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2008年7月25日 (金)

「郷づくり」のミッション

召命の「お試し期間」(昨日のブログ参照)が終了した1995年、私は米国留学から帰国し、沖縄で牧師認定の「按手礼」を受けました。ちょうど浦添市で私たちの教団会議が開かれ、アメリカとアジア各国から指導者たちが集まっていた時です。メイン・スピーカーは、ハワイのラルフ・モア牧師でした。(ラルフ・モア牧師については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_c6f9.html

私の新たな任地は、函館郊外の七飯町でした。七飯町は、幕末最初の開港地の一つである箱館近くに位置するため、意外と早くからプロテスタント宣教の種がまかれています。

1874年に函館を訪れたメソジストのM・C・ハリス宣教師と聖公会のデニング宣教師は、七飯を含む近郊の農村にも伝道しました。当時、七飯は明治新政府によるパイロット農場が建設され、欧米の先進的農業を北海道に広めるための拠点でした。(函館のプロテスタント宣教開始については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_133a.html

七飯シオン教会の前身となるのは、カナダから来たマクノートン宣教師による伝道です。同師は、1934年の函館大火後この地を訪れ、函館を中心とした宣教活動を進めるとともに、国立七飯療養所(現在の「ななえ新病院」)での伝道も開始。1963年には、旧七飯会堂を建設します。日曜学校や婦人会等を行い、将来的には七飯に神学校を建設するビジョンも抱いていたそうです。

単立教会から派遣されていたマクノートン師は、引退するにあたり、その働きを神学的に近かったフォースクエア教団に引き継ぎます。七飯においては定期的な家庭集会や教会学校、音楽伝道やミニチャーチなどが続けられてきました。1993年には新会堂が建設され、正式な教会設立に向け、準備が整いつつありました。

「いのちの水の郷(さと)」づくりのビジョンが与えられていた私は、函館の親教会の承認の下、「株分け」方式による教会開拓を始めます。開拓に重荷を持ち、ビジョンに賛同する人たちが、自由に開拓チームに参加または支援をするという方法でした。(「いのちの水の郷」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_6808.html

それから、はや10年余りが経過しました。最初数年の「郷(さと)づくり」は、主として七飯町近辺のみの活動だったのですが、次第に全国各地の教会ネットワークとのつながりが深められてきました。そして私たちの歩みを通し、「郷づくり」は、次の4つの柱によって支えられることが徐々に明確になって来たように思います。

第一の柱は、聖霊の豊かな流れ(Current)。第二の柱は、コミュニティの形成(Community)。第三の柱は、リーダー育成と派遣(Change Agents)。そして第四の柱は、ネットワーキング(Connecting)です。私たちは、これを「4つのC」と呼んでいます。

創造主なる神様が、私たちを「郷づくり」のミッションのため、七飯に遣わして下さったことを感謝します。郷長(さとおさ)なるイエス・キリストの下、聖霊の流れに心いやされるオアシスのようなコミュニティが、少しずつ築かれて来ました。同じようなビジョンを共有する他教会とのネットワークが広がり、リーダーが成長し、新たなミッションのために各地へと遣わされつつあります。

私たちは信仰の父アブラハムのように、神様から示される任地へいつでも赴き、人々に祝福をもたらすミッションを完了していきたいですね。

「あなたがたは…神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。」(使徒3:25、新改訳第3版)

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