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2008年8月25日 (月)

聖霊によって語る(使徒7章)

Flower080824使徒7章は、ステパノの殉教を記しています。ステパノは聖霊と知恵に満たされ、神様から語りなさいと命じられたことを大胆に語りました。まったくの冤罪によって逮捕された彼は、いくらでも解放される道があったはずです。しかしステパノは、妥協や保身に走りませんでした。彼はただ、聖霊によって与えられたメッセージを私心なく語ったのです。

今回、この聖書箇所を読んでいて、大学生の頃(?)拾い読みをした「葉隠(はがくれ)」をふと思い出しました。「葉隠」とは1716年頃、佐賀鍋島藩の山本常朝が口述した武士の心得をまとめたものだそうで、「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一節で有名です。

何のために死ぬかと言うと、主君からゆだねられた職務を全うするために死ぬのです。ただひたすらに主君を思い、いつ討ち死にしても良い覚悟で、一瞬一瞬を大切に生きるというのが、「葉隠」が教える武士道のあり方です。

この武士道の教えは、ステパノの生き方につながるような気がしました。ステパノは、主君であるイエス・キリストを愛し、語るべきメッセージを大胆に語り、その使命を全うしました。彼のいのちは、すべて「主君」にささげられていました。そして、殉教をも恐れず、最期の一瞬まで聖霊によって語り、祈ったのです。

ステパノは、感情的になり暴徒化した聴衆により、殺害されました。しかし、彼の死は決して犬死にはなりませんでした。これ以降、エルサレムから散らされた人々により福音が各地に宣べ伝えられ、教会がユダヤ、サマリヤ、そして「地の果て」にまで拡大していきます。神様は、ステパノの尊い犠牲を「地に落ちた一粒の麦」のように祝福し、大きく用いて下さったのです。

私たちもステパノのように、ただひたすら「主君イエス」を思い、聖霊によって語る生き方をしていきたいですね。それは、創造主なる神様の愛を人々に伝え、迫害する者のために祈る生き方でもあります。

「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」(使徒7:59-60、新改訳第3版)

P.S. 今週の更新は、都合により本日のみとします。また来週お会いしましょう。読者の皆様の上に、今週も神様の祝福が豊かにありますように。

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