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2008年5月

2008年5月30日 (金)

会衆派

「会衆(かいしゅう)」という言葉は、クリスチャンになるまでは、あまり使う機会がなかったように思います。記憶が確かなら、クリスチャンになりたての頃、教会で英語資料の翻訳を依頼され、「congregation」という見たこともないような単語を辞書で調べました。文脈の中では、「礼拝出席者」という意味で使っていたと思いますが、正式な教会用語では「会衆」という日本語になります。

教会における階層的な監督制度に疑問を持てば、階層的組織を認めない教会が出てきても不思議ではありません。特に17世紀のイギリスにおいては、国王や議会の方針によって国教会の方向性が左右されたため、政治から独立した教会のあり方が模索されました。

教会は、監督(主教)や長老によって運営されるのではなく、クリスチャン一人ひとりの集まりである「会衆」によって自治的に運営されるべきだ、と考えた人々が、「会衆派」の始まりとなります。1620年にメイフラワー号でアメリカに渡ったピルグリム・ファーザーズ(直訳すると「巡礼の父祖たち」)も会衆派。バプテスト教会もこの会衆派から派生し、クェーカー(フレンズ派)も思想的にはこの流れになるでしょう。

イギリスでピューリタン(清教徒)革命を率いたオリバー・クロムウェルは、会衆派です。新大陸ではニューイングランドに移住した人々が理想的なコミュニティづくりを目指し、ハーバード大学、イェール大学、アマースト大学等を設立しました。

明治初期の日本に、教育者として招聘された二人の米国人も、会衆派でした。一人は、札幌農学校に招かれたウィリアム・スミス・クラーク博士。彼は、アマースト大学教授時代に新島襄を教えています。南北戦争時には、北軍少佐として従軍。かつて軍人だったことで、招聘した明治維新の元勲たちや学生となる旧士族の子弟たちとの相性が良かったのでしょう。

もう一人は、熊本洋学校に招かれたリロイ・ランシング・ジェーンズです。彼はウェストポイント(米陸軍士官学校)卒業後、やはり南北戦争に北軍将校として従軍、母校の士官学校講師もしていたそうですから筋金入りです。札幌農学校は、北海道開拓という中央政府の意向を反映した学校でしたが、熊本洋学校は、薩長土肥の動きに一歩遅れた熊本の人々が、青年教育に力を入れたという背景があるようです。

クラークの弟子たちは「札幌バンド」、ジェーンズの弟子たちは「熊本バンド」と呼ばれ、ヘボンらの弟子である「横浜バンド」とともに、日本プロテスタント宣教初期の三大クリスチャングループとなっていきます。しかし、横浜バンドが長老派、改革派の宣教師たちによって生み出されたのに対し、札幌バンドと熊本バンドは、会衆派の一般信徒(つまり牧師、宣教師資格を持たない人)から始まりました。この違いは、3つのグループのその後の動きに少なからず影響を与えたように思えます。

札幌バンドは、クラーク博士帰国後、監督派の宣教師たちとウマが合わず、内村鑑三は無教会主義を唱え、新渡戸稲造はクェーカーとなります。熊本バンドは、新島襄が創立した同志社に合流し、新島とともに会衆派(組合派)教会を築いていきます。会衆主義のリベラルな傾向は、後に「新神学」と呼ばれる自由主義神学と結びつき、世界各国、そして日本においても、キリスト教界を二分する大きな神学論争へと発展することになります。

ちなみに、私が学んだ神学大学院の卒業式は、カリフォルニア州パサディナ市のキャンパスに隣接する巨大な会衆派教会の会堂で行われました。1896年に開拓された教会は、1980年代に教会員が3,500人を超え、4千人以上を収容する会堂を建設したそうです。

明治以降、キリスト教の諸教派がいっせいに押し寄せた日本では、何派と言ってもなかなか理解されにくいところがあります。日本に生きるクリスチャンは、何派であっても、神様から選ばれた「万人祭司」の一人として、創造主なる神様の愛を宣べ伝える者となっていきたいですね。それは監督、牧師、長老、会衆という立場の違いに関わらず、すべてのクリスチャンの使命です。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(1ペテロ2:9、新改訳第3版)

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2008年5月29日 (木)

監督派

昨日のブログに書いた長老派(Presbyterian)の教会は、カトリック教会の階層的な監督制度が聖書的でないと主張したカルヴァンから始まっています。改革派教会(Reformed Church)と呼ばれることもあります。

これに対して東方正教会、カトリック教会、英国国教会、そして国教会から自然発生的に枝分かれしたメソジスト教会、ホーリネス教会、ペンテコステ教会の多くは、監督制をとっているようです。

監督制とは、簡単に言うと、各教会の牧師や長老の上に置かれる指導者を認める制度のこと。教会によって、司教や主教、監督(英語では"bishop")、あるいはただ機能的に「教区長」などと、さまざまな呼び名が用いられます。要するに、牧師の牧師にあたる監督者を組織として認めるという制度です。

最近では、「使徒」という役職名を用いるケースもあり、論議を呼んでいます。時折耳にする「バルナバ牧師」、「ネットワーク牧師」といった役職も、おそらく「牧師の牧師」としての働きであり、あまり階層的なニュアンスはないかもしれませんが、機能的には似ている部分があるのではないでしょうか。

ただ、「監督派教会(Episcopal Church)」と言うと、通常は、英国国教会(Church of England)の世界的ネットワーク(アングリカン・コミュニオン)である「聖公会」のことを指します。日本には、日米修好通商条約締結の翌1859年、米国監督教会からチャニング・ムーア・ウイリアムズ宣教師が派遣され、長崎、大阪、東京で宣教し、東京築地に立教学校(現在の立教大学)を開設しました。長老教会のヘボン宣教師来日も1859年であり、来年はちょうど宣教150周年にあたります。

私の妻は、かつて留学した頃、米国テネシー州の監督教会の礼拝に出席したことがあるそうです。台本のような交読文があり、立つ時も座る時もすべて指定されていて、礼拝最後の聖餐では、丸いウェハーのような「パン」を牧師が信徒一人ひとりの口の中に入れたそうですから、カトリックのミサのようですね。

私たちの教団は、ペンテコステ派ですから、基本的には監督制です。ただ実際には、教会ごとの独自性がかなり尊重されているので、長老派あるいは会衆派的な教会運営がなされている部分もあります。もちろん、礼拝はミサのようではなく、もっと賑やかで自由度があります。

私個人としては、一人ひとりの牧師には公式、非公式のどちらにせよ、上に立つ監督者が必要なのではないかと痛感しています。初代教会の時代には、使徒たちが牧師や長老たちを指導していました。現代の牧師たちにとっても、彼らの霊的ケアに心を砕き、その健全な成長を助ける「牧師の牧師」たちの存在は、大きな意味を持つのではないでしょうか。

いずれにせよ、監督や牧師の条件は、第一に品性です。リーダーは、自分と同じレベルまでしか人を育てられません。監督や牧師の品性に問題があれば、教会も品性の問題に手をつけられないことになります。監督、牧師、長老、その他教会のリーダーとされている人は、何よりキリストの品性に近づいていくことを祈り求めていきたいですね。

「『人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである』ということばは真実です。ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──

また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。」(1テモテ3:1-7、新改訳第3版)

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2008年5月28日 (水)

長老派

昨日は、長老教会のサラ・C・スミス宣教師が、函館でメソジスト教会の女学校設立に「感化された」のではないかと書きました。しかし、ひょっとしたら「感化」ではなく、「触発」だったかもしれません。メソジスト教会が函館の女学校なら、長老教会は札幌にという流れだったとも考えられます。

私の妻はかつて、「赤毛のアン」の大ファンでした。私はまったく読んだことがないのですが、妻によると、アンは長老派の教会に通い、その教会には素晴らしい牧師夫妻が赴任してくるとのこと。対照的に近くのメソジスト教会の牧師については、とやかく言う年配女性が長老教会の中にいたそうです。

とやかく言う人は、どこにでもいるので、あまり気にする必要はありません(笑)。ただ、手元にある教会史のクラスの資料によると、長老派の牧師は概して高学歴だったのに対し、メソジスト派は牧師資格を持たない(つまり、神学の学位を取得していない)人も説教者として用いられたそうです。

このメソジスト派は、米国独立時には一番小さなグループだったのが、19世紀半ばには米国で最大の教派となったようです。長老派は、会衆派についで2番目だったのが、3番目のグループとなりました。この辺が、教派や教会間の関係に微妙に影響していたかもしれませんね。ちなみに、「赤毛のアン」の著者ルーシー・モード・モンゴメリは、長老派教会の牧師夫人でした。

長老派は、カルヴァンによる宗教改革に端を発する由緒正しい教会です。ジョン・ノックスらの働きによりスコットランドに根付いた長老派の信仰は、アイルランドにも伝わり、その後、多くの信徒たちが北米に移住します。18世紀に長老教会で起きたリバイバル(信仰復興運動)は、米国の教会を再生させる大覚醒(Great Awakening)へとつながり、また第二次大覚醒の時には、長老派でキャンプミーティング(天幕集会)が始まったそうです。

日本に来た長老派教会の宣教師で、最も有名なのは、おそらくジェームズ・カーティス・ヘボン(ヘップバーン)でしょう。医療伝道を志して1859年、神奈川に上陸。ヘボン式ローマ字を考案し、辞書や日本語訳聖書出版に関わり、また明治学院の初代総理となりました。

一方、韓国に伝わった長老派の信仰は、日本占領時の迫害を耐え忍び、現在、韓国のキリスト教界において最大のグループとなっていると聞きます。日本各地に「ラブ・ソナタ」という大集会を展開中のオンヌリ教会(ハ・ヨンジョ牧師)も、長老派ですね。ハ・ヨンジョ牧師は「人格的な聖霊」を慕い求め、使徒たちの時代と同じような教会を形成していくことを目指しているようです。

使徒パウロは、ローマ帝国内に新たな教会を次々と生み出し、それぞれの教会に長老を任命しました。弟子のテトスに対しても、クレテ(クレタ)島の教会で長老を任命するよう書き送っています。それらの長老たちは、必ずしも高学歴の人たちばかりではなかったでしょう。一番の条件に挙げられているのは、品性です。

私たちも、自らの品性が神様によって変えられていくことを求めていきたいですね。

「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。それには、その人が、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、その子どもは不品行を責められたり、反抗的であったりしない信者であることが条件です。」(テトス1:5-6、新改訳第3版)

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2008年5月27日 (火)

ライラックと北の星

Flower080522 先週、札幌に行くと、ライラック祭りが始まったところでした。暖かな日差しの下、大通公園では海外から来た(?)ミュージシャンたちが路上ライブをし、彼らを囲むように人だかりができていました。時間がなかったので、私は急いで通り過ぎただけでしたが、のんびりと日向ぼっこも良かったでしょうね。

かつて、ほとんど花に関心のなかった私は、ライラックがどんな花かもよく知りませんでしたが、大通で薄紫の花がたくさん咲いているのを見ると、いくらなんでも分かります。(ちなみに、わが家の庭にも毎年、白いライラックが咲いています。 笑)七飯に帰ってから、ネットでライラック祭りをググッてみたら、何と、キリスト教宣教と関わりのあることが判明しました。

札幌にライラックの苗木を持ち込んだのは、米国ニューヨーク州のエルマイラ第一長老教会から宣教師として派遣されたサラ・クララ・スミス女史とのこと。彼女はもともと小学校の教師でしたが、兄が牧師就任直後に病死したことが宣教師として召命を受けるきっかけになったそうです。スミス女史は、1880年来日。東京から函館に向かい、その後、女学校創立のビジョンに燃え、7名の少女を連れ、札幌に移り住みました。

函館では、今の函館相生教会を助け、日曜学校を開いていました。ちょうどその頃、函館ではメソジスト教会のフローラ・ハリス宣教師夫人の私塾が発展し、関東以北で最初の女学校(今の遺愛学院)としてスタートしたばかりでした。そのような動きに、おそらくスミス女史も感化されたのでしょう。(遺愛学院については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2bd1.html

札幌ではクラーク博士の弟子たちである佐藤昌介、大島正建、宮部金吾、新渡戸稲造などのクリスチャンの支援を得、1887年に女学校を開校。「スミス女学校」という校名は、後に新渡戸の助言などをもとに「北星女学校」と改名されました。現在の「北星学園」です。

学校の運営資金を募るため一時帰国した際、スミス女史は、自宅からライラックの苗木を持ち帰り、女学校と北大植物園に植えたのだそうです。花言葉は「友情」、「思い出」など。ライラックを見ながら、友なるイエス・キリストを思い、異国の友人たちを喜び、また故国と宣教地のよき思い出に感謝したのでしょうか。

「北星」の校名は、「暗い世にあって星のように輝きなさい」という聖書のことばに由来するようです。もちろん、それは学生たちのために選んだ言葉です。しかし、きっとスミス女史自身が、男尊女卑の気風の残る明治時代、最果ての地に生きる少女たちに希望の光を照らし、夜空の星のように明るく輝いていたに違いありません。

1795年に設立されたエルマイラ第一長老教会のホームページには、札幌に派遣され、女学校を創設した宣教師として、今でもサラ・C・スミス女史の名前が紹介されています。派遣教会の人たちにとっても、彼女は輝ける「北の星」だったのでしょう。

私たちも、暗い世に光を輝かせる生き方をしていきたいですね。

「それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ2:15-16、新改訳第3版)

「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」(フィリピ2:15-16、新共同訳)

(写真は、先週の大通公園)

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2008年5月26日 (月)

喜びに満たされる(ヨハネ16章)

昔、「イエス・キリストは笑ったか」という神学的議論について、耳にしたことがあります。福音書を読む限り、イエス・キリストが悲しまれたり、泣かれたり、怒られた記述はありますが、笑ったと明確に記されている箇所は、確かに思い浮かびません。普通の人間とは違ったキリストの神聖さや気高さを特に強調したい人たちは、救い主が笑う場面など、なかなか想像できないかもしれません。

しかし創造主なる神様は、被造物である私たちを喜ばれるお方です。人類の代表として地上に生きたキリストが、ヨルダン川で洗礼を受けられた時、父なる神様は「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と告げられました。その時、聖霊が下り、イエスはその後、神の御霊に満たされてその働きを進められました。

「喜び」は、「御霊の実」の一つですから、イエス・キリストは喜びに満たされていたはずです。喜びに満たされていながら、無表情で決して笑わなかったとは考えにくいですね。外側にも溢れ流れるような喜びがキリストの心のうちにあったとしたら、きっと愛に満ちた輝くばかりの笑顔で、傷ついた人々の心をいやし、魅了していたのではないでしょうか。

救い主イエスを信じ、聖霊が心に住まわれる私たちは、神様が喜びで満たして下さることを約束されています。聖霊に浸され(バプテスマを受け)、聖霊に満たされる人は、天上の喜びが心の奥底から溢れ流れるのです。私たちは、そのような喜びに満ちた人生を生きていきたいですね。そして、その天上の喜びを周りの人たちとも分かち合うことができるよう、祈り求めていきましょう。

「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(ヨハネ16:24、新改訳第3版)

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2008年5月23日 (金)

人生を導く5つの目的

今週は、本の紹介シリーズのようになっているので、ついでにもう一冊ご紹介します。

私はこれまで、さまざまな分野の本を読んできましたが、クリスチャンか聖書に関心のある人に対して、聖書以外に良書を一冊薦めるとしたら、リック・ウォレン牧師の「人生を導く5つの目的」を選ぶ可能性が高いように思います。

この本は、日本語では「自分らしく生きるための40章」というサブタイトルがついていますが、英語の原書では、「What on Earth Am I Here For?」となっています。「自分は一体、何のためにここにいるのか?」という意味ですね。実は私は、邦訳版が出る前、英語版を先に読んだのですが、このサブタイトルが好きでした。

この本は、400ページを超える大著ですが、40日間で少しずつ読み進めることを通し、自分は何のために生きているのかを考えていくというスタイルをとっています。

人生には5つの目的があると、著者は記します。第一は、創造主なる神の親友となり、神を礼拝すること。第二は、神の家族となること。第三は、キリストのようになること。第四は、神に仕えること。そして第五は、神から与えられた使命を果たすこと、です。

世に流される生き方をしていれば、人生の目的を見失ってしまいます。私たちを創造して下さった神様は、どのような目的をもって私たちを造られたのかを悟り、しっかりとした目的意識のある人生を歩んでいきたいですね。

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2、新改訳第3版)

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2008年5月22日 (木)

聖書・知れば知るほど

今日は、またバタバタしているうちに時間がなくなってしまったので、昨年いただいた本をご紹介します。

「聖書 知れば知るほど」という、実業之日本社から出ている本です。旧・新約両聖書に記される歴史上のエピソードや例え話などを、分かりやすく解説しています。日本人は、一般的に聖書の内容をよく知らない人が多いので、このような解説書は、読みやすいのではないでしょうか。

全部で6章から構成され、第一章は「天地創造とイスラエルの民」、第二章は「モーセと十戒」、第三章は「イスラエルの歴史と英雄たち」、第四章は「イエス・キリストの誕生と伝道」、第五章は「イエスの十字架と復活、キリスト教の広がり」、第六章は「イエスのたとえ話」となっています。

聖書を知るには、もちろん直接、聖書を読むのが一番良いのですが、何も予備知識がないと、分かりにくいこともたくさんあります。このような解説書も、あると便利ですね。

この本の最後は、「種を蒔く人」の例え話で締められています。神様のみことばを聞いて悟り、多くの実を結ぶ者となっていきたいものです。

「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイ13:23、新改訳第3版)

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2008年5月21日 (水)

リーダーシップと誠実さ

先日、首都圏に出張する際、函館空港の書籍コーナーをうろうろしていたら、ジョン・C・マクスウェルの「あなたがリーダーに生まれ変わるとき」(ダイヤモンド社)という本を見つけました。英語の原書「Developing The Leader Within You」は、友人が持っていたので知っていましたが、翻訳が出ていたとは知りませんでした。

ジョン・C・マクスウェルは、メソジスト教会の牧師家庭に生まれ、フラー神学大学院で牧会学博士号(Doctor of Ministry)を取得し、25年以上牧師をしていたようです。その後、リーダーシップ論の専門家として講演や研修活動に専念するようになり、その著書は1,300万冊以上を売り上げ、全世界で200万人以上のリーダーを訓練してきたとのこと。

セミナー受講者たちは、フォーチュン500企業、米国陸軍士官学校、NBA、NFLなどのスポーツ機構、各国の政府関係者にまで及んでいるそうです。まさに、現代リーダーシップ論の権威と言えますね。

私は以前に、「統率者の哲学(The 21 Irrefutable Laws of Leadership)」と「リーダーシップ・人間力の鉄則(The 21 Indispensable Qualities of Leadership)」を購入し、読んだことがありました。聖書の話を前面には出していませんが、聖書的なリーダーシップの原則がまとめられており、たいへん勉強になりました。

今回購入した「あなたがリーダーに生まれ変わるとき」は、リーダーシップの原理原則を紹介し、読んだ人がリーダーとなるための潜在能力を解き放つようになることを執筆の目的としています。

「リーダーシップとは影響力である」という定義から始まり、優先順位、誠実さ、徹底した変革、問題解決、心構え、人材育成、ビジョン、自己規律、スタッフの育成という全10項目について記してあります。

特に「誠実さ」は、やはり英語では「INTEGRITY」ですが、リーダーシップの最も重要な構成要素とされ、その理由として次の7つが列挙されています。(1)誠実さが信頼を育てる、(2)誠実さには大きな影響力がある、(3)誠実さは志の高い規範を生み出す力になる、(4)誠実さはイメージでなく確かな評判を生み出す、(5)誠実さは自分自身の生き方を変える、(6)誠実さは信頼できる人物になるための力となる、そして(7)誠実さは必死に求めなければ身に付かない、の7つです。

モーセがイスラエルの民の中からリーダーを選んだ時も、「誠実な人」が基準の一つでした。周りの人に何らかの影響力を及ぼしている人、リーダーとしての働きを少しでも担っている人は、この誠実さを身に付けていきたいですね。

「あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。」(出エジプト18:21、新改訳第3版)

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2008年5月20日 (火)

インティグリティ(≒誠実さ)

さて、昨日は「integrity(インティグリティ)」という本についてふれましたが、この「integrity」という単語は、実に日本語に翻訳しにくい言葉です。「誠実さ、高潔さ、正直、一貫性」などと言い換えることができるでしょうか。ここでは一応、「誠実さ」と訳しておきます。

著者のヘンリー・クラウド博士は、この「integrity(誠実さ)」を「現実の要求を満たす勇気」と定義し、その勇気は、以下の6つの能力が一つとして欠けることなく、統合されることによって生まれると分析しています。

第一に、信頼を築く能力。他の人と関わり、気遣い、共感し、助け、時には自らの弱さをもさらけ出すことのできる力です。

第二に、真実を追究する能力。希望的観測でなく、正確な事実の把握をいつも心掛け、他の人にもそれを率直に伝えることのできる力です。

第三に、使命を果たす能力。何をなすべきかを理解し、準備を整え、目標を明確にし、その達成のために精一杯努力することのできる力です。

第四に、問題を解決する能力。問題から目をそらさず、失敗を糧としてそこから学び、人のせいにせず、生産的に対決することのできる力です。

第五に、成長を求める能力。現状に甘んじることなく、あくなき向上心をもち、自己鍛錬を怠らず、果敢に新たな挑戦をし、またそのために休息することもできる力です。

そして第六に、自己を超越する能力。自己中心的なものの見方ではなく、自分を超えたもっと大きなものを知り、自らの人生の意味を理解し、その大きなもののために奉仕することのできる力です。

もちろん、最初から完璧にこのような「integrity(誠実さ)」を身に付けている人など、この世に存在しません。イエス・キリストを信じる人は、心のうちに住まわれる聖霊により変えられ、神様の完全な誠実さに少しずつ近づいていくことができるのです。

誠実で一貫性のある人生を歩んでいきたいですね。

「直ぐな人の誠実は、その人を導き、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。」(箴言11:3、新改訳第3版)

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2008年5月19日 (月)

多くの実を結ぶ(ヨハネ15章)

Flower080518 「境界線」、「クリスチャンの成長を阻む12の誤解」などの著者である心理学者ヘンリー・クラウド博士は、「integrity(誠実さ)」という本も書いています。クリスチャンである同氏は、この本の中で、ビジネスの世界においても成功の鍵を握るのは品性だと主張し、「自らの知力、素質、能力、気力、努力、交渉力、そしてチャンスを活かすことができるかどうかは、突き詰めれば、その人がどういう人であるかにかかっている」と語っています。

私たちは、どのようにしたら良い品性を持つことができるのでしょうか。

ヨハネ15章には、「イエス・キリストを信じる人は、多くの実を結ぶことができる」と約束されています。「実を結ぶ」と言うと、どちらかと言えば、「努力した成果が現れる」という意味で理解されることが多いかもしれません。それは、「働きの実」と呼ぶことができます。神様は、確かに私たちがする働きを祝福され、良い結果をもたらして下さるお方です。

しかし、聖書が教える「実」は、「働きの実」だけではありません。「御霊(みたま)の実」と呼ばれる「実」があります。それは、聖霊なる神様によって導かれ生きる人に対して、神様が与えて下さる「実」で、具体的には「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」だと記されています(ガラテヤ5:22-23)。

このリストを見れば、「御霊の実」は、良い品性と言い換えることができるでしょう。つまり、良い品性は、イエス・キリストを信じ、聖霊なる神様に従って生きる人に備えられるのです。そして、クラウド博士の主張が正しいなら、「御霊の実」、つまり良い品性を持つビジネスマンは、「働きの実」も結ぶことができる、と言えるのかもしれません。

キリストは、ご自身を「ぶどうの木」に例えています。「ぶどうの木」とはイスラエル、つまり神の選びの民の象徴です。「わたしはまことのぶどうの木」だとも言われています。イエス・キリストは、神の民の代表者だということですね。私たちが実を結ぶために必要なのは、この「まことのぶどうの木」に、しっかりとつながっていることです。もし、つながっていなければ、枯れてしまいます。しかし、しっかりとつながってさえいれば、私たちは神様から十分な水(聖霊)と栄養分(みことば)の供給を受け、豊かな実を結ぶことができるのです。

私たちの心が主イエスから離れ、「御霊の実」が実ることなく、品性の問題が棚上げにされている時、たとえ一時的に「働きの実」が祝福され、華々しい活躍をしているように見えても、どこかでつまずき、すべてを台無しにしてしまう危険があります。キリストにしっかりととどまり、聖霊によって与えられる素晴らしい品性の実を実らせていくことにより、父なる神様の栄光をあらわしていきたいですね。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:5、新改訳第3版)

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2008年5月16日 (金)

聖霊のバプテスマのしるし

最近、聖霊のバプテスマの話題は、それほどメジャーではない感じがしますが(笑)、話のついでに、聖霊のバプテスマにともなう「しるし」についてもふれておきます。

4、5年前だったでしょうか、親しくなった福音派の教会のある牧師と二人で食事をした時、彼は私にこう質問しました。「そちらの教団では、異言を語らないと救われていないと言うんでしょう?」私はあまりに驚いて、一瞬、絶句しました。(笑)

「日本の福音派の教会では、今でもそのような噂が流れているのか。だから聖霊派が異端扱いされ、福音派と聖霊派の壁が今でも残っているのか」という思いが、その質問の瞬間、頭の中を駆け巡ったのです。

一昨日のブログ記事にも記した通り、救いの条件は、創造主であり、キリスト(救い主)である神の御子イエスを信じることです(ローマ10:9-10)。人の思いを導き、「信仰告白」に至らせるのは、聖霊なる神の働きであり(1コリント12:3)、信じる者の心のうち(奥底)には、神の御霊なる聖霊が宿って下さいます(1コリント3:16)。この点については、福音派も聖霊派も、その神学的理解にほとんど違いがないと思われます。

違いが出るのは、「聖霊のバプテスマ」をどう理解するかという点で、福音派の多くの教会では、おそらく「聖霊のバプテスマ」と「内住」は同じであるとしているのでしょう。これに対して聖霊派では、この二つは別個の体験であると主張しています。しかし、「聖霊のバプテスマ」が救いの証拠だとは言っていません。それは、救われた人に対する神様からの追加プレゼントだという理解です。

さらに両者の溝を深めたのが、「しるしとしての異言」問題でした。聖霊派の始まりと言える20世紀初頭のペンテコステ運動において、聖霊のバプテスマと異言は、切っても切り離せないトピックでした。

(異言については、こちらも参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_73d3_1.html、ペンテコステ運動については、こちらもどうぞ→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_73d3.html

米国カンザス州トピーカで始まり、ロサンゼルスのアズサストリートに飛び火したペンテコステ運動と呼ばれるリバイバル・ムーブメントは、聖霊が力強く注がれ、そこに集う人々に必ずと言って良いほど異言が与えられたようです。この運動から生まれた「ペンテコステ派」の多くの教会では、この原体験を土台とし、「聖霊のバプテスマの最初でかつ唯一のしるしは異言である」という教理を唱えました。

この辺りから、キリスト教界でたいへんな神学論争になります。長くなるので今日は詳しく書きませんが、もうそれから100年も経つので論争は収束し、世界的に見れば福音派と聖霊派は仲良くしています。

救いの条件について共通理解が得られれば、その他の細かな神学的相違点はただ違いとして認め、クリスチャンとして互いに受け入れ合っていきましょうということですね。日本は、この世界的潮流に少々乗り遅れつつも、次第に垣根が低くなって来ているように感じます。

ちなみに私たちの教団は、手前味噌ながらペンテコステ派の中では穏健な方で、「聖霊のバプテスマの最初で唯一のしるしは異言だ」とは明言していません。ただ、「聖書時代と同じような形で聖霊が注がれる」と信じています。もちろん多くの場合、異言が与えられるかもしれませんが、聖霊のバプテスマや満たしにそれ以外の「しるし」(預言、喜び、大胆さ等)がともなうことも同時に認めています。

私たちは、互いに愛をもって受け入れ合い、神様から与えられた「霊的プレゼント」を活かして仕え合っていきたいですね。細かな神学的相違から仲たがいし、愛と信頼関係を失ってしまうようなことがあれば、それは「すべてのことを適切に、秩序をもって行う」という姿ではなく、神様に喜ばれないことでしょう。

「それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。」(1コリント14:39-40、新改訳第3版)

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2008年5月15日 (木)

聖霊のバプテスマと満たし

先週教えた聖書学校のクラスは、リーダーシップがテーマだったのですが、最後の質疑応答の時間に聖霊のバプテスマに関する質問が続きました。昨日記した「内住との違い」に続く、次なる質問は、「聖霊のバプテスマと聖霊の満たしは、どう違うのか」という内容です。

イエス・キリストは天に昇られる前、弟子たちが間もなく、「聖霊のバプテスマを受ける」ことを予告されました(使徒1:5)。そして、その直後のペンテコステの日に起こった出来事こそが、史上初の「聖霊のバプテスマ」だと理解されています。しかし、その現象は「バプテスマされた」、つまり「浸された」ではなく、「聖霊に満たされた」(使徒2:4)、あるいは「聖霊が注がれた」(使徒2:17-18、33)と描写されています。

通常、「聖霊のバプテスマ」の例に挙げられる他の聖書箇所でも、「聖霊を受ける」(使徒8:15&17、10:47、19:2)、「聖霊が下る」(使徒8:16、10:44)、「聖霊の賜物が注がれる」(使徒10:45)、「聖霊が臨む(来る、現れる)」(使徒19:6、1:8参照)という表現のバリエーションがあります。

これらがすべて「聖霊のバプテスマ」だと解釈されるのなら、「聖霊のバプテスマ」と「聖霊の満たし」は、イエス・キリストを信じる者に対して神様が特別なプレゼントとして与えられる、ほぼ同一の体験を指していると言えるのではないでしょうか。私たちは、「聖霊が下り」、「注がれ」、「臨まれる」時、「聖霊を受け」、「聖霊に浸され」、そして「聖霊に満たされる」のです。

トロント・ブレッシングのリニューアル(霊的刷新)の流れでは、「soaking」という言葉があります。「soaking」は「浸すこと」ですから、これはギリシヤ語の「バプテスマ」に相当しますね。ジョン・アーノット牧師は、「soaking」とは「ともにおられる聖霊にふれられ、神の愛の中に安らぐこと」と説明しているようです。これは「聖霊の浸し(バプテスマ)」であり、同時に「聖霊の満たし」の体験なのでしょう。

ただ一般的には、「聖霊のバプテスマ」と言うと、各自が初めて体験する「聖霊の満たし」に意味を限定しています。聖霊派の多くの教会では、「聖霊のバプテスマ」はただ一度だけだが、「聖霊の満たし」は何度でもあり得ると、説明していると思われます。ですから、「聖霊のバプテスマ」は何度でもあり得ると主張すると、異端ではないかと変な顔をされる可能性があるので、ご注意下さい。(笑)

聖霊のバプテスマも聖霊の満たしも、イエス・キリストの証人として生きる私たちが、天与の力で強められる特別な体験です(使徒1:8、4:8&31、7:55-56)。創造主なる神様から授けられる特別な力により、私たちの言葉と行動を通して、神の愛を伝える者となっていきたいですね。

「御霊(聖霊)に満たされなさい。」(エペソ5:18、新改訳第3版)

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2008年5月14日 (水)

聖霊の内住とバプテスマ

先週、聖書学校で教えたのですが、ある人から質問がありました。「聖霊のバプテスマは、聖霊の内住と違うのか」という内容です。これは、20世紀初頭にペンテコステ運動が始まってから、何度も繰り返して問われてきたテーマでした。

イエス・キリストを信じる人には、聖霊が心のうちに宿って下さいます(1コリント3:16、2テモテ1:14)。これは、「聖霊の内住」と呼ばれます。「キリストを信じる」という宣言、いわゆる「信仰告白」のことばと弟子としての新しい生き方が、「内住」の目に見えるしるしと言えるかもしれません。

これに対して「聖霊のバプテスマ」は、信仰告白と新しい生き方以外の特別なしるしを伴った体験を指すと、私たちは信じています。例えば、教会が誕生したペンテコステの日には、エルサレムのクリスチャンたちは聖霊に満たされ、外国語を話し出しました。

キリストを信じたサマリヤの人々に対して、ペテロとヨハネが祈ると、彼らは周りの人にもはっきり分かるような形で、聖霊を受けました(使徒8:15-18)。

カイザリヤのコルネリオの家では、ペテロが話をしている時、異邦人たちに聖霊が注がれ、彼らは異言を語り始めました(使徒10:44-46)。

パウロが出会ったエペソの弟子たちは、水のバプテスマ(洗礼)を受けた後、パウロが手を置くと聖霊が彼らに「臨まれ」、異言を語ったり、預言をしたりしました(使徒19:5-6)。

これらの聖書箇所を読めば、聖霊の内住と聖霊のバプテスマは、それぞれ別個の体験であると結論づけるのが妥当な解釈ではないでしょうか。

もちろん、聖霊のバプテスマは、救いの条件でも、クリスチャンとしてのしるしでもありません。イエス・キリストを信じる人が救われ、クリスチャン(キリストの弟子)とされているのです。聖霊のバプテスマは、あくまでも神の恵みの「賜物」(使徒2:38)、つまり神様がすべてのクリスチャンに与えると約束して下さったプレゼントと言えるでしょう。

創造主なる神様のプレゼントであれば、喜んで受け取っていきたいですね。天の父なる神様は、私たちに「良いもの」を与えて下さるお方です。(ルカ11:15)受け取ったから偉いとか、偉くないといかいう問題でもありません。神様が恵みとして与えて下さる素晴らしいプレゼントを、私たちは、ただへりくだって受け取り、感謝をささげていきたいものです。

「…パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、『信じたとき、聖霊を受けましたか』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした』と答えた。…その人々は、主イエスの御名によって(水の)バプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」(使徒19:1-2、5-6、新改訳第3版)

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2008年5月13日 (火)

聖霊に満たされる(使徒2章)

Flower080511 一昨日は、ペンテコステの日でした。(「ペンテコステ」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/2_f4f5.html

それは、旧約時代には小麦の初穂をお祝いする時でしたが、新約の時代には教会の「初穂」をお祝いする時、つまり、全世界に広がるキリスト教会の誕生日にあたります。ほぼ2000年前のペンテコステの日に、教会は誕生したのです。

その日、エルサレムでキリストの弟子たちが集まって祈っていると、不思議なことが起こりました。突然、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、「炎のような分かれた舌が、ひとりひとりの上にとどまった」と記されています。すると人々は、それまで話したこともない外国語をいきなり話し出したのでした。

この現象は、「聖霊のバプテスマ」と呼ばれています(使徒1:5)。「バプテスマ」とは、「浸されること」を意味しますので、「聖霊のバプテスマ」とは、「神の霊に浸されること」ですね。しかし使徒2章4節では、「みなが聖霊に満たされ」と書かれていますから、この「聖霊のバプテスマ」は、同時に「聖霊の満たし」であったとも言えます。人々は、神の霊に浸され、そして満たされたのでしょう。

何事が起きたのかと驚いた周囲の人々に対して、使徒ペテロは、これは旧約の預言が成就したのだと宣言しました。預言者ヨエルは、終末の時代を生きる人々に対し、神の霊が「注がれる」ことを予告しています。人々が目撃した現象は、まさにその預言の成就にほかならないとペテロは語ったのでした。つまり、「聖霊のバプテスマ」と「満たし」は、神の霊が人々に「注がれる」ことによって起こったのです。

イエス・キリストを信じ、水のバプテスマ(洗礼)を受けるすべての人は、「賜物として聖霊を受ける」とペテロが明言しています。この「賜物として受ける聖霊」については、教団教派によって解釈が微妙に異なりますが、私たちは、教会が初めて誕生したペンテコステの日と同じような形で現代に生きる人々にも聖霊が注がれ、人々が聖霊に浸され、満たされることを信じています。

現代の日本に生きる私たちが、さらに聖霊に豊かに満たされること、そして周りの多くの人々も、この「神の賜物」を味わうようになることを、心を一つにして祈り求めていきましょう。

「五旬節(ペンテコステ)の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:1-4、新改訳第3版)

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2008年5月12日 (月)

もう寝る時間だ!

読者の皆様、今日は残念ながら、礼拝メッセージのアップができませんでした。

午前中からたった今まで、目一杯仕事でした。(苦笑)

明日も一日会議ですが、夜に更新したいと思います。

祝福がありますように。

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2008年5月 5日 (月)

主イエスを信じる(ヨハネ14章)

Flower080504 クリスチャンになりたての頃、「イエス・キリストを信じます」という決意表明、いわゆる「信仰告白」は、最初だけすればいいものだと思っていました。洗礼を受ける時そう宣言し、神の家族に加えられた後は、キリストへのゆるがない信仰に基づき、すべてがバラ色、いわば「順風満帆」の信仰生活が待っているかのように思えたのです。

しかし、それから20年以上経た今、これまでの歩みを振り返ってみると、そう簡単ではありませんでした。(笑)神様から常に、「あなたはわたしを信じますか」と問われ続けてきたように感じます。世の多くの人々にとって、人生は、思うほど順風満帆ではありません。それは、クリスチャンの信仰生活も同じです。嵐のような日もあるし、ひでりや飢きんのような時もあるのです。

予想外の事態に直面して、自らの信仰が揺さぶられる時、イエス・キリストは私たちに問われます。「あなたはわたしを信じますか?」と。最後の晩餐の後に何が起こるか、弟子たちは知りませんでした。その彼らに対して、主イエスは、どんなことが起こったとしてもわたしを信じなさいと、戒められたのでした。

私たちは、イエス・キリストにいつも信頼していきたいと願っています。このお方は、十字架と復活により、創造主なる神様との関係を回復して下さいました。天国に至る唯一の道として、私たちを父なる神様のもとに導き、私たちの心のうちに聖霊を遣わして下さいました。

人には、しばしば裏切られます。しかし創造主なる神様は、決して裏切ることがありません。イエス・キリストが、どんな時にも私たちを見捨てることのない、信頼に足るお方であることを感謝します。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1、新改訳第3版)

P.S. 今週の更新は本日のみとし、明日以降はお休みします。また来週お会いしましょう。読者の皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2008年5月 2日 (金)

洗足の教え

カトリック教会では、今でも「洗足式」があるそうです。ローマ教皇ベネディクト16世も米国訪問前の3月20日、受難週の聖木曜日(洗足木曜日)に、ローマの聖ヨハネ教会(ラテラノ大聖堂)におけるミサで洗足式を行ったと報道されています。

プロテスタント教会では、「聖書のみ」という宗教改革の原則に基づき、正式な礼典(儀式)は洗礼式と聖餐式の二つに絞っています。聖書の記録によれば、イエス・キリストが弟子たちに守るようにはっきり教えているのは、この二つだからです。

キリストは、弟子たちが「互いに足を洗い合うべきです」とも語られています。「洗足式」は、このことばに基づいているのでしょう。しかし、この教えは、どちらかと言うと「洗足式」のように実際に足を洗う行為というより、「しもべのように互いに仕え合う」という教えだと理解されます。

しかも、「互いに」ですから、そこに上下関係は想定されていません。教皇が他の司祭の足を洗ったり、神父が信徒の足を洗ったりするだけでなく、イエスの弟子であるクリスチャンは、すべて他のクリスチャンや周りの人々に仕える生き方が求められているのです。

この「洗足の教え」を校名に掲げた学校が、神奈川県にあります。「洗足学園」は、裁縫女学校を前身とし、高等女学校として創立されていますが、今では幼稚園から大学院まである総合学園で、音楽教育、特にジャズ・コースがあることで有名です。歌手の平原綾香もここの出身。最近では、確かTVドラマ「のだめ」のロケ地にもなっていました。

創立者の前田若尾女史は、熱心なクリスチャンだったようで、キリストが弟子たちの足を洗ったエピソードに基づき、校名を「洗足」としたとのこと。同氏が作詞した校歌には、「互いに足を洗えと宣(の)りし み教え守るここの学び舎」という一節があるそうです。

洗足学園建学の理想には、「若き学徒をして、真の人生の目的に目覚めさせ、さらに人間の天職を悟らせ、謙虚にして慈愛に充ちた心情(謙愛の徳)を養い、気品高く、かつ実行力に富む有為な人物を育成する」とあります。

真の人生の目的とは、神と人を愛し、与えられた「天職」を通して、足を洗うように互いに仕え合うことでしょうか。そのような生き方を、私たちもしていきたいですね。

「…主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハネ13:14、新改訳第3版)

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2008年5月 1日 (木)

神のしもべのしもべ

昨日は、イエズス会で「神のしもべ」としての生き方が強調されており、その総長は「黒い教皇」と呼ばれると書きました。これに対して、「白い教皇」に相当するローマ教皇は、「神のしもべのしもべ」と呼ばれるそうです。まさにサーバント・リーダーシップですね。

キリストの十二弟子のリーダー的存在だった使徒ペテロは、皇帝ネロの迫害の時代、ローマにて殉教したと言われています。カトリック教会では、ペテロを初代教皇とし、その使徒職は代々のローマ教皇によって継承されて来たと考えます。教皇の紋章には、ペテロに与えられると約束された「天国の鍵」が描かれています。

プロテスタントがカトリックと袂を分かった宗教改革以降、カトリック教会は、プロテスタント教会の正統性に異議を唱えて来ました。ローマ教皇の使徒的権威から離れてしまったため、使徒たちの教えを正しく継承していないという主張です。

昨年7月には、教皇庁が「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」という文書を公表。プロテスタント教会は、「使徒ペテロに始まる使徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡(聖職者任命の儀式)を損なったために、『教会』と呼ぶことはできない」と、その中に書かれているそうです。

もし使徒がシモン・ペテロだけであり、「天国の鍵」もペテロとその正統な後継者だけに代々受け継がれるのだとしたら、カトリックの主張が正しいかもしれません。しかし、使徒はもちろんペテロだけでなく、「天国の鍵」も、主イエスがペテロ以外の使徒たちに対しても(ペテロを通してでなく)直接与えられたと考えるのが自然です。使徒パウロは、ペテロの後継者とは見なされませんが、「天国の鍵」を存分に使い、宣教活動を行っています。

多くのプロテスタント教会も、宗教改革の時代まで遡れば、もともとカトリック教会の改革運動から生み出されています。ですから、聖書の教えに忠実である限り、使徒の働きを継承していると言って良いのではないでしょうか。

先月、アメリカを訪問したローマ教皇ベネディクト16世は、「神のしもべのしもべ」として大統領と会談し、数万人参加のミサを執り行い、国連本部で人権尊重と信教の自由を訴え、ユダヤ教のシナゴーグを訪問し、9・11の現場である「グラウンド・ゼロ」にひざまずき、祈りをささげました。

また、カトリック以外のクリスチャンたち250人が参加する会議に出席し、「福音の真理とその道徳的教えに根ざしたキリスト者たちの確かな証しだけが、世俗化の拡大など急速に変容する世界の挑戦に答えていくことができる。世界はこうしたキリスト者たちのメッセージを待っている」と語ったそうです。

ローマ教皇が本当に「神のしもべのしもべ」なら、全世界に大きな影響力をもつリーダーの一人として、良い霊的模範を示していってほしいですね。昨年の教皇庁の文書は残念な内容でしたが、ローマ教皇の今回の米国訪問は、素晴らしかったように思えます。

私たちも、イエス・キリストから与えられる「天国の鍵」をしっかりと握り、福音の真理を証しすることにより、人々を天につなげる働きを担っていきたいですね。

「…あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデス(冥界)の門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:18-19、新改訳第3版)

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