« 「郷づくり」のミッション | トップページ | 元・仲人の遺志 »

2008年7月28日 (月)

神に聞き従う(使徒4章)

Flower080727 預言者サムエルは、まだ少年の頃、創造主なる神様の声を聞きました。自分の名前が呼ばれた時、「お話しください。しもべは聞いております」と言って、神様からのメッセージを受け取りました。しかし、そのメッセージは、あまり喜ばしい内容ではありませんでした。彼を育ててくれている祭司エリの家が、神様の祝福ではなく、のろいを受けるという預言だったのです。

「だれを遣わそう」という神様の声を聞いた時、預言者イザヤは、「私を遣わしてください」と応えました。その時、神様からイザヤに与えられた務めは、イスラエルに対するのろいのメッセージを伝えることでした。神様のことばが語られても、人々はそれを悟らず、国は滅んでしまうという預言だったのです。

預言者エレミヤは、生まれる前から預言者として定められていたと、神様に語られます。そして、神様が遣わされるどんな所へでも行き、命じられるすべての事を語りなさいという使命を授かります。しかし、彼に与えられたメッセージも、その多くがのろいの成就の預言でした。神の民イスラエルは、創造主から離れ、別の神々を拝むようになっていたからです。

創造主なる神様は、限りない愛に満ちたお方ですから、私たちを慰め、励まし、心がいやされるような優しいことばをかけて下さいます。しかし同時に、私たちが間違った方向に進んでいる時は、その道から引き返すよう、厳しいことばをも投げ掛けられるのです。もちろん、それもまた無限の愛のゆえです。

ですから、神様の声を聞き、そのメッセージを語る人は、必ずしも聞き手にとって耳障りの良い「優しいことば」ばかり語るとは限りません。時には、相手が聞きたくないような話、聞き手を怒らせるような「厳しいことば」を伝えなければならないこともあるのです。その時、語り手には勇気と大胆さが求められます。

ペテロとヨハネがエルサレムで尋問を受けた時、彼らが語ったことばは、尋問する指導者たちにとって耳障りの良い話ではありませんでした。生殺与奪の権を持つ社会的指導者たちに対して、大胆にも、「あなたたちが、救い主を十字架につけたのです」と断罪したのです。それは、尋問者たちに悔い改めを促す、神様からのメッセージでした。

一躍「時の人」になったペテロとヨハネは、エルサレムの指導者たちと比べ、決して高貴な家柄に生まれたわけでも、素晴らしい教育を受けたわけでもありませんでした。彼らは、権力を握るエリート層でも、都会の洗練された「学識経験者」でもなく、田舎なまりの抜けない一介の漁師たちだったのです。彼らはただ、救い主イエスとともにいて、聖霊によって力を受けた「キリストの証人」たちでした。

同じく「キリストの証人」とされている私たちも、ペテロとヨハネにならって、大胆に勇気をもって神様のことばを伝えていきたいですね。神様は、私たちに今も語りかけて下さいます。優しいことばをかけて下さいます。時には、厳しいことばを投げ掛けられます。人々に耳障りの良いことばを求めるのではなく、神様が私たちに何を語らせたいのか、祈りを通して神様に聞き、与えられたメッセージを周りの人々に伝えていきたいですね。

「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。』」(使徒4:19-20、新改訳第3版)

P.S. 都合により、明日の更新はお休みします。

|

« 「郷づくり」のミッション | トップページ | 元・仲人の遺志 »

礼拝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186781/41992564

この記事へのトラックバック一覧です: 神に聞き従う(使徒4章):

« 「郷づくり」のミッション | トップページ | 元・仲人の遺志 »