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2008年7月

2008年7月31日 (木)

水路のそばに植わった木

教会駐車場のリンゴの木には、またたくさんの実がつき始めています。先日、教会員のある人に話を聞くと、本当はきちんと選別して刈り込みをした方が、美味しい実がなるとのこと。ただ、私たちの教会のリンゴは観賞用なので、たくさん実がなっていた方が嬉しい気持ちがします(笑)。(教会のリンゴの木については、こちらもどうぞ→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/7_b753.html

聖書の中で、私たちのあるべき姿は、「水路のそばに植わった木」に例えられています。日本は水が豊かなので、土さえ良ければどこでも木は育ちそうですが、聖書が記された中東の地は砂漠が大きく広がる一帯です。樹木が育つためには、水の流れに近いかどうかが必須条件だったのでしょう。

「水の流れ」は、創造主なる神の霊、つまり聖霊の自由な働きを象徴しています。聖霊の流れによっていつも私たちの心が神様の愛で満たされ、潤っている時、神様は私たちを人格的に大きく成長させ、豊かな実を実らせて下さるのです。(「実」については、こちらもご参考まで→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/15_11b7.html

「水路のそばに植わった木」になるためには、詩篇1篇に三つの条件が記されています。第一の条件は、「おしえ(instruction)」です。私たちが健やかに成長するため、創造主なる神様はどんなことを教えられているのか、私たちは聖書のことばを通して学んでいく必要があります。

第二の条件は、「おはなし(intimacy)」です。神様の教えをいつも「口ずさみ」、黙想し、それが自分の日々の生活にどのような意味を持っているのか、祈りをもって神様に直接お伺いします。私たちが神様に近づいて「おはなし」する時、神様は私たちの心を喜びで満たして(infilling)下さいます。

第三の条件は、「おこない(impact)」です。神様の愛を教えられ、その愛で満たされた私たちは、周りの人々に愛をあらわしていく生き方が期待されています。それは、「罪人の道」から方向転換した人生であり、「悪者のはかりごと」や隣人への嘲笑などとはまったく無縁の新しい生き方です。

私たちの教会では、この三つの条件を「愛(i)の流れ」と呼んでいます。「愛(i)の流れ」は、キリストを信じる私たちの心に住まわれる聖霊が、私たちに真理を教え、歩むべき道を示し、喜びで満たし、そして愛をあらわす行動となって外側に流れ出していく働きです。

この聖霊の自由な流れを、人間のくだらない私心によって押しとどめないようにしたいですね。私たち一人ひとりを造られ、育てて下さっている神様は、私たちが人格的に大きく成長し、素晴らしい実を結んでいくことを楽しみにしておられるのです。

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は(創造)主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:1-3、新改訳第3版)

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2008年7月30日 (水)

元・仲人の遺志

先週土曜日、函館の親教会のK牧師が天に召されました。57歳でした。私とは10歳しか違いませんが、21年前の夏、妻との結婚式で仲人をお願いした方です。まだ当時は30代で、確か初めての仲人だったはずです。

K牧師は、高校生の頃イエス・キリストを信じ、東京の神学校を卒業した後、故郷・函館の母教会で伝道師(のちに協力牧師)として奉仕します。同時に、自ら事業を立ち上げ、ビジネスの世界でも「キリストの証人」として働き続けてきたようです。リーダーシップの才能に恵まれた、明るく元気な信仰の先達でした。

私が信仰を持って間もない頃、事業を手伝ってくれないかと誘われたことがあります。函館に「クリスチャン・センター」のような施設をつくりたいという話でした。お誘いは嬉しく思いましたが、私は牧師になる思いが与えられていたので申し訳なかったですがお断りし、ご期待に応えることはできませんでした。

その後、私は七飯の教会に牧師として赴任し、教団全体の事務局業務も兼任するようになります。K牧師は北海道・東北の教区長に選任され、ともに教団の働きの一端を担って来ました。持ち前のリーダーシップを十分に発揮され、難しい局面を打開されてきたように思います。

詳しい病状は知りませんでしたが、昨年頃から、会議で顔を合わせるたびにK牧師の体力が急激に落ちてきたように感じていました。肺に水が溜まり、呼吸困難に陥ったため、7月6日に緊急入院したと聞き、12日にお見舞いに伺いました。酸素吸入をし、息が苦しそうでした。それからちょうど2週間後、召天の知らせが私のもとに届きました。

一昨日と昨日、函館でとり行われた葬儀では、奥様からお見舞い感謝のことばをいただきました。ご主人は私のことを期待し、いつも奥様に話をしていたそうです。「だから、頑張って下さい」と、私の方が逆に励まされました。

ビジネスの方ではご期待にそえませんでしたが、牧師としての働きの面では、期待をもって見ていて下さったようで感謝します。故人の遺志を重く受け止め、神様から私に与えられた務めを十分果たし、その期待にぜひ応えていきたいと願っています。

「しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(2テモテ4:5、新改訳第3版)

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2008年7月28日 (月)

神に聞き従う(使徒4章)

Flower080727 預言者サムエルは、まだ少年の頃、創造主なる神様の声を聞きました。自分の名前が呼ばれた時、「お話しください。しもべは聞いております」と言って、神様からのメッセージを受け取りました。しかし、そのメッセージは、あまり喜ばしい内容ではありませんでした。彼を育ててくれている祭司エリの家が、神様の祝福ではなく、のろいを受けるという預言だったのです。

「だれを遣わそう」という神様の声を聞いた時、預言者イザヤは、「私を遣わしてください」と応えました。その時、神様からイザヤに与えられた務めは、イスラエルに対するのろいのメッセージを伝えることでした。神様のことばが語られても、人々はそれを悟らず、国は滅んでしまうという預言だったのです。

預言者エレミヤは、生まれる前から預言者として定められていたと、神様に語られます。そして、神様が遣わされるどんな所へでも行き、命じられるすべての事を語りなさいという使命を授かります。しかし、彼に与えられたメッセージも、その多くがのろいの成就の預言でした。神の民イスラエルは、創造主から離れ、別の神々を拝むようになっていたからです。

創造主なる神様は、限りない愛に満ちたお方ですから、私たちを慰め、励まし、心がいやされるような優しいことばをかけて下さいます。しかし同時に、私たちが間違った方向に進んでいる時は、その道から引き返すよう、厳しいことばをも投げ掛けられるのです。もちろん、それもまた無限の愛のゆえです。

ですから、神様の声を聞き、そのメッセージを語る人は、必ずしも聞き手にとって耳障りの良い「優しいことば」ばかり語るとは限りません。時には、相手が聞きたくないような話、聞き手を怒らせるような「厳しいことば」を伝えなければならないこともあるのです。その時、語り手には勇気と大胆さが求められます。

ペテロとヨハネがエルサレムで尋問を受けた時、彼らが語ったことばは、尋問する指導者たちにとって耳障りの良い話ではありませんでした。生殺与奪の権を持つ社会的指導者たちに対して、大胆にも、「あなたたちが、救い主を十字架につけたのです」と断罪したのです。それは、尋問者たちに悔い改めを促す、神様からのメッセージでした。

一躍「時の人」になったペテロとヨハネは、エルサレムの指導者たちと比べ、決して高貴な家柄に生まれたわけでも、素晴らしい教育を受けたわけでもありませんでした。彼らは、権力を握るエリート層でも、都会の洗練された「学識経験者」でもなく、田舎なまりの抜けない一介の漁師たちだったのです。彼らはただ、救い主イエスとともにいて、聖霊によって力を受けた「キリストの証人」たちでした。

同じく「キリストの証人」とされている私たちも、ペテロとヨハネにならって、大胆に勇気をもって神様のことばを伝えていきたいですね。神様は、私たちに今も語りかけて下さいます。優しいことばをかけて下さいます。時には、厳しいことばを投げ掛けられます。人々に耳障りの良いことばを求めるのではなく、神様が私たちに何を語らせたいのか、祈りを通して神様に聞き、与えられたメッセージを周りの人々に伝えていきたいですね。

「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。』」(使徒4:19-20、新改訳第3版)

P.S. 都合により、明日の更新はお休みします。

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2008年7月25日 (金)

「郷づくり」のミッション

召命の「お試し期間」(昨日のブログ参照)が終了した1995年、私は米国留学から帰国し、沖縄で牧師認定の「按手礼」を受けました。ちょうど浦添市で私たちの教団会議が開かれ、アメリカとアジア各国から指導者たちが集まっていた時です。メイン・スピーカーは、ハワイのラルフ・モア牧師でした。(ラルフ・モア牧師については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_c6f9.html

私の新たな任地は、函館郊外の七飯町でした。七飯町は、幕末最初の開港地の一つである箱館近くに位置するため、意外と早くからプロテスタント宣教の種がまかれています。

1874年に函館を訪れたメソジストのM・C・ハリス宣教師と聖公会のデニング宣教師は、七飯を含む近郊の農村にも伝道しました。当時、七飯は明治新政府によるパイロット農場が建設され、欧米の先進的農業を北海道に広めるための拠点でした。(函館のプロテスタント宣教開始については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_133a.html

七飯シオン教会の前身となるのは、カナダから来たマクノートン宣教師による伝道です。同師は、1934年の函館大火後この地を訪れ、函館を中心とした宣教活動を進めるとともに、国立七飯療養所(現在の「ななえ新病院」)での伝道も開始。1963年には、旧七飯会堂を建設します。日曜学校や婦人会等を行い、将来的には七飯に神学校を建設するビジョンも抱いていたそうです。

単立教会から派遣されていたマクノートン師は、引退するにあたり、その働きを神学的に近かったフォースクエア教団に引き継ぎます。七飯においては定期的な家庭集会や教会学校、音楽伝道やミニチャーチなどが続けられてきました。1993年には新会堂が建設され、正式な教会設立に向け、準備が整いつつありました。

「いのちの水の郷(さと)」づくりのビジョンが与えられていた私は、函館の親教会の承認の下、「株分け」方式による教会開拓を始めます。開拓に重荷を持ち、ビジョンに賛同する人たちが、自由に開拓チームに参加または支援をするという方法でした。(「いのちの水の郷」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_6808.html

それから、はや10年余りが経過しました。最初数年の「郷(さと)づくり」は、主として七飯町近辺のみの活動だったのですが、次第に全国各地の教会ネットワークとのつながりが深められてきました。そして私たちの歩みを通し、「郷づくり」は、次の4つの柱によって支えられることが徐々に明確になって来たように思います。

第一の柱は、聖霊の豊かな流れ(Current)。第二の柱は、コミュニティの形成(Community)。第三の柱は、リーダー育成と派遣(Change Agents)。そして第四の柱は、ネットワーキング(Connecting)です。私たちは、これを「4つのC」と呼んでいます。

創造主なる神様が、私たちを「郷づくり」のミッションのため、七飯に遣わして下さったことを感謝します。郷長(さとおさ)なるイエス・キリストの下、聖霊の流れに心いやされるオアシスのようなコミュニティが、少しずつ築かれて来ました。同じようなビジョンを共有する他教会とのネットワークが広がり、リーダーが成長し、新たなミッションのために各地へと遣わされつつあります。

私たちは信仰の父アブラハムのように、神様から示される任地へいつでも赴き、人々に祝福をもたらすミッションを完了していきたいですね。

「あなたがたは…神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。」(使徒3:25、新改訳第3版)

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2008年7月24日 (木)

召命の「お試し期間」

牧師になるには、神学校で必要な知識や技能を習得し、卒業後、所属する教会や教団から牧師資格を取得するというのが一般的なプロセスです。中には、教会での実践と独学によって、牧師として認定される「たたき上げ」の人もいます。しかし、それらはただ、牧師になる手続きや訓練の話に過ぎません。

牧師になるために最も重要なのは、どの学校で何の勉強をし、どんな学位を取得し、あるいはどのような訓練を受けてきたかではありません。一番大切なのは、もちろん、イエス・キリストを信じるクリスチャンであること、次に「聖霊の実」としての品性を身に付けていること、そして神様から牧師としての「召命」を受けていることの三つだと思われます。

クリスチャンでなければ、教会に集うクリスチャンたちがどんなことを考え、何を必要としているか分からない部分が多くあります。クリスチャン以外の人たちに、イエス・キリストの「証人」となることもできません。キリストを信じていない人が、ただ「牧師」という肩書きをもらっても、その立場に求められる働きは不十分になるでしょう。

品性については、ずいぶん書いてきたように思いますので、今日は省略します。例えば、こちらの記事を参照して下さい。→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/3116_8fe6.html

「召命」(「召し」)とは、神様が人を特定の働きのために任命することです。召命によって与えられる仕事のことを、「天職」と言います。もちろん牧師以外の仕事であっても、神様から任命された場合は、それを「召命」、「天職」と言うことができるでしょう。自分の天職への召命を信じる心は、「召命感」と呼ばれます。

「召命」は、任命権者である神様にしか分からない部分があります。召命を受けた本人も、最初から自分の召命の全貌を理解しているわけではありません。周りの人には、もっと分かりません。という意味では、受けた召命が本物かどうか、しばらく「試す」期間が必要なのかもしれません。

私は、召命感を持ってから実際に牧師になるまで、10年かかりました。そのうち7年間は教会での実地訓練、あとの3年間は神学校での知的訓練でした。当初は、まさかそんなに時間がかかるとは思っていませんでした。しかし、振り返ってみれば、本気で神様からの召命に従うかどうか、試された期間だったのでしょう。

神様が、10年の「お試し期間」を通して、「天職」への召命を私に確認させて下さったことを感謝します。

「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」(詩篇26:2、新改訳第3版)

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2008年7月23日 (水)

「自分探し」の道なき道

大学入学後、人生の目的と自らの「天職」を見出すまで、6年かかりました。どこに行って何をしたら良いのか皆目見当がつかず、道なき道を突き進むような苦難の行路でした。まったく暗中模索の6年間でしたが、今の言葉を使うと、「自分探し」の旅路だったと言えます。

大学教養の数学につまずいて文学部に移り、卒論で挫折して政治・経済分野へと方向を変え、将来が見えないまま就職活動をして失敗し、ボランティア団体の手伝いに行くとそこも自分の居場所ではないように感じました。

これからどうしたらいいだろうと思い悩んでいる時、洗礼を受け、クリスチャンとなり、牧師の道を志す導きが与えられたのです。それは、人生の目的と「天職」が明らかになった、「自分探し」の終着点でした。(その「導き」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b39c.html

大学の頃、確か友人から、「The Missing Piece」(邦訳「ぼくを探しに」)という絵本を紹介されました。パックマンのような形の主人公が、自分の欠けた部分を満たす「かけら」を探して旅に出る話です。その続編、「The Missing Piece Meets the Big O」(邦訳「ビッグ・オーとの出会い」)では、「かけら」を探し回る人生ではなく、模範にならって自ら前進していく生き方の大切さが描かれていました。

私の欠けた部分を満たして下さったのは、創造主なる神様です。求めていた人生の目的と自らの「天職」について、答えを与えて下さいました。足りなかった「かけら」は、私を創造し、永遠の愛をもって見守り、生かして下さっている神様との関係だったのです。

私にとって、生き方の模範を示す「ビッグ・オー」となったのは、イエス・キリストでした。創造主なる神様の愛を伝え、自らのいのちを懸けてその愛をあらわされたキリストの姿は、私たちがどのように生きるべきかを力強く語っています。

辛く苦しい「自分探し」の旅でしたが、求め続けた私に、創造主なる神様が答えを下さったことを感謝します。

「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(ルカ11:9、新改訳第3版)

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2008年7月22日 (火)

大学受験

もう2年くらいブログを書いていると、何を書いて何を書かなかったのか、分からなくなって来ています(笑)。今日の話は、すでにあちこちでお話ししている内容ですが、たぶん、ブログにはまだ書いていないように思います。どこかに書いていたとしたら、ごめんなさいね。

日曜日の礼拝メッセージは、「信仰のゆえに強くされる」というテーマでした。もちろん、それはイエス・キリストを信じる信仰を通して、新しい力が与えられることを意味しています。しかし、メッセージを準備する中、私が思い出していたのは大学受験の頃の経験でした。

高校生の時、私は将来、医者になることを漠然と考えていました。すでに亡くなっていた祖父がへき地医療に従事した医者だったことが、大きな要因だったと思います。三者面談でも地元の某大学医学部が第一志望だと伝え、親もすっかりその気でいたようです。

ところが高校3年の春、所属していたバレーボール部顧問の先生が私のところに来て、どの大学を志望しているか質問しました。私が某大医学部だと言うと、先生は、こう言ったのです。「(うちの高校で)医者を志望しているのは、たくさんいる。お前は、東大を受けてみないか。」

私はそれまで、東大を受験するなど考えてみたこともありませんでした。受かると思っていなかったのです。高校は進学校でしたが、ほとんどバレー漬けの学校生活でした。バレー部顧問の先生は、体育が専門で、進路指導の担当でもありませんでした。

しかし、不思議なことに、なぜかその先生の言葉に説得力を感じたのです(笑)。ひょっとして受かるんだろうかと、その時、初めて思ったのでした。親元を離れて、東京に行ってみたいという気持ちもありました。

それから少しずつ、受験準備を始めます。友人たちが薦めていた参考書、問題集、模試、ラジオ講座など、手当たり次第に試してみました。6月の高体連までは、部活との両立がたいへんでした。今から考えると、バレー部顧問の先生の言葉により、最後の高体連に向け、部活に集中しきれなくなったのですから、皮肉なものです。(最後の試合については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cf38_1.html

何度模試を受けても、合格率が出ませんでした。最後まで、「圏外」だったのです。それでも受かる可能性を信じていたのは、いま思えば、素晴らしい「信仰」だったかもしれません(笑)。現役で合格したのは、まさに奇跡のようです。しかし、その「奇跡への信仰」が、受験勉強に集中する力を生み出したように思えます。

東大(理科一類)への入学は、私のその後の人生に大きな変化をもたらしました。医学部に進まなかった私は、将来の進路選択に悩むことになります。そして、「何のために生きるのか」という人生の目的を探し求める大学生活となります。当時はまったくの手探り状態でしたが、そのような苦悶の時期も、すべて神様の救いの計画の中にあったのでしょう。

私たちは、最善の方向へと導いて下さり、前進する力を与えて下さる神様にいつも信頼し、示された道をしっかり歩んでいきたいですね。

「人の歩みは(創造)主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。」(詩篇37:23、新改訳第3版)

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2008年7月21日 (月)

信仰のゆえに強くされる(使徒3章)

Flower080720 ペンテコステの日以降、使徒たちは別人のようでした。イエス・キリストが逮捕され、十字架につかれた時、彼らは逃げ隠れていました。自分たちも捕まるのではないかと、おびえていました。ところが復活の主イエスと出会い、聖霊が注がれた後は、逮捕も殉教もまったく恐れず、大胆に神の国の福音を宣べ伝えていったのです。

救い主イエスを信じる信仰が、聖霊の満たしとともにさらに強められ、キリストの証人として力強く生きていくことができたのでしょう。信じることは、人を強くします。私たちはしかも、「鰯(いわし)の頭」のような、まったく取るに足らないようなものを信じているわけではありません。天地万物を創造された全知全能なる神様、私たちを永遠の愛でいつくしみ、いつもともにいて最善の道へと導いて下さる神様を信じているのです。

創造主なる神様は、奇跡を起こして下さるお方です。エルサレム神殿の「美しの門」にいた生まれつき歩けなかった男は、まさにその奇跡を体験しました。彼は、歩くことは不可能だと諦めていたに違いありません。誰が見ても、それは不可能でした。しかし、神様のご計画は、彼が立って歩き、神様を賛美するようになることだったのです。神様にとって不可能なことは、一つもありません。

また創造主なる神様は、私たちを祝福して下さるお方です。立って歩けるようになった男は、いやしの奇跡によって祝福されました。しかし、この奇跡は、この男性一人だけが体験した特異な出来事ではなかったのです。それは実は、ナザレのイエスこそが約束のメシア(救い主)であり、このイエスによって地上のすべての民族が祝福されるという、神様の遠大なご計画を象徴する出来事だったのです。

そうです。創造主なる神様は、私たちを救って下さるお方なのです。真の神との離別状態から、罪から、死から、絶望から、悩み苦しみ、あるいは不安や恐れから、私たちを救い、解放して下さいます。救い主イエスを信じる時、信仰に基づく新しい力が注がれます。その力により、私たちはまったく新しい人生を歩むことができるのです。

ペテロやヨハネが別人のように変えられたように、あるいは「美しの門」で物乞いをしていた人が立って歩き出したように、私たちも全知全能の神、イエス・キリストを信じることにより、天からの力で強められた新しい人生を歩んでいきたいですね。

「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒3:16、新改訳第3版)

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2008年7月18日 (金)

和解の祈り

先週金曜夜は、中学校のプチ同期会でした。北海道と長野から1人ずつ、そして首都圏から3人の計5名が集まり、東京駅八重洲口の居酒屋で4時間ほど盛り上がりました。長野から来た友人が口走っていましたが、札幌の中学校の同期会が毎年のように東京で開かれるというのは、何とも不思議な感じがします。

私はいつものように、ずっとウーロン茶でしたが、他の人は最初ビールで、次は焼酎という流れです。とりとめのない話がしばらく続いた後、いきなり白熱した宗教談義となりました。かなり難しい質問が続いたので、一瞬私は、「しらふで良かった」と思いました。(笑)

その議論は、こういう質問から始まりました。「ユダヤ教とイスラム教が両方とも一神教だとすると、彼らが信じているのは同じ神なのか。もし同じ神なら、なぜ仲良くできないのか。」この質問が大学の授業やセミナー会場ではなく、同期会の酒席で出てきたというのは、私には驚きでした。(笑)

ユダヤ人もムスリムも、そしてクリスチャンも、確かに全知全能で天地万物を創造された唯一の神を信じているはずです。これらの人々はみな、メソポタミア・ウル出身のアブラハムの子孫と言えます。ですから互いの間に紛争があるとしたら、それは簡単に言うと、兄弟げんかということになるでしょう。

もちろんそこには、長年の不幸な歴史を背景とした不信感、妬みや憎しみ等、人間の罪の性質が深く関わっています。ただ、「いくらなんでも殺し合うことはないだろう」というのが、八重洲の酒席の一致した見解でした。

今月初めには、札幌の祈りの祭典で、エルサレムの平和のために祈りが重要だと呼びかけられていました。今週日曜日には、函館の教会で開催された「イスラエル・セミナー」で、イスラエル建国当時のビデオを視聴し、またクリスチャンが経済的に困窮するユダヤ人たちを支援する働きについてプレゼンテーションがありました。

私たちは、世界情勢と密接に連動している「エルサレムの平和」のために祈り続けていかなければなりません。ユダヤ人とパレスチナ人、アラブ人、そしてクリスチャンたちの間に和解がもたらされ、平和な関係が築かれていくことを、いつも熱心に祈っていく必要があります。

アッシジのフランチェスコは、自分自身が「平和の道具」となり、憎しみのあるところに愛をもたらすことができるようにして下さいと祈りました。私たちも、和解のために祈り、平和をもたらす者となっていきたいですね。

「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(2コリント5:18、新改訳第3版)

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2008年7月17日 (木)

雄飛の地

函館周辺には、スターバックスがありません(涙)。東京方面の出張の際には、コーヒー好きの妻のために、いつもスタバのコーヒー豆を買って帰ります。私自身も、出張先でよくお店に入ります。全席禁煙で、ゆっくりできる雰囲気がお気に入りです。

先日の所沢出張の時も、会議が始まる前のお昼をスタバで済ませました。平日の午後1時頃、所沢駅西口のお店のカウンター席で、外の人通りを見ながらサンドイッチをほおばっていると、駅前にある「航空発祥の地」と書かれた石碑がふと目に留まりました。そうです。所沢は、日本初の飛行場ができた「雄飛の地」なのです。

1903年に米国のライト兄弟が、人類初の有人動力飛行に成功したことは、世界中に衝撃を与えました。日本では1909年に臨時軍用気球研究会が設置され、翌年、所沢が日本発の飛行場建設地と決定されます。

この年の暮れ、フランス留学帰りの徳川好敏大尉(のちに陸軍中将・男爵)が代々木公園(代々木練兵場)で複葉飛行機(アンリ・ファルマン機)の初飛行を行い、翌1911年、所沢飛行場で初めて演習飛行がなされました。今の航空記念公園です。(ちなみに徳川大尉はいわゆる「御三卿」の一つ、清水徳川家の当主だったそうです。)

所沢飛行場ではその後、初期の飛行機や飛行船の製作、パイロットの訓練、テスト飛行などが行われ、1945年の終戦時まで日本の航空技術の発達に大きな役割を果たしたとのこと。陸軍の航空学校、飛行技術学校等も設立され、数多くの人材を育て、戦地へ送り出しました。「加藤隼戦闘隊」で有名な加藤建夫陸軍中佐(のち少将)は北海道・旭川出身ですが、所沢飛行学校を卒業し、同校の教官も勤めたそうです。

航空公園には、時間を見つけては、家族でよく遊びに行きました。長女をだっこして散歩する人たちに「お披露目」したり、よちよち歩かせたり、妻とバドミントンをしたり、正月に凧を揚げてみたり、そして満開の桜を見に行ったり。私たちがかつて住んでいた頃は、まだ「航空発祥記念館」はありませんでしたが、家族で楽しいひとときを過ごさせてもらいました。

創造主なる神様は、信じる人に新しい力を与えて下さいます。それは、鷲のごとく勇ましく飛翔するような力だと約束されています。私たちも、神様から新しい力をいただいてそれぞれの「霊の戦地」へと雄飛し、また新たなリーダーたちもみごとに飛躍できるよう育て、送り出していきたいですね。

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、(創造)主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:30-31、新改訳第3版)

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2008年7月16日 (水)

水がめ

所沢周辺には、二つの貯水池があります。「狭山湖」と呼ばれる「山口貯水池」と、「多摩湖」と呼ばれる「村山貯水池」です。多摩湖は、「上貯水池」と「下貯水池」の二つに分かれているため、全部で三つの貯水池と数えることもできます。いずれも、首都・東京に水を供給するために建設された人造の「水がめ」です。

私はまったく覚えていませんが、妻の話によると、私たちが結婚して所沢に移り住んだ87年の秋、教会の人たちと狭山湖(たぶん)にピクニックに行ったそうです。北海道から来たばかりのその夏は、たいへん暑く感じられ、しかも水不足で取水制限がありました。狭山湖に行った9月半ばは、やっと気温が下がって来た頃で、妻は「所沢も涼しくなるんだ」とホッとしたそうです。(笑)

いま私たちが住む七飯町は、水の豊かな地で、人口が急激に増加しない限り、取水制限はまず考えられません。上水道は、道南の最高峰・横津岳(1167m)山系からの地下水(湧水や井戸)を水源としています。「七飯(ななえ)」という町名は、七重村と飯田村が合併して出来たものですが、もともとはアイヌ語の「ナムナイ(冷たい川)」に由来するようです。「いのちの水の郷」という私たちの教会のビジョンは、水の豊かな七飯町のイメージとも重なっています。

(「いのちの水の郷」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_6808.html

所沢の牧師から二つの「水がめ」の話を聞き、いのちの水を所沢、東京、そして世界中の人々に運んでいくビジョンを耳にした時、それは七飯の教会とつながる部分があることを感じました。神様は、私たちにいのちの水を与えて下さっています。それは、ただ私たちが飲むだけではなく、水が不足し死にかけている多くの人々のもとに届けるためでもあるのです。

私たちは、神様が与えて下さるいのちの水を感謝し、その恵みをさらに多くの人々と分かち合っていきたいですね。

「…私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。」(創世記24:45-46、新改訳第3版)

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2008年7月15日 (火)

働きの季節

先週は、また会議で所沢に行って来ました。所沢は、87年に教会開拓チームの一員として移り住み、5年間を過ごした地ですが、留学し帰国した後は北海道の教会に赴任したため、教団の用事でこんなに頻繁に訪問するようになるとは思いませんでした。

以前記した通り、所沢の牧師はハワイから招聘された夫妻です。彼らも日本で長年、牧師をするようになるとは、おそらく思っていなかったでしょう。神様のご計画は、実に不思議です。(招聘の経緯については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1b7d.html

ハワイ出身の牧師が日本に来た時は、新婚ほやほやで、実に微笑ましい限りでした(笑)。私たちの目の前でキスをすると、まだ3、4歳だった長女が目を丸くし、「チューした」と母親に訴えていたことを思い出します。当時の写真を見ても、お互いに30代前半で若かったですね。

所沢に招かれた時は、「1年から3年ほど手伝ってほしい」という話だったそうです。早いもので、もうそれから16年。彼らの忠実な働きにより、当初問題だらけだった教会は新しく生まれ変わり、今はこれまでで一番健全な状態にあるとのこと。神様が、彼らの働きを豊かに祝福して下さったことを感謝します。

ハワイから牧師が来日した頃、教会のある人に幻が与えられました。「海外から日本に来る人によって、日本のフォースクエアが変えられる」という内容です。確かに、所沢に赴任した牧師は、私たちの教団が刷新されるために大いに活躍してくれました。

神様は、私たちの人生に祝福の計画を用意し、一つひとつの働きのための「季節」を備えておられます。私たちが予期しない時に、突然、恵みの雨が降ったり、新たな収穫のために畑に出て行きなさいと言われることもあります。神様の計画と定められた「季節」に信頼し、その導きに従って、忠実に働きをする者となっていきたいですね。

「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、『わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。』」(申命記11:13-14、新改訳第3版)

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2008年7月14日 (月)

信仰によって悟る

Flower080713 昨日は協力牧師のメッセージでしたが、数学のお勉強になりました(笑)。自然界には、神様が創造されたみごとな秩序が存在します。私たちは、普段あまり意識しませんが、被造物の中に素晴らしい「数学的秩序」を見ることもできるようです。

なんでも植物の葉のつき方は、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチという人が発見した数列と関連しているそうです。「フィボナッチ数列」と呼ばれるその数の集合は、「0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、…」で表され、前の二つの数を足したものが次の数になるとのこと。まつぼっくりの形や、ひまわりの種の数は、「フィボナッチ数」になっているそうです。

巻き貝やカタツムリなどの殻は、「対数らせん(ベルヌーイらせん)」と呼ばれる特別な形になっているそうです。台風や銀河も同じ形状になっているようですから、不思議ですね。

クローバーの葉やコスモスの花びらは、「正葉線」と呼ばれる曲線に分類されるそうです。「対数らせん」も「正葉線」も、シンプルな方程式で表現されるようですから、創造主なる神様はまるで偉大な数学者のようですね。

すべてを造られた神様を信じる時、見えなかったものが見えるようになることがあります。みごとな数学的秩序がなぜ自然界に存在するのか、創造主を信じる私たちは知っています。すべての秩序が、ただ偶然に出来上がったわけではありません。全能なる神様が念入りに設計されたからこそ、そこにみごとな秩序があるのです。

私たち一人ひとりも、かけがえのない大切な存在として神様が造って下さいました。その素晴らしい創造の恵みを悟り、いつも感謝と感動に満たされ、日々を過ごしていきたいですね。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3、新改訳第3版)

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2008年7月 8日 (火)

祈りの祭典2008

先週、札幌・真駒内の北海道青少年会館で開かれた「祈りの祭典」に出席してきました。(祭典の詳細は、こちら→ http://www.ihokkaido.com/

私は、今回が初めての参加です。第1回目(2006年)は、北海道の罪の悔い改めがなされた後、金粉が降る奇跡が起こったと話題になりました。昨年は、日本の国旗にあった「死の契約」を破棄し、国旗を創造主にささげる祈りがなされたそうです。今年は、洞爺湖サミット開催に合わせ、国々の指導者たちのために祈る時も予定されていました。

札幌を往復する車の中で、2005年に川口リリアで行われたシンディ・ジェイコブス師の集会メッセージを聞いていきました。同師は、「日本列島は主の剣である」と預言しています。アジアは長年、「竜」(イザヤ27:1)に支配されてきましたが、そのアジアを勝ち取り、創造主のものとするための霊的な剣が日本だと宣言されたのです。

札幌における今回の祭典でも、その預言についてふれられていました。そして印象に残った言葉の一つは、「日本は、一本の剣になる必要がある」というものです。日本には数多くの分裂、分派があります。講師の一人は、日本史には東西の壁が残り、「怨念の連鎖」が存在すると語っていました。

このメッセージの直後、北海道と大阪、沖縄の牧師たちが壇上に上がり、主イエスにあって一つとなる祈りをしました。沖縄の方が賛美をささげ、証しした後には、日本が沖縄に対して犯した罪を悔い改め、和解と回復が与えられることをともに祈り求めました。たいへん感動的なひとときでした。

大会期間中は、24時間の連鎖祈祷が行われており、夜間は、すすきのにある教会が担当となっていました。私は、2日目の金曜日午後10時から開かれた祈り会に参加しました。祈りの勧めをして下さいということだったので、シンディ・ジェイコブス師のメッセージを聞いている時に感じたことをお話ししました。

それは、日本人が伝統と組織の奴隷となっていることです。伝統をただひたすら守ろうとする心は、神様が起こそうとする新たな変化を拒否してしまいます。また、既存の組織をそのまま維持しようとする姿勢は、一人ひとりを導かれる神様の自由な働きを封じ込めてしまいます。

そしてもう一つ、伝統と組織の奴隷になった人は、不必要なプライドを持ってしまいがちです。高ぶりは、神様から人を遠ざけます。神様は、へりくだった人を喜ばれ、高く上げられるのです。

伝統と組織、そしてプライドは、分裂・分派の道につながっています。日本人、そして日本のキリスト教会は、その束縛から解放されなければなりません。神様によって一つの剣とされ、アジアの中で日本に与えられている大切な使命を果たしていかなければならないのです。

すすきのの教会では、こうした束縛から解放されるための祈りをしました。神様が今、日本人を伝統と組織、そしてプライドによる奴隷状態から解放し、日本の教会を一つにされようとしておられることを信じ、感謝します。日本全体が、神様の前に「ふさわしい人」となり、一つの剣をもって、アジアにおける霊的な戦いに圧倒的な勝利を収めていきたいですね。

「東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き、国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。この人の剣は彼らを塵のように、弓は彼らをわらのように散らす。彼は敵を追い、安全に道を進み、彼の足をとどめるものはない。この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、(創造)主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの、初めであり、後の代と共にいるもの。」(イザヤ41:2-4、新共同訳)

P.S. 最近、休みがちですが、都合によりまた明日よりお休みします。来週お会いしましょう。皆様の歩みの上に、今週も神様の豊かな祝福がありますように。

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2008年7月 7日 (月)

神の家族として増え広がる(使徒2章)

先週、「祈りの祭典」に参加するため、札幌に行って来ました。いつものように車で豊浦から洞爺湖町に入ると、普段はまったく人気のない田舎道の歩道に、警官が200~300メートルごと立っています。検問もあり、行き先を聞かれました。

札幌市内では、全国各地から召集された警察(機動隊?)のバスが、街中のあちこちを走り回っています。豊平川の河川敷には、警察官やバスが数多く待機していました。札幌中心部・創成川通の道路工事現場にも警察車両が集結していたようです。

帰りの道では、留寿都(ルスツ)の手前でヘリコプターが何機か上空を飛来し、一機は機銃掃射でもできそうなくらい(?)私の車のすぐ上を飛んでいきました。土曜日の帰路の検問では、車のナンバーや車種を一台一台記録していたようです。なんとも、ものものしい警備です。

この数日間で、一生分に相当するくらいの警察官と警察車両を見ました(笑)。彼らはもちろん、洞爺湖畔の小高い山の上を来訪する世界の政治的指導者たちを見守り、見張りをするために日本中から召集されたのです。それは、日本中からよくこれだけたくさん集まったと驚くほどの大勢の人々です。

いま私たちも、「聖なる山・シオン」に立たれる全世界の王イエス・キリストのもとに、日本各地から、そして世界中から召集されています。私たちは、神の国の王の一挙手一投足を決して見逃さないようにいつも注視し、それぞれの持ち場において霊的な警備をする「神の見張り人」とされているのです。

キリスト復活直後のペンテコステの日以来、神の家族である教会は、世界中に拡大・拡張して来ました。私たちは、「聖なる山の見張り人」として、日本中・世界中からさらに多くの人々が招集されることを期待し、待ち望んでいます。神の国の王の招きに応え、その愛の訓練によって健やかに成長し、神の家族としてさらに増え広がっていきましょう。

「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:46-47、新改訳第3版)

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2008年7月 2日 (水)

番組収録

昨日は、あるクリスチャン番組の収録がありました。何ヶ月か前に、近くに住む宣教師の先生から電話があり、この番組に出てくれないかというお話がありました。しかし、私もちょこちょこ出張の予定が入るため、これまで2回はスケジュールが合いませんでした。

最初の収録はお断りし、2回目の時はうちの教会の協力牧師に代わりに出てもらいました。今回は、3度目です。「三顧の礼」ではありませんが、昨日はスケジュールも空いていたのでもうお断りする理由もありません(笑)。決死の覚悟で(?)、お受けすることにしました。

収録場所の教会は、函館市内の立派な3階建ての会堂で、木のベンチにパイプオルガンまであります。私は普段どおり、七飯の礼拝で着るようなカジュアルな格好をしていきましたが、ちょっと場違いな衣装だったかもしれません(苦笑)。

10分間のメッセージを3本お願いしますと、言われていました。いつもは集まった「家族」の表情を見ながら、時折、笑える話を交えたり、脱線しそうになったりしつつ、30分前後の話をしています。番組スタッフしかいない場所で、カメラのレンズを見ながら、まったく会ったことのない人たちに対して、きっちり10分間でまとまった話をするというのは、私にとって初めての経験でした。

1本目はさすがに緊張し、話のテンポが速すぎたようです。ディレクターの人から、もう少しゆっくり話して下さいとチェックが入りました。2本目と3本目は、間をとるように心掛けたつもりでしたが、やはりテンポが自然に速くなってしまいます。せっかちな性格のせいかもしれません。(苦笑)

そう言えば小学校の頃、放送部で、アナウンサーか何かをしたような記憶があります。よく覚えていませんが、私の行った小学校は、ちょうど校内のテレビ放送を始めた頃だったのではないでしょうか。放送の機器をいじったり、スタジオに入ったりするのが、楽しかったように思います。

昨日は番組収録後、胃が痛くなり、家に帰って疲れがドッと出ました(笑)。私の下手な話を誰も視聴しないでほしいような気もしますが、神様はきっと、どうしようもない話であったとしても何らかの形で用いて下さるのでしょう。番組を見た方が、少しでも励まされたり、教えられることがあれば感謝です。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(2テモテ4:2、新改訳第3版)

P.S. 都合により、今週は明日からお休みします。また来週、お会いしましょう。読者の皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2008年7月 1日 (火)

ベイエリア

昨日は、妻とデートに出かけました。と言っても、その他の所用も兼ねてですから、若い頃とはまた趣が違います。(笑)

函館のベイエリア(金森赤レンガ倉庫の一角)に、最近レストランがいくつかできたので、二人でリサーチ(!)に行って来ました。クリスマスの頃、大きなツリーが飾られる辺りです。

駐車場で車を下り、手をつないで歩くと、ラブラブの恋人気分(笑)。どこで昼食をとろうかと歩き回っていると、足湯につかるスポットがあったので、二人でプチ温泉気分を味わいました。つぼが刺激されるためか、なかなか気持ちの良いものです。

結局、スペイン料理のお店に入ることにし、私は、アサリとタコのパエリアを注文しました。値段の割りに量は少なめでしたが、味は美味しかったです。妻は、お店の雰囲気を楽しんでいました。隣のお客さんが何を注文したかも、しっかり「調査」していました。

思えば、妻に初めて会った日の翌日にも、同じベイエリアで食事をしました。その日は妻の誕生日で、私ともう一人の人と三人で、知り合いの人が経営するレストランに夕食を食べに来たのです。もうそのお店もなくなってしまいました。その代わり、新しいお店がたくさんできています。20年以上たつと、街の様子も様変わりするものです。

食事の後、あたりを散策すると、ここは何年前に来たとか、前はこういうお店だったとか、あの日は寒い日で長男をベビーカーに乗せていたとか、シーフードカレーを食べてお腹をこわしたとか、いろいろ思い出すことがあります(笑)。神様が、私たちにたくさんの楽しい思い出を与えて下さいました。

帰り道、別の用事をたしたついでに、中学生の子どもたちにTシャツをお土産に買いました。やはり、昔のデートとは趣が違います。(笑)

今年は、結婚21周年になります。創造主なる神様が、私たちの歩みを支えておられることを感謝します。聖書に記される「三つ撚(よ)りの糸」の三本目は、二人を結び合わせて下さる神様だという解釈を聞いたことがあります。神様の愛によって導かれ、これからも息の合った二人三脚で、一歩一歩進んでいきたいですね。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」(伝道者の書4:12、新改訳第3版)

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