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2008年3月19日 (水)

受難週

今週は、受難週です。「受難週(Passion Week)」とは、イースター(Easter; 復活祭)前の一週間を言います。クリスマスですら、サンタクロースと恋人たちの季節にしてしまった日本の多くの人々にとっては、イースターは、ほとんど馴染みのないイベントかもしれません。しかし、この季節は、世界中のクリスチャンたちにとり、実はクリスマス以上に重要な意味を持っているのです。

受難週の第一日目(日曜日)は、「しゅろの聖日(Palm Sunday)」と呼ばれます。この日、イエス・キリストは、十字架につくためエルサレムに入られました。3年半に及ぶ驚くべき教えと奇跡の働きを目撃した群集は、この方こそ旧約聖書を通して預言されていたイスラエル王(メシア)だと確信し、しゅろの木の枝や自分たちの上着を道に敷いて、イエスの来訪を歓迎しました。

しかし、イエスご自身は、その数日後に同じ群集に裏切られ、殺されることを知っていたのです。死地に向かうというのは、どんな気持ちだったのでしょうか。エルサレムでは、多くの人々を教え、論敵を打ち負かし、木曜夜に弟子たちと「最後の晩餐」を済ませた後、ゲッセマネの園で祈られます。それは、苦難から逃れられるようにという祈願ではなく、父なる神のご計画が成就されるように、という祈りでした。

その直後、キリストは捕えられ、翌金曜日、むち打たれた後に十字架刑となります。「十字架につけろ」と叫んだのは数日前、イエスに最大の敬意を払っていたエルサレムの群集でした。この刑の残忍さは、4年前に公開されたメル・ギブソン監督による映画「パッション(The Passion of the Christ)」に衝撃的に描かれています。「パッション(Passion)」とは、この場合、「情熱」ではありません。キリストの受難、つまり十字架刑のことです。

もしナザレのイエスが十字架で死んだだけだったら、イエスはメシア(キリスト)ではなく、「キリスト教」もキリスト教会も存在しなかったでしょう。しかし、この後、事態は人々の予想外の展開を見せることになります。そして、ゴルゴタの丘で処刑されたイエスをキリストと信じる弟子たちは、それから2000年を経た今でも世界中で20億人を数え、受難週とイースターの恵みをお祝いしているのです。

私たちは、エルサレムに主イエスを迎えた時の群衆と同様、このお方の来訪を心から歓迎し、その愛のみわざを賛美し続けていきたいですね。

「その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。』」(ヨハネ12:12-13、新改訳第3版)

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