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2008年5月28日 (水)

長老派

昨日は、長老教会のサラ・C・スミス宣教師が、函館でメソジスト教会の女学校設立に「感化された」のではないかと書きました。しかし、ひょっとしたら「感化」ではなく、「触発」だったかもしれません。メソジスト教会が函館の女学校なら、長老教会は札幌にという流れだったとも考えられます。

私の妻はかつて、「赤毛のアン」の大ファンでした。私はまったく読んだことがないのですが、妻によると、アンは長老派の教会に通い、その教会には素晴らしい牧師夫妻が赴任してくるとのこと。対照的に近くのメソジスト教会の牧師については、とやかく言う年配女性が長老教会の中にいたそうです。

とやかく言う人は、どこにでもいるので、あまり気にする必要はありません(笑)。ただ、手元にある教会史のクラスの資料によると、長老派の牧師は概して高学歴だったのに対し、メソジスト派は牧師資格を持たない(つまり、神学の学位を取得していない)人も説教者として用いられたそうです。

このメソジスト派は、米国独立時には一番小さなグループだったのが、19世紀半ばには米国で最大の教派となったようです。長老派は、会衆派についで2番目だったのが、3番目のグループとなりました。この辺が、教派や教会間の関係に微妙に影響していたかもしれませんね。ちなみに、「赤毛のアン」の著者ルーシー・モード・モンゴメリは、長老派教会の牧師夫人でした。

長老派は、カルヴァンによる宗教改革に端を発する由緒正しい教会です。ジョン・ノックスらの働きによりスコットランドに根付いた長老派の信仰は、アイルランドにも伝わり、その後、多くの信徒たちが北米に移住します。18世紀に長老教会で起きたリバイバル(信仰復興運動)は、米国の教会を再生させる大覚醒(Great Awakening)へとつながり、また第二次大覚醒の時には、長老派でキャンプミーティング(天幕集会)が始まったそうです。

日本に来た長老派教会の宣教師で、最も有名なのは、おそらくジェームズ・カーティス・ヘボン(ヘップバーン)でしょう。医療伝道を志して1859年、神奈川に上陸。ヘボン式ローマ字を考案し、辞書や日本語訳聖書出版に関わり、また明治学院の初代総理となりました。

一方、韓国に伝わった長老派の信仰は、日本占領時の迫害を耐え忍び、現在、韓国のキリスト教界において最大のグループとなっていると聞きます。日本各地に「ラブ・ソナタ」という大集会を展開中のオンヌリ教会(ハ・ヨンジョ牧師)も、長老派ですね。ハ・ヨンジョ牧師は「人格的な聖霊」を慕い求め、使徒たちの時代と同じような教会を形成していくことを目指しているようです。

使徒パウロは、ローマ帝国内に新たな教会を次々と生み出し、それぞれの教会に長老を任命しました。弟子のテトスに対しても、クレテ(クレタ)島の教会で長老を任命するよう書き送っています。それらの長老たちは、必ずしも高学歴の人たちばかりではなかったでしょう。一番の条件に挙げられているのは、品性です。

私たちも、自らの品性が神様によって変えられていくことを求めていきたいですね。

「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。それには、その人が、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、その子どもは不品行を責められたり、反抗的であったりしない信者であることが条件です。」(テトス1:5-6、新改訳第3版)

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