« 平和の祈念 | トップページ | 証人 »

2008年4月23日 (水)

伝道

明日は、ある教会で伝道についてのお話をする予定になっています。伝道とは、文字通り、「道」を伝えること、そして「道」とはイエス・キリストとその教えのことです。

十字架の後、よみがえられたキリストは、弟子たちに重要な使命をゆだねられました。イエスが創造主であり、神の国の王であり、救い主であるという「良い知らせ(福音)」を世界中のすべての人に伝え、キリストの教えを忠実に守る新たな弟子たちを育てなさいと命じられたのです。

この「大宣教命令」に従った弟子たちは、師であるキリストがいのちを捧げられた姿に範をとり、命がけで世界各地にこの「福音」を伝えに行きます。なぜ命がけになったかと言うと、それを「良い知らせ」とは受け取らず、自分たちの立場を脅かす「悪い知らせ」と考える人たちが多くいたからでした。

「福音」は、それを喜んで受け取る人と受け取らない人がいます。キリストは、すべての国の人々に福音を伝えなさいと命じられました。しかし、残念ながら、すべての人々がそれを喜んで受け取るとは約束されていません。どのような受け取り方をするかは、人それぞれです。

一生懸命、愛をもって伝えようとしても、その思いを受け取ってもらえないのはつらいものです。そして、喜んで受け取ってもらえなかった時、多くの場合、クリスチャンは責任を感じ、自分を責める傾向があります。しかし、もしきちんと伝えたのであれば、本当の責任は、受け取らなかった側にあります。

初代教会最大の「伝道者」であった使徒パウロでさえ、彼が伝えた福音を受け取らなかった人たちが大勢いました。私たちは、結果の良し悪しにかかわらず、ただ自分に与えられた「伝道」の使命を忠実に果たしていけば良いのでしょう。

イエス・キリストを信じるのは、説得力ある人の言葉によるのではありません。私たちが「福音」を語る言葉を用いて、人の心に直接ふれて下さる、聖霊なる神様の働きなのです。伝道は、人の力でなされるのではありません。創造主なる神様がなされる超自然的な働きなのです。

「…聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(1コリント12:3、新改訳第3版)

P.S. 都合により、明日の更新はお休みします。

|

« 平和の祈念 | トップページ | 証人 »

スピリチュアル」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 伝道:

« 平和の祈念 | トップページ | 証人 »