とりなし手
世界的に有名な宣教学者C・ピーター・ワグナー博士の「個人的なとりなし手」の一人に、以前お会いしたことがあります。「個人的なとりなし手」というのは、自らの生活や働きのさまざまな状況を率直に伝え、祈りをもって支えてもらう人のこと。霊の戦いを進めていく上で、とりなしの祈りは重要な役割を担っています。
ロス郊外の神学校で同じクラスをとっていたその人は、小柄で穏かな女性でした。分かち合いの時間か何かで、私が前日に一人で自室にこもり祈っていた内容を話すと、ほとんど初対面の彼女は、「あなたの祈りが聞こえていました」と言います。私は仰天して、もっと話を聞きたいと思い、わが家に招待しました。
私たちが日本に帰国し、道南で教会を開拓する話をすると、その地域での霊の戦いについて、的確なアドバイスをくれました。かなり激しい戦いになることも予見していたようです。内容の濃い話をした後、彼女と妻、私の三人で祈り、霊的な一つの備えをすることができました。
七飯シオン教会を正式に立ち上げるにあたり、とりなしの祈りは、重要な働きの一つとして位置づけられていました。親教会の役員会などに提出した資料にも、核となる働き人の中に「祈り手」が挙げられています。さまざまな人たちが、教会のために祈ってくれたと思いますが、私と妻のための「個人的なとりなし手」は、しばらく現れませんでした。
それは、実に不思議な「神の国の人事異動」でした。私たちがアメリカから帰国し、教会立ち上げ準備に入ってから5年後の2000年、大阪から一組のクリスチャン夫婦が引っ越してきます。私は、教団の新たな規約作成に携わり、教団事務局的な働きを兼務し始めた頃でした。
転勤でも何でもなく、また私や妻の知り合いでもありません。北海道には何度か来て、道南で結婚式も挙げ、好きな場所とのこと。それにしても大都市圏から田舎に来て、不況にあえぐ函館周辺で仕事を探すという無茶な話です。なぜかと聞くと、それが神様の導きだと言うのです。
このカップルは、私たちの「個人的なとりなし」をするミッション(使命)を帯びて、創造主なる神様が七飯に遣わされたのでした。ご主人は朝から晩まで目一杯仕事をして家計を支え、奥さんは私たちのために熱心に祈り続けてくれました。神様が、重要な働き人を私たちのもとに派遣して下さったことを感謝します。
かの王妃エステルは、自らの民族のためペルシヤ王にとりなし、命をかけて助けを求めました。私たちも神様が遣わされる場所に行き、とりなしの祈りを必要とする人たちのために祈り続けていきたいですね。
「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:14、新改訳第3版)
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