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2008年4月14日 (月)

神の栄光に期待する(ヨハネ11章)

Flower080413 どう考えてみても、明るい未来など思い描けない。将来に何の希望も持てない。そのような状況に陥る時が、ひょっとしたらあるかもしれません。長い人生、何が起こるか分りません。時には、絶望感を抱き、生きているのが嫌になるようなことも、まったくないとは誰にも言い切れないのです。

ベタニヤに住んでいた三人兄弟にも、そのような時が突然やってきました。ラザロが病気で倒れ、死んでしまったのです。マルタとマリヤの二人は、イエス・キリストにその病気を癒してほしいと願い、使いを出していました。しかし、救い主はなぜか、すぐに来ようとはされません。来られた時には、もうラザロは墓の中でした。

私たちにも、時に似たようなことが起こります。神様は、なぜ祈りに答えて下さらなかったのだろうか。なぜ、すぐに事態が好転しないのだろうか。なぜ、何も起きないのだろうか。なぜ、神様はこのようなことを許されたのだろうか。神様に聞いてみても、何も教えて下さらない。そのように感じることもあります。

しかし、どのような苦しみの中にあったとしても、ただ一つ、明らかなのは、神様が私たちをいつも愛しておられ、将来の祝福を約束して下さっているということです。ラザロも、マルタもマリヤも、イエス様に深く愛されていました。そして、すぐにラザロの病気を癒しに来られなかったことは、神様の不思議なご計画の中にあったのです。

「もっと早く来て下さったら、ラザロは死ななかったのに」と迫るマルタに対して、イエス様は、「あなたの兄弟はよみがえります」と約束されます。そして、「いのちを与えることのできるわたしを信じますか」とマルタに問われています。絶望的な状況の中、全知全能の神への信仰がゆさぶられるような試練の時、イエス様は、同じ問いかけを私たちになさるのです。「わたしを信じますか?」それは、苦難を通して私たちの信仰を試し、訓練されるためです。

死んで墓に葬られ、4日たっていたラザロ。どう考えても、その人生は、すべてが終わりでした。マルタもマリヤも、そしてそこに集った人全員が、悲しみに暮れていました。ラザロの将来は、すべて灰燼(かいじん)に帰していました。誰の目にも、少なくともそう見えました。

ところが、イエス・キリストは約束通り、このラザロをよみがえらせるのです。人にいのちを与えられる創造主なる神様にとって、死後にもう一度いのちを与え直すことは、たやすいことでした。私たちの人生にも、神様は同じような奇蹟を約束して下さいます。もう自分の人生は終わりだと思ったとしても、創造主なる神様がそう言われたのでなければ、まだまだ続きがあります。私たちが知らない祝福の「サプライズ」を、神様は密かに用意しておられるのです。

創造主なる神様が、私たちの人生を天の栄光で輝かせて下さいます。その思いもよらない祝福のご計画に期待していきましょう。自分で勝手に終わりを告げてはなりません。終わりの時は、神様が定められているのです。

「イエスは…言われた。『この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。』」(ヨハネ11:4、新改訳第3版)

P.S. 都合により、今週の更新は本日のみとし、明日以降はお休みします。また来週お会いしましょう。「lifestream community」読者の皆様の上に、創造主なる神様の祝福が豊かにありますように。

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