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2008年4月 4日 (金)

「預言者」フス

「『預言者』フス」なんて書くと、かなり怪しげですが(笑)、昨日の宗教改革前夜の話の続きです。

「預言者」ウィクリフの「叫ぶ声」は、イギリスからドーバー海峡を越え、遠くボヘミア(チェコ)にまで届きました。イギリスでは、フランス国王の言いなりになるローマ教皇や複数並立する教皇たちへの不信感が強まったとのことですが、ボヘミアでは、神聖ローマ帝国の支配に反発する民族意識が生じ、カトリック教会を見る目も厳しくなっていたようです。

ボヘミアのヤン・フスは、プラハ近郊に住む貧しい家庭に生まれました。若いヤンは、聖職者を目指し、プラハ大学を卒業。後に同大学の学長となっています。ヤンの学生時代、神聖ローマ皇帝でボヘミア王だったカール4世の娘アンが、イングランド王リチャード2世と結婚します。これを機に両国の交流が深まり、ウィクリフの著作がボヘミアに紹介されたとのこと。神様は、人々にメッセージを伝えるため、王家の婚礼をも用いられたようです。

ウィクリフに感化され、カトリックの教会改革を目指したヤン・フスの教えは、当時のローマ教皇庁には受け入れがたいものでした。最も論議の的となったのは、後のルターの時代にも問題となる「贖宥状(免罪符)」の販売です。カトリック教会は、十字軍の遠征費用をまかなうため、購入すれば罪の償いが軽くなる「証明書」を売り始めたのです。これは、聖書に記されるイエス・キリストの教えに、明らかに反していました。

フスは、贖宥状に反対し、十字軍に反対し、さらに教会のかしらはキリストであり、教皇の存在は有害無益であるとまで言い放ちました。裁判でも決して発言を撤回しなかったフスは、「異端の主謀者」という烙印を押され、火刑に処せられます。処刑日は、1415年7月6日。ルターによる宗教改革運動の、ほぼ100年前の出来事です。

フスの信仰を受け継いだタボル派は、後にボヘミア兄弟団というグループを作り、そこからモラヴィア兄弟団という教会が生まれます。この教会はキリスト教会史上、最も宣教活動に熱心な教会の一つとなり、メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーにも影響を与えました。現代の学校教育のしくみを提唱した教育者コメニウスも、モラヴィア兄弟団の一員。フスが命懸けで伝えた「預言」、創造主なる神様のメッセージは、プロテスタント教会運動と現代社会のあり方に、しっかりと受け継がれていくことになります。

私たちは、どんな状況にあったとしても、語るべきことははっきり語らなければいけませんね。人目を恐れ、妥協する生き方は、私たちに尊いいのちを与えて下さった神様を悲しませることになります。私たちを限りなく愛し、見守っておられる神様は、私たちのどんな生き様を喜んで下さるのか、いつも心にとめていきたいものです。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19-20、新改訳第3版)

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