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2008年4月11日 (金)

「東洋の使徒」ザビエル

プロテスタント運動がドイツ、フランス、北欧、スイス、イギリス、スコットランド、オランダへと拡大する中、カトリック教会内に改革刷新運動が起こります。教会の世俗化と堕落を反省し、聖職者の規律が厳格化され、小教区の重要性を確認し、教育に力を入れるようになったとのこと。祈りと黙想を通して、個々人の信心を深めるという新たな潮流も広がっていきました。

そのような時、イエズス会が発足します。創立者はスペイン・バスク地方出身のイグナチオ・デ・ロヨラ。戦争で負傷した後、アッシジのフランチェスコの伝記を読み、海外宣教のビジョンが与えられたそうです。洞窟で黙想していると、イエス・キリストの姿を心の中に繰り返し見るという体験もしました。霊的訓練について記した彼の著書「霊操」は、イエズス会士の基本図書となりましたが、ロヨラが体験した創造主なる神との深い人格的交わりが土台になっているのでしょう。

1534年にイエズス会が創立された時、フランシスコ・ザビエルはその初代メンバーでした。彼もやはりスペインのバスク地方出身。戦乱に翻弄される少年期を過ごした彼は、司祭だった叔父の影響から、カトリック教会の聖職者を目指します。パリ大学留学中にロヨラと運命的な出会いを果たし、これが彼の将来を決定づけました。

ザビエルは、ポルトガル王ジョアン3世の要請により、植民地だったインドのゴアに初代宣教師として派遣されます。ゴアを拠点としてインドや東南アジア各地で宣教し、1549年、日本を訪れました。来日は、マラッカにいた鹿児島出身のヤジロウという日本人との出会いがきっかけです。これも、神様が導かれた運命的出会いだったのでしょう。

日本滞在はたったの2年でしたが、その後の日本におけるカトリック宣教の基礎を築き、キリシタンは爆発的に増加します。その勢いは、江戸幕府による徹底的な迫害により宣教師たちが追放され、日本人キリシタンの多くが殉教し、あるいは「隠れキリシタン」として地下に潜伏するようになるまで続きました。

ザビエルはその後、日本文化に多大の影響を与えている中国での宣教を目指しますが、旅の途中で病に倒れ、天に召されます。46歳でした。「使徒(apostolos)」とは、もともと「遣わされた者」という意味ですが、ザビエルはアジアに派遣された宣教師として、まさに「東洋の使徒」と呼ばれるにふさわしい働きをしたと言えるでしょう。

「フランシスコ」とは「自由な人」、「ザビエル」とは「新しい家」という意味があるそうです。ザビエルは、イエス・キリストが与えられる自由に基づいた、新しい「神の家」をアジアに築こうとしたのでしょうか。キリストを信じる私たちが今、「神の家」、「神の家族」とされていることを感謝します。

「…キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。」(ヘブル3:6、新改訳第3版)

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