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2008年4月10日 (木)

「使徒」カルヴァン

来たる2009年は、プロテスタント日本宣教150周年、函館開港150周年と記念行事が重なっているなと思っていたら、カルヴァン生誕500周年にもなるそうです。世界中のプロテスタント教会が、さまざまな記念行事を計画しており、また記念賛美歌とカルヴァンの今日的意義に関する「新しく驚くべき観点を提供する興味深く、内容があり、人の心をとらえる説教」を募集中とのこと。どんな歌と説教が選ばれるのか、たいへん「興味深い」ですね。

ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)は1509年、フランスに生まれました。英語では、ジョン・カルヴィン(John Calvin)と呼ばれます。父は弁護士で教会行政の役職も持ち、裕福な暮らし向きだったようです。ジャンは、教会から奨学金をもらい、最初は神学の勉強をしていましたが、父がカトリック教会を離れた後、法学に転向し、博士号を取得します。この進路変更は、この後の彼の生き方、考え方を象徴する出来事だったように思えます。

1533年頃、カルヴァンは突然の回心を経験します。カトリックの教えを固く信じていた彼の心を、創造主なる神様がある時、突然とらえられ、整えられ、従順にして下さったそうです。まるで、使徒パウロの回心のようです。このカルヴァンの特別な回心体験は、その後、「神の選び」を強調する彼の神学(「予定説」)の基礎を形作っていくことになります。

フランスでは、プロテスタント迫害の嵐が吹き荒れていました。身の危険を感じたカルヴァンは亡命し、スイスのバーゼルで「キリスト教綱要」を出版します。独自の聖書研究から宗教改革の意義を体系的にまとめ、フランスのプロテスタント運動について理解を求めたいというのが、執筆の目的だったようです。26歳の時、ラテン語で書かれたこの著作は、本人も驚くほどの大ベストセラーとなり、カルヴァンは一躍、プロテスタントの理論的指導者と見なされるようになりました。

1536年、ジュネーブの夜。旅の途中に立ち寄ったカルヴァンのもとに、ジュネーブの改革者ギヨーム・ファレルが訪ねて来ます。それは、神様が導かれた運命的な出会いでした。ファレルの要請に応え、カルヴァンはジュネーブにおいて、「プロテスタント都市」の建設を目指します。それは聖書信仰に基づき、一切の妥協を排除した、切迫感をともなった町づくりでした。

カルヴァンは、新たな「組織神学」のモデルを作り、プロテスタント神学の基礎を築きました。彼が組織化した長老を中心とする教会制度は、改革派(長老派)教会として世界中に広がっていきます。フランスのユグノーやイギリスのピューリタンも、この改革派の流れです。教会と国家の代議制度は、民主主義の発展にも影響を与えました。教育の奨励は、新世界(アメリカ)でのカレッジ新設運動につながります。そして、神の召命による職業と勤労という考え方は、かのマックス・ウェーバーが指摘した通り、資本主義の発達に寄与しました。

カルヴァンの生涯は、彼を選び、召し、プロテスタント運動を推進する使徒的な働きをゆだねて下さった創造主なる神様に、すべてささげられていました。すべては、「神の栄光」のためだったのです。私たちも、自分たちの栄光を求めるのではなく、イエス・キリストのいのちの代価をもって罪の中から救って下さった、神様の栄光を求める生き方をしていきたいですね。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(1コリント6:19-20、新改訳第3版)

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