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2008年3月20日 (木)

最後の晩餐

受難週の木曜日、今日は「最後の晩餐」の日にあたります。イエス・キリストは、この夜、いよいよ十字架につく時が迫ったことを知り、弟子たちと特別な夕食会を催しました。何も知らない弟子たちにとっては、毎年春にいつも通り行われる過越(すぎこし)の祭りの食事に過ぎなかったでしょう。エルサレムの群集に盛大に迎え入れられ、いよいよイエスが王位につく時が近いのかと期待する人も、中にはいたかもしれません。

ただ一人、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダだけが、別の計画を持っていました。彼は、イスラエルの政治的・宗教的指導者たちと通じ、イエスの逮捕に協力します。国の指導者たちは、いわば政敵として強大な影響力を持ちつつある、イエスの抹殺をたくらんでいたのです。

ユダの裏切りの真意が、どこにあったのか、はっきりとは分かりません。イエスを引き渡した代金を受け取った後、後悔して自殺したところを見ると、お金や抹殺自体が目的ではなかったようです。イエスが、ユダヤ人指導者たちやローマ軍との対決姿勢を強め、即座にイスラエル独立のための武力闘争を開始することを期待していたのでしょうか。そうだとしたら、彼はまったく師匠の心を理解していなかったことになります。

イエスは、ユダの心を知っていました。それでも最後の晩餐の前に、しもべのように弟子たちの汚れた足を洗い、あなたたちも互いにしもべのようになって仕え合いなさい、と教えられたのです。もちろん、ユダの足も洗ったでしょう。ユダにとっては、この晩餐の時が、裏切りを思いとどまる最後のチャンスだったかもしれません。弟子たち全員に対するイエスの深い愛が、あらわされた瞬間でした。

「最後の晩餐」と言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が有名です。最近は、「ダ・ヴィンチ・コード」などという荒唐無稽な小説が映画化されて話題にもなりました。(苦笑)日本では、徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に、その複製(陶板)が展示されているそうです。長女が帰省前、大阪の教会の人たちと見に行ったので、壮大な展示物の写真を見せてもらいました。

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、本当の晩餐と確実に違っている点は、第一に全員が集合写真のようにこちら側を向いていることです。通常、このように食事はしません。第二に違うのは、テーブルを前に椅子に座っていることです。紀元1世紀のイスラエルでは、寝そべって食事をしました。テーブルを囲んだのは、ルネサンス期のヨーロッパ文化だったのでしょう。寝そべったイエスのすぐ横にいたのは、もちろん、マグダラのマリアではなく、「イエスの愛された弟子」と自称した使徒ヨハネでした。

食事の最中、イエスはパンとぶどう酒の杯(いわゆる「聖杯」)をとり、その意味を説明されます。パンは、人々のためにささげられるご自身のからだであり、ぶどう酒は、流される血による新しい契約(新約)を象徴していました。それ以降も、同じようにパンとぶどう酒をいただき、その意味を思い起こしなさい、というキリストの命令は、今なお、「聖餐式」として世界中の教会で守られています。(ただし、現在では多くの教会でお酒に弱い人や運転者への配慮から、ワインの代わりにぶどうジュースが用いられます。)

最後の晩餐の時を通しても、イエス・キリストが私たちに、その深い愛をあらわして下さったことを感謝します。

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:26-28、新改訳第3版)

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