分裂と成長
90年代初頭、所沢の教会は大きな傷を受けていました。牧師が、ある問題を巡って教団理事会の決定に異を唱え、教会員たちとともに教団を脱退することを決めたのです。私は、しばらく成り行きを見た結果、フォースクエア教団にとどまることにしました。双方の主張を聞き比べ、教団側の方が筋が通っていると判断したからです。
しばらく、同じ教団に属する近くの教会に通っていると、当時の教団代表から連絡がありました。教団に残る人たちで、また新たに所沢の教会を立ち上げるので、手伝ってほしいというのです。以前の所沢教会のスタッフで教団に残ったのは、私と妻の二人だけでしたので、そうお願いされればやるしかありません。(笑)
91年の秋、再び所沢教会に集まった人々は、子どもも合わせて20人ほどでした。私は87年春、最初に教会開拓チームが集まった頃のことを思い出しました。その時も、家族の人数を含めると、ちょうど同じくらいの人数だったのです。分裂前は100名を越えていましたが、また振り出しに戻ったかのようでした。
翌年の3月に、次の牧師がハワイから赴任してきました。そして6月末までに引継ぎを終え、私たち家族は渡米します。もう、それから16年。所沢教会のメンバーも、すっかり入れ替わり、今はまったく新しい教会として着実に歩んでいます。教会の分裂は、大きな痛みをともなうものでした。しかし、その傷を神様がいやしてくださり、新しい牧師の下、所沢教会が健全に成長し、新たな実を結んでいるのを見ることは、大きな励ましです。
初代教会の時代、バルナバとパウロも、一つのチームで一緒に働く期間が終わった後、別々のチームに分かれて行動するようになります。二つに増えたチームのそれぞれの働きを、神様は豊かに祝福して下さいました。生物の細胞が分裂を繰り返し、増殖していくように、創造主なる神様が、教会の分裂をも神の国の働きを広げるために用いて下さったことを感謝します。
「…バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。」(使徒15:37-40、新改訳第3版)
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