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2008年4月 2日 (水)

使徒と預言者

20世紀前半の神学論争は、「現代にも奇跡はあるか」とか、「異言(神が超自然的に与えた特別なことば)や神癒(奇跡的ないやし)は本物か」とか、「聖霊は今も聖書時代と同じように働かれるか」というようなテーマだったようです。ペンテコステ・カリスマ運動の拡大は、大きな神学論争を引き起こしました。

しかし、世界的に見れば、この論争はほぼ収束してきたようです。聖霊は、今も昔と同様に働かれ、聖書に記されている通り、奇跡も神癒も異言も存在するという認識が、世界各地の教会に広まってきました。日本ではまだ名残がある福音派とペンテコステ・カリスマ派の垣根は、海外ではもはやほとんどないようです。

20世紀末から現在に至る神学的テーマは、いわゆる「五職」でしょうか。教会には、五種類のリーダーが与えられていると、聖書に記されています。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の5つです。

「教師」は、一番、分かりやすいですね。聖書で言う「教師」は、学校の先生ではなく、聖書の真理を理解しやすいように教える人です。「牧師」は、教会に集まる人々の実際的なお世話や心のケアをし、人々の人格的成長を助ける人。「伝道者」は、クリスチャン以外の人々にイエス・キリストを紹介し、信仰に導く人です。ここまでは、特に論争の種になるような内容はありません。

問題は、預言者と使徒です。預言者は、神から直接語られたメッセージを預かり、人々に伝える人のこと。現代にも預言者がいるかどうかは、現代も、創造主なる神様が人々に直接的に語りかけることがあるかどうか、という理解にかかっています。もちろん、私たちの教会では、神様は今でも直接的に語りかけられると信じています。しかし、そう信じていない教会も、あるようですね。

使徒とは、もともとはイエスの十二弟子のこと。その職名は、後にバルナバとパウロについても用いられています(使徒14:14)。パウロは、イエス・キリストの直弟子ではありませんが、ローマ帝国内に異邦人教会を数多く生み出し、「異邦人の使徒」と自称しています。ということであれば、パウロのように新たな教会を次々に生み出し、それぞれ牧師を任命して教会のネットワークを広げていく働きをする人のことを、「使徒」と呼ぶこともできるはずです。

カトリック教会では、フランシスコ・ザビエルが「東洋の使徒」と呼ばれ、正教会ではニコライ・カサートキンを「日本の亜使徒」と呼んでいるようです。「亜使徒」とは、「使徒に等しい働きをした人」という意味だそうです。

プロテスタント教会では、「使徒」という呼称は長く使われなかったようですが、考えてみると、マルティン・ルターやジャン・カルヴァンは、「宗教改革の使徒」と呼んでも良いだけの働きをしています。それに先立つジョン・ウィクリフやヤン・フスは、「宗教改革の預言者」と呼んでも良いのではないでしょうか。

誰も彼もを「使徒」と呼んだり、自分のことを「使徒」と呼べというような高ぶった態度には、問題があります。しかし、一つの教会に責任を持つ牧師以外に、多くの教会を生み出し、牧師のネットワークを築く働きをする人が現在もいることは確かです。そのような人のことを、「使徒的な働きをする人」として認めることは、聖書に沿った考え方だと私は思います。

現代においても「使徒」や「預言者」の働きがさらに神様に用いられ、世界各地に福音が宣べ伝えられ、教会のネットワークが広がっていってほしいですね。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:11-13、新改訳第3版)

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