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2008年6月 3日 (火)

敬虔主義運動

昨日引用したヨハネ17章のイエスの祈りは、キリスト教会が「一つであること」を願い求めています。キリスト教2000年の歴史においてクリスチャンたちは、師であるキリストの願い通りには、必ずしも歩んで来なかったように思えます。東方の正教会と西方のカトリック教会がまず二つに分かれ、宗教改革以降は、神学あるいは聖書理解の違いから、数多くの教派・教団が生まれました。

世界中に広がるキリスト教会を、組織上、一つに束ねるのは無理があります。大きな組織になれば小回りが利きづらくなり、問題が発生した場合も適切でかつ速やかな解決を得ることが難しくなるかもしれません。そういう意味では、カトリック教会に対する問題提起から宗教改革が起こり、志を同じくする小さな集まり(少なくとも当初)が組織上、分離独立したことは良かったのでしょう。

しかし、内面の信仰の相違が政治問題化し、戦争まで起きる事態は、イエス・キリストが弟子たちに願われたことではありませんでした。信教の自由がまだ保障されていなかったヨーロッパでは、ドイツ農民戦争、シュマルカルデン戦争、ユグノー戦争、オランダ独立戦争、そして30年戦争と血みどろの戦いが続きました。特に30年戦争ではドイツの国土は荒れ果て、ペストの流行もあり、人口が激減したそうです。このような争いは、キリストはもちろん、ルターが願ったことでもなかったでしょう。

16世紀のルターによる宗教改革は、先ずは彼自身の内面、心の渇きに対する神様の語りかけから始まりました。(ルターについては、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a787.html

神学者あるいは教会の組織者としてではなく、信仰者としてのルターの志を最も強く引き継いだのは、17~18世紀に生きた敬虔主義の人たちかもしれません。ルーテル(ルター派)教会牧師だったフィリップ・シュペーナーは、牧師や信徒の区別なく、クリスチャン一人ひとりが実践的な聖書研究と祈りを通して神に近づき、日々の生活において道徳的完全さを目指すための家庭集会を開始しました。これが、ドイツ敬虔主義運動の始まりとなります。

彼の影響を受けたアウグスト・ヘルマン・フランケは、ハレ大学を拠点として貧民の児童向けの学校や孤児院を設立し、インドに宣教師を派遣しました。フランケの学校で学んだフォン・ツィンツェンドルフ伯は、ボヘミアからのフス派難民(ボヘミア兄弟団)を領地にかくまい、その一団はモラヴィア兄弟団(ヘルンフート同胞教団)と呼ばれるようになります。モラヴィア兄弟団は宣教のビジョンに燃え、世界各地に宣教師を送り出し、メソジスト運動の創始者であるジョン・ウェスレーにも多大なる影響を与えました。

敬虔とは、創造主なる神を慕い求め、キリストと一つになって生きることです。そのような生き方をする同志たちにより、初めてキリスト教会は一つの方向を目指すことができるのかもしれません。私たち一人ひとり、敬虔な生き方を求めていきたいですね。

「俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(1テモテ4:7-8、新改訳第3版)

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