結実への訓練
私たちが「水路のそばに植わった木」となり、豊かな実を結んでいくための条件は、「愛(i)の流れ」だと昨日、書きました。それは、「おしえ(instruction)」、「おはなしと満たし(intimacy & infilling)」、「おこない(impact)」の三つからなる流れです。私たちが、天の父なる神様からいつも教えを受け、「親子」のコミュニケーションを欠かさず、その愛で満たされていく時、聖霊の水が心のうちから外側へと流れ出し、愛する生き方の実を結んでいくのです。
こうした生き方を一人ひとりがしていくため、神様は私たちに訓練の機会を与えて下さり、またその手助けをする人たちを遣わして下さいます。訓練には、大きく分けて三つの方法があります。非公式な「師弟関係」による訓練、短期的な講習会による訓練、そして正式な教育機関による訓練の三つです。
多くの場合、牧師などの教会指導者になるためには、聖書学校や神学校で勉強することが必要と考えられています。そのような正式な教育機関には通常、優秀な講師陣が集められ、総合的に多くの学びをすることができます。しかし、教育機関における訓練は、どうしても知識偏重になりやすく、また勉強のために奉仕の時間が犠牲になったり、教会を一時的に離れ都会に移り住まなければならなかったりします。
セミナーや特別集会などの短期的講習会は、正式な教育機関ほどの時間的制約はありません。そして、深い学びにふれられるメリットがあります。しかし、もちろん一回に学べることは特定のテーマに限定されていて、広い分野の学びをするには、たいへん長い期間を必要とするでしょう。
「非公式な師弟関係」というのは、親子や先輩・後輩の関係、師匠と内弟子の関係、指南役とインターンや丁稚などとの関係のことです。こうした関係を通して、日常生活と直接つながった「実地訓練」がなされるため、学ぶ内容は実践的・実用的です。しかし同時に、学べる範囲には自ずと限りがあり、また「師匠」の質(特に品性)に左右される弱点があります。
一つの教会で牧師や教師の働きをする人は、公式・非公式さまざまなケースがありますが、たいていの場合、「師弟関係」を通して人々を訓練していると言えるでしょう。「弟子」にあたる人が、「水路のそばに植わった木」として大きく成長し、豊かな実を結んでいく手助けをするため、大きな責任を担っています。
「師匠」の務めを与えられている人は、「弟子」にあたる人々が「いのちの水」によって健やかに成長し、「愛(i)の流れ」を体験・実践する訓練が受けられるよう、いつも心を配ってあげたいですね。そのためには先ず「師匠」たちが、「弟子」や教会全体の成長プロセスをすべて自分たちのコントロール下に置こうとする人間的な「支配欲」を捨て去り、自ら本当の「愛(i)の流れ」を体験し、日々の生活の中で実践する模範を示していかなければなりません。
「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。…卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(1ペテロ5:2-3、新改訳第3版)
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