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2008年3月27日 (木)

聖俗革命の超克

昨日のブログで書いた「知識の組み換え」については、実は、しばらく忘れていました。日々の雑務に追いまくられ、それどころではなかった、というのが実態です。忘れていたのでは、「学なりがたし」となるのが当然ですね。(苦笑)

20数年前の心境をふと思い出したのは、昨年後半に読んだ一冊の本がきっかけでした。村上陽一郎氏による「科学史からキリスト教をみる」(創文社)という書籍です。長崎純心大学での一般向け講演会をまとめたこの本の中で、村上氏は、近代科学の成立過程とキリスト教との関係について語っています。

村上氏によると、近代科学は当初、神が創造した自然の秩序を発見するという目的を持っていたが、その後、その知識体系から創造主なる神を追い出し、神抜きですべてを説明しようとする立場に変化したとのこと。この変化を、同氏は「聖俗革命」と呼んでいます。

聖俗革命をもたらしたのは、もちろん、啓蒙主義(Enlightenment)の思想です。「啓蒙」とは「蒙(くらき)を啓(ひら)く」、つまり、「暗闇を明るく照らす」という意味。啓蒙思想家たちにとっての暗闇とは、ヨーロッパ中世のいわゆる「暗黒時代」、そしてその時代を支配していたキリスト信仰ということになるでしょう。彼らは、キリスト教が「覆い隠していた」真理を、理性の光で明らかにしようという思いを持っていたのです。

この聖俗革命により、それまで神学を中心として束ねられていた学問体系が、神抜きの、世俗化された「近代的」学問体系に再編成されていったとのこと。現代日本に生きる私たちが受けた教育は、研究対象ごとに細分化された、この「近代的」知識体系に基づいているわけです。

とすると、私が20数年前に考えていた「知識の組み換え」は、この聖俗革命とまったく逆の方向性を持った試みでした。大げさに言えば、世俗化された知識体系をキリスト信仰の立場から再編成してみようと思ったのです。25歳の私が考えていた「聖俗革命の超克」(俗聖革命?)は、身の丈をはるかに超えた、大それた知的試みだったかもしれません。しかしそれは、あながち間違った方向性ではなかったのだと、村上氏の本を通して再確認することができました。

啓蒙主義と聖俗革命は、その後、倫理観が崩壊し、人間の尊厳が否定され、人生の意味を喪失した現代社会を形成するに至ります。世の光なるキリストが今、聖俗革命がもたらした闇を再び真理の光によって照らし、私たちを暗黒の中から解放して下さったことを感謝します。

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:9&5、新改訳第3版)

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