なる神とは言えません。絶対的な権威を持つ天地創造の神ではなく、神々の一人ひとりは、多くの神々がともに住む世界において相対的な権威しか持たない存在として理解されています。

「神々」は、また明らかに「良い天使たち」でもありません。「(良い)天使」の役割は、創造主なる神に仕え、その栄光をあらわすことです。神のしもべとして常に創造主をほめたたえ、その栄光を自分のものとすることがありません。つまり、「神々」のように人に拝まれることを求めはしない、ということです。

では「神々」は、人間の霊なのでしょうか。日本人は、生きている人をも「○○の神様」と呼ぶことがありますから、日本の伝統的な世界観から言えば、ある意味、この解釈は妥当と考えられるのかもしれません。しかし、人間の霊が死後、超人的、あるいは超自然的な力を人々に及ぼすという点について、聖書は否定的です。

残るのは、「悪い天使たち」、つまり悪魔(サタン)と悪霊たちです。絶対的でなく、限定的ではあるけれども超人的、超自然的な力を持ち、自分たちを敬い拝むことを要求し、創造主なる真の神(キリスト)から人々の目を離そうとする、という働きは、まさにサタンと悪霊たちのしわざに他なりません。「神々」の正体は、実は、悪しき霊だと言って間違いないでしょう。

もう一つの可能性は、「神々」が霊的存在ではない、ただの物的存在ということも考えられます。「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉があります。鰯の頭のような「物質」であっても、そこに何らかの霊的な力があると信じた時、それが信じる人にとっての「神」になります。「鰯の頭」は、どちらかというとバカにしている例ですが、これが石や木などで作った像、おふだ、神棚、仏壇等になると、ただの「モノ」として見ることができない人が多いのではないでしょうか。

聖書はもちろん、これらの「モノ」を「神々」として祀ることについて否定的です。「モノ」は、あくまでも物的存在であり、霊的存在ではないからです。もしその「モノ」に霊的力が宿っているということであれば、それは、その「モノ」自体の力ではなく、別の力が働いていることになります。それは、創造主なる神様の栄光につながらない働きであるなら、悪い霊の力ということになりますね。

イスラエルの民は、周囲の民族に影響され、異教の神々を礼拝する過ちを犯しました。その「神々」は実は、「悪霊ども」だったと聖書に記されています。私たちも、かつては知らずに同じ過ちを犯していたかもしれません。しかし、イエス・キリストを通して創造主なる神様の愛を知った今は、唯一このお方だけを礼拝していきたいですね。

「彼らは異なる神々で、(創造)主のねたみを引き起こし、忌みきらうべきことで、主の怒りを燃えさせた。神ではない悪霊どもに、彼らはいけにえをささげた。それらは彼らの知らなかった神々、近ごろ出てきた新しい神々、先祖が恐れもしなかった神々だ。」(申命記32:16-17、新改訳第3版)

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2008年3月 6日 (木)

唯一の真の神

「キリスト教は唯一神を信じているが、日本には八百万の神々がいる」と、よく言われます。砂漠地帯で生まれた一神教は、緑豊かな自然に恵まれ、どこにでも神々がいると信じられる日本の風土になじまないと言う人もいます。しかし、実は聖書の中には、創造主なる神以外の神々が登場します。

父祖アブラハムの時代から、イスラエルの民は、メソポタミアやエジプトなどの多神教の文化に囲まれていました。モーセに率いられて約束の地カナン(今のイスラエルの地)に向かった人々も、繰り返し、カナンの神々について話を聞かされています。新約聖書でも、ローマ帝国各地を旅行したパウロたちは、ギリシア・ローマの多神教文化の中で宣教活動を進めました。

ですから聖書は、創造主以外の「神々」が存在しないと言っているわけではありません。その存在については、認めているのです。重要なことは、「多くの神々がいるかどうか」とではなく、「どの神を真の神として拝むのか」という問題なのです。

この点について、聖書のメッセージは明確です。「世の中の人々は、多くの神々を信じているかもしれないが、あなたたちは偽の神々を拝んではならない。唯一の真の神、天地創造の主だけを礼拝しなさい」と、聖書は語っています。それは、すべての霊的存在を造られた創造主なる神様の真実な愛を私たちが知り、人生を通して体験していくためなのです。

イエス・キリストを通して、今、私たちが唯一の真の神を知る者とされていることを感謝します。

「 まことに、私は知る。(創造)主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。」(詩篇135:5、新改訳第3版)

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2008年3月 5日 (水)

霊の世界

私は、ほとんど無宗教の家庭で育ちました。家には神棚も仏壇もなかったし、初詣や墓参りをすることもなく、占いもたいして信じていませんでした。ましてや、霊能者に何かをお願いしに行くようなことも、全くなかったです。

ですから、極めて唯物論(物質主義)的な、つまり、目に見えるものしか信じないという生き方に近かったと言えます。ただ、それでも目に見えないものをまったく信じていなかったかというと、そうでもありませんでした。自分から積極的に買いに行くことはなくても、誰かからお守りをもらうと、大切にとっておきました。神社や仏壇、お墓等の前では手を合わせ、おみくじを引けば、その結果が気になりました。

科学万能と言われる現代日本でも、新興宗教が急成長したり、スピリチュアル・ブームが起こったりします。それは、おそらく、目に見える世界だけが全てではなく、目に見えない霊的な世界も存在している(あるいは「存在しているかもしれない」)と考える人が多いからではないでしょうか。

聖書は、「霊の世界はある」という立場であり、大きく分けて、4種類の霊が存在すると語っています。第一はもちろん、神の霊です。御霊(みたま)、聖霊(せいれい)とも呼ばれます。三位一体の唯一神ですから、聖霊は、父なる神、子なるキリストと一つであり、天地創造の神です。

第二は、人間の霊です。創造主なる神様は、人を「神のかたち」として造られました。それは「霊的な存在」、つまり、物質的な肉体以外の非物質的な「霊」をもつ存在という意味です。人間の霊は、「こころ」や「たましい」、「精神」とほぼ同じと考えてよいでしょう。

第三は、神に従う「良い天使たち」です。絵画では、天使はしばしば、羽の生えた小さな子のように描かれます。人の姿をとり、神の使者としてメッセージを伝えに来たことも聖書に記されています。しかし、通常は目に見えない霊的存在です。天使たちももちろん、すべて創造主なる神様によって造られました。

第四は、神に従わなくなった「悪い天使たち」です。堕落天使、悪霊とも呼ばれます。彼らの親玉が、悪魔(サタン)です。サタンと悪霊たちは、創造主なる神様に反逆し、人間に対する神様の祝福の計画を妨害しようとしています。

霊といっても、さまざまです。イエス・キリストは、創造主なる神様の永遠の愛を表して下さいました。その真の愛から人を引き離そうとする働きは、良い霊ではなく、悪い霊によるものです。

日本では、どうも良し悪しに関わらず、霊的存在を信じてしまう傾向があるように思えます。私たちの周りにどのような霊が働いているのか、しっかりと見極めて行きたいですね。

「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。」(1ヨハネ4:1、新改訳第3版)

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2008年3月 4日 (火)

会議

今日は一日、会議でした。牧師の世界にも、会議はつきものです。

教会組織には、多くの場合、月に1回の役員会と年に1回の教会員総会があります。総会では、1年間の行事と予算、決算の各案を承認します。役員会では、毎月の行動計画を確認し、運営状況をチェックしています。

教会が何らかの上位団体に加盟している場合には、その上位団体の会議もあります。私たちの教会は、日本フォースクエア福音教団に属しており、教団として、やはり年1回の教団総会と年数回の責任役員会(理事会)があります。その他、各教区の牧師会が、最低年4回あります。今日の会議は、これでした。

教団が、さらに上位団体に加盟している場合もあります。私たちの教団は、日本国内にある複数の超教派の団体に加わっています。また、全世界に広がるフォースクエア教団とのつながりもあります。それぞれの団体で、各種の会議があります。これらの会議にも、私に出席して下さいとお願いされることが、時折あります。

こう考えると、一年を通して、ずいぶんたくさんの会議に出ていますね。それだけ時間を使っているわけですから、有意義な会議としたいものです。

初代教会で有名な会議は、新約聖書・使徒15章に出てくる「エルサレム会議」です。この会議では、その後のキリスト教会の発展につながる、重要な決定がなされました。「イエス・キリストを信じる人は、ユダヤ人か異邦人(ユダヤ人以外の人)かに関わらず、すべて救われており、神の国の民である」ということが、確認されたのです。

この決定により、割礼を受けてユダヤ人になることに抵抗感のあった異邦人クリスチャンたちは、大いに励まされました。そして、ますます神の国の福音が、ローマ帝国内において力強く伝えられていったのです。現代の私たちも、このように大きな意味のある会議を行っていきたいですね。

このエルサレム会議の決定には、出席者の他に、聖霊が関わっていたと記されています。聖霊なる神様によって、いつも会議が導かれ、私たちの口が守られ、また良き知恵が与えられて、正しい決定を下していきたいと願っています。

「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」(使徒15:28、新改訳第3版)

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2008年3月 3日 (月)

聖霊の流れを求める(ヨハネ7章)

Flower080302 イスラエルの三大祭りについては、これまで何度か記してきました。(例えば→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/2_f4f5.html

ヨハネ7章は、そのうちの一つ、仮庵(かりいお)の祭りが舞台です。この祭りは、モーセの時代にイスラエルが経験した40年の放浪生活を思い起こすとともに、神様の祝福によって与えられた収穫を喜ぶ時でした。エルサレムの祭司たちは、一週間続く祭りの間、毎日シロアムの池から水を汲み、それを神殿まで運んで、祭壇の献げ物としたそうです。

その時、人々が朗唱した旧約聖書の一節は、イザヤ12章3節、「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」だったとのこと。これはご存知、あのフォークダンス「マイムマイム」の歌詞に他なりません。あの踊りを踊ったかどうかは、定かではありませんが。(笑)(「マイムマイム」については、こちら参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2bc4.html

祭りを通して行なわれたこの水汲みのイベントは、砂漠にあっては神様がいつも人々に水の在り処を教え、渇きをいやして下さり、約束の地では雨を降らせ、収穫を与えて下さったことを感謝する行為だったのです。

この祭りの最終日、イエス・キリストは人々に、ご自身が与える水を飲みなさいと呼びかけられました。それは、あのサマリヤの女にも語った「永遠のいのちへの水」、つまり聖霊なる神様のことでした。

キリストを信じる人は、神の霊である聖霊が心のうちに住んでいて下さいます。そして、この聖霊は、私たちの心を神様の愛で満たし、その愛が私たちの外側に流れ出すようにして下さるのです。救い主イエスを信じる私たちが今、神様の愛によって満たされていることを感謝します。その愛が、さらに私たちの周囲に及んでいくよう、祈り続けていきたいですね。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊(みたま=聖霊)のことを言われたのである。」(ヨハネ7:37-39、新改訳第3版)

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