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2008年9月

2008年9月30日 (火)

週1回更新へ

読者の皆様

いつも読んでいて下さり、ありがとうございます。

さて、2年前にブログを始めてから週5回ほどのペースで更新して来ましたが、これから転任準備等でしばらくドタバタしそうなので、今後は原則として週1回の更新とします。内容は、礼拝メッセージが中心になりそうです。

引継ぎや引越し準備、子どもの高校受験のためにお祈りいただければ感謝です。

皆様の上にも創造主なる神様の祝福が豊かにありますように。

「天地を造られた(創造)主が シオンからあなたを祝福されるように。」(詩篇134:3、新改訳第3版)

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2008年9月29日 (月)

変化に正しく対応する(使徒11章)

変化が起きた時、人はさまざまな反応をします。

カイザリヤのコルネリオの家で異邦人たちにも聖霊が注がれた出来事は、キリスト教会の将来を左右する重大事件でした。イエス・キリストの救いはユダヤ人だけでなく、すべての国の人々に約束されていることを、その事件は明確に指し示していました。

その場にいたペテロたちは、その意味を即座に理解します。しかし、その場にいなかったエルサレム教会の人々は、知らせを聞いて否定的に反応しました。異邦人の家を訪問することは、彼らの伝統に反していたからです。

そこでエルサレムに帰ったペテロは、「しるし」となった出来事をいくつか挙げ、それらを主イエスのみことばと照らし合わせて判断したと分かりやすく説明します。エルサレム教会の人々は、状況を正しく理解し、納得しました。その変化は、創造主なる神様がもたらされたのだと悟ったのです。

一方、アンテオケの教会ではさらに大きな変化が起こりつつありました。もともと多神教で、ユダヤ人とあまり仲の良くなかったギリシヤ人たちがイエス・キリストを信じ、どんどん教会に集うようになっていたのです。

事を重大視したエルサレム教会は、すぐに「使徒」バルナバをアンテオケに派遣しました。そのリバイバルが真正なものかどうか見分け、人々を霊的に正しく指導することが必要だったのです。バルナバの監督下、アンテオケ教会は大きく飛躍します。その教会はパウロの訓練の場となり、さらに飢きんに苦しむエルサレム教会を支援するまで成長していったのです。

初代教会は、このような出来事を通し、エルサレム一極集中型からいくつかの拠点をもつネットワーク型組織へと次第に変容していきます。各地の教会を監督し、連携させる使徒や預言者たちが活躍し、そこにはユダヤ人だけでなく、多くの国籍や文化的背景を持った人々が一つの家族として集うようになります。それは、おそらくエルサレムで史上初のキリスト教会が誕生したペンテコステの日には、誰も想像もできなかったような大きな変化だったでしょう。

使徒たちと初代教会の人々は、神様がもたらされたこのような変化に正しく対応していくことができました。私たちも、創造主なる神様にいつも聞き従い、変化に適切に対応して歩んでいきたいですね。

「(エルサレム教会の)人々はこれを聞いて沈黙し、『それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、神をほめたたえた。」(使徒11:18、新改訳第3版)

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2008年9月26日 (金)

学校祭

今日は、長男と次女の中学校の学校祭でした。聞くと長男は、開会式から閉会式までほとんど出づっぱりとのこと。私は最近、働きづくめで少々疲れ気味なので(笑)、今日は思い切って休みをとり、朝から妻と二人で学校祭を見に行くことにしました。

開会式は「クイズ!ヘキサゴン」仕立てで、長男は「羞恥心」の上地雄輔役。イメージカラーは黄色だそうで、黄色いTシャツの上に揃いの黒いジャケットを着て、他の二人と一緒に踊っていました(笑)。

その後、吹奏楽部の演奏では長男はユーフォニアム、次女はテナーサックスを吹きました。演奏に合わせて、今年4月から転任してきた先生方が自己紹介がてら(?)、ルパン3世と銭形警部、サザエさん、ゲゲゲの鬼太郎、ごくせんのヤンクミ(仲間由紀恵の役柄)、そして崖の上のポニョに扮して、歌を歌いました(笑)。恒例だそうです。

次は各学年ごとに寸劇、ダンスなどのパフォーマンスがありました。次女はダンスの後、「つまんねぇし」というセリフを一言(笑)。標準語のセリフをアドリブで七飯弁にしたそうです。長男は、修学旅行をテーマにした寸劇で中尊寺に登場する藤原清衡役。でも、なぜか今風の甚平を着て、100円ショップで買った刀を持っていました(笑)。

午後は、いよいよ合唱コンクール。次女も長男も指揮者です。次女のクラスは、「カリブ夢の旅」という曲で銀賞。長男のクラスは金賞で最優秀賞をいただきました。長男と伴奏者の女の子は3年間同じクラスだったのですが、なんとこのコンビで最優秀三連覇を成し遂げました! クラスメートの子たちも、強弱のメリハリをしっかりつけて、原爆をテーマにした「消えた八月」という悲しい曲を一生懸命歌っていました。

閉会式はサミットを題材にした寸劇で、長男は今度は某国大統領役。セリフも間違えなく言ったようで、無事に学校祭が終了しました。

子どもたちは、良い思い出ができて良かったですね。私たちも楽しませてもらいました。創造主なる神様に感謝します。

「わがたましいよ。(創造)主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2、新改訳第3版)

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2008年9月25日 (木)

パソコンクラブ

Img_15391 妻は最近、「パソコンクラブ」に通い始めました。所沢に行くことが決まってから、突然のことです。

聞いてみると、妻が最初にPCにふれたのは、なんと20年以上前に通った某新聞社主催のカルチャースクールとのこと。「これからはパソコンの時代だ」と思い、BASICを習ったそうです。

その後、函館の国際交流団体でPCを使うようになりました。確かNECの98シリーズで、最初は8インチのフロッピーディスクでした。使用したソフトは、ワープロの「松」とデータベースの「PC-PAL」。それらの使用法を彼女に教え、それが運命の出会いとなったのは、某塾から研修に来ていた「白馬の王子」ならぬこの私です(笑)。

結婚後、妻はほとんどPCを使う機会がありませんでした。最近までメールや文書作成などの必要がある時は、多くの場合、私が「キーパンチャー」として口述筆記、または妻の手書き文書をタイプして来ました。妻は携帯もないため他の人から「イエデン」に連絡が入りますが、家で仕事をしている私が出て取り次ぐことも多いです。「私設秘書」のようですね(笑)。

七飯の教会では、メールを使う必要もなかったため、これでも大丈夫でした。しかし、所沢へ行くとそうはいかないだろうと思ったようです。かつて教会の人が通っていた講習会について教育委員会に問い合わせると、「パソコンクラブ」を紹介されたそうです。

行ってみると女性ばかりで、妻が最年少! お孫さんがいらっしゃる方ばかりです。皆さんたいへんパワフルで、PCで作成した参加者名簿をくれたり、きれいな画像の入った葉書を送ってきたり。私が妻にメールアドレスをとってあげると、たびたびメールを下さる近所の方もいます。

昨日はデジカメ研修だとかで、妻は私の古いカメラを借りて、函館の「西部地区」で写真を撮ってきました。なかなかいい写真が撮れたようです。昼食は五島軒のランチ! お昼だけでも参加したかったなぁ(笑)。

私たちは、自分のできることを通して創造主なる神様に仕え、また互いに仕え合っていきたいものです。PCが使える人は、それが神様の栄光のために用いられていくと良いですね。

「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。」(1ペテロ4:11、新改訳第3版)

(写真は、妻が撮影したハリストス正教会)

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2008年9月24日 (水)

Book Off(ブックオフ)

今日は、近くのブックオフで初めて本を売ってきました。これも引越し準備の一つです。

たまる一方だった蔵書の山を少しは片付けようと、先日、とりあえず箱2つ分の本を取り分け、処分することにしました。そのまま全部捨てるよりは、少しでも買ってもらえる方が良いかと思い、今朝、お店に持って行きました。

50冊くらいあったと思いますが、締めて2,390円。0円評価の本も引き取ってもらえるとのことで、こちらとしては大助かりです。

処分した本の著者の中には、シェークスピアもトルストイも、山本七平も阿川弘之も、松本道弘も大前研一もいたと思います。もうこの本は読まないだろうと判断がつけば、始末もしやすいですね。

本の整理は、まだ始まったばかりです。これから何箱運ぶことになるのか、見当もつきません。でも、快く引き取ってくれるところがあって、ホッとしました(笑)。

いらないものは、どんどん始末し、捨て去っていかなければなりませんね。荷物がどんどん重くなるばかりでは、人生のレースをいつか走れなくなってしまいそうです。(笑)

「・・・私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1、新改訳第3版)

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2008年9月23日 (火)

ホームページの引越し

昨日は、教会ホームページの引越しをしました。これも、来春までの引継ぎ作業の一つです。

手元の資料を見ると、最初の教会ホームページは、4年ほど前に作成したようです。私のniftyのアカウントに、無料で作成できるスペースがあったので、せっかくだから利用することにしました。できるだけお金をかけずに作ろうと、手持ちのソフトとネットから手に入る無料ソフトを使用しました。

教会のチラシ作成用に使っていたMicrosoft Publisherで主なページを作成し、地図だけはエクセルを利用しました。ちょうど新聞の週末版に、エクセルを使った地図作りの特集記事が載っていたのです。各ページをリンクさせるように設定し、niftyのサイトと同期させるのはFFFTPというフリーソフトをダウンロードして使いました。

2年前に教会の10周年をお祝いした際、HPもリニューアルしようと思い、今度はホームページビルダーを購入。これで作り直そうと思いきや、Microsoft Office系のソフトとは使い勝手が少々異なり、あまり時間もなかったため、途中で挫折しました(笑)。

2年間そのままだったのですが、来春以降は私のniftyアカウントをそのまま使い続けるわけにもいきません。で今回、サーバーを引っ越すことにし、ついでにサイトもリニューアルしようと思いました。以前作りかけたファイルを再度開いてみると、なんともう半分くらい作ってあるではありませんか(笑)。そこで、もう一度ホームページビルダーに挑戦することにしました。

土曜日から月曜日にかけて新しいサイトを作成し、昨日めでたく公開。(ハレルヤ!)いつものようにやっつけ仕事ですが、なんとか完成して良かったです。来春には、また牧師情報を更新しなければなりません。これから引継ぎ作業を進めたいと思います。

創造主なる神様が、ホームページの引越しをも導いて下さっていることを感謝します。

「あなたを贖う(創造)主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。『わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。』」(イザヤ48:17、新改訳第3版)

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2008年9月22日 (月)

神の平和を築く(使徒10章)

紀元1世紀の頃、ユダヤ人とローマ兵は、かなり微妙な関係にあったはずです。ローマ軍はイスラエルを占領する外国の軍隊であり、ローマ帝国からの独立を目指すユダヤ勢力を武力で鎮圧する任務が与えられていました。地中海世界において「ローマの平和」を守るためには、帝国内の反ローマ運動は、すべてきびしく取り締まる必要があったのです。

一方、ユダヤ人たちは、自分たちの祖国が異邦人の軍隊から解放される日を待ち望んでいました。創造主なる唯一の神から与えられた「約束の地」が、異邦の神々を奉るローマ軍に占領され、汚され続けるのは、あってはならない由々しき事態でした。弟子たちでさえ、キリストが復活した直後、いよいよ独立の時が来たのかと期待していたのです。

律法の定めにより、ユダヤ人は異邦人と交わりを持ちませんでしたが、特にローマ兵とは関わりを持ちたくなかったかもしれません。彼らは、祖国を軍事力で支配し続ける「敵」だったのです。キリストの弟子たちでさえ、積極的にローマ兵に福音を伝えていこうとはおそらく思わなかったでしょう。主イエスの十字架刑の際には、ローマ兵たちによる虐待と侮辱的行為もあったのです。

ところが、神様はこのような敵対関係の中にも平和を築くことのできるお方です。使徒ペテロとローマ軍の百人隊長コルネリオとを実に不思議な方法で出会わせて下さり、二人の間にイエス・キリストによる和解をもたらして下さいました。

異邦人たちにも同じように聖霊が注がれることを目撃したユダヤ人信者たちは、驚愕します。そして、神様はどんな国の人々でも等しく愛していて下さり、キリストによる平和を築いて下さるのだと深く理解したのでした。

私たちも、どんな人に対しても創造主なる神様の愛を伝え、敵対関係の中に平和をもたらす生き方をしていきたいですね。

「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」(使徒 10:36、新改訳第3版)

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2008年9月19日 (金)

引継ぎ

そろそろ、七飯でも引継ぎ作業を始めなければなりません。何を引き継ぐのかというのは、とりもなおさず、この10数年間、自分が牧師として何をしてきたのか、ということになります。これまでの歩みを振り返り、自分なりに採点してみることもできますね。

牧師として一番人目につく働きは、礼拝のメッセージ(説教)です。出張で留守にしていない限り、毎週土曜夜と日曜朝の2回、それぞれ30分ほどのお話をします。私の場合は、ほとんどが講解説教。つまり、聖書を毎週1章ずつ読み進み、その週の箇所について神様が教会に対して語られているように感じることをお話しします。

二つ目の働きは、賛美のリードです。礼拝では、7~8曲のワーシップソングを30分くらいかけてみんなで一緒に歌います。賛美のリーダーは、「合唱」する人々の心が神様の方向に向くよう、自ら歌いつつ、他の人たちの歌も導かなければなりません。この賛美リードを日曜日は月に2~3回、土曜日も月3回ほどしています。

メッセージ準備と賛美曲の選定、そして週報の原稿作成は金曜の昼頃までに終え、金曜午後は賛美の録音をしています。礼拝の時はOHP(まだプロジェクターではありません)で歌詞を映し出すのですが、盲目の人がいるので、選んだ曲を前もってテープに録音し、「予習」してきてもらうのです。ギター(とドラム)伴奏の練習も兼ねて、全曲をワンコーラスずつ録音します。

さらに定例会議の議案をまとめ、議事進行を務めます。毎月、役員会と小グループリーダーの会議がそれぞれ1回ずつ開催されます。役員会には前月の会計報告も提出するため、会計担当者の働きにも監督責任があります。教団に対しても、定められた様式の報告を毎月送るため、各集会の出席人数を確認しています。

この他、クリスマスやイースター、子どもたちのキャンプなど特別な集会が予定されている時は、その運営全体に責任を負っています。ゲスト・スピーカーやミッション・チームが来た時は、その応対もあります。会堂管理責任者としての役割も担っています。また結婚式の司式や翻訳など、教会外から仕事が舞い込むこともあります。

年1回の総会では、年次計画と予算・決算の審議をするため、そのための資料作成もします。

私は教団事務局の働きが多く、牧師としての仕事はかなりセーブしてきたように思いますが、それでもこのように書いてみると、いろいろやることがありますね。このほとんどを来春までに引き継がなくてはなりません。

創造主なる神様が、私たちのためが受け継ぐもの、引き継ぐべきものをすべて計画して下さっていることを感謝します。

「(創造)主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。」(詩篇47:4、新改訳第3版)

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2008年9月18日 (木)

見送りと秋の到来

火曜日は妻と二人で、京都に帰る長女を函館空港に送って来ました。途中、義母の家に立ち寄ると、長女は、ホタテの薫製をおみやげにもらいます。これは函館で作っているはずだと義母が製造元を見ると、東京と書いてあるのを発見(笑)! まあ、関西製でなければおみやげになるか、と爆笑していました。

空港でも、別のおみやげを買います。今回は、定番の「白い恋人」、「マルセイ・バターサンド」、「夕張メロンピュアゼリー」。教会の人たちやアパートの管理人さんなど、それぞれ行き先が決まっていたようです。

私たちが品定めをしていると、別のお客さんたちがレジに来て、「『花畑牧場』の生キャラメルはあるか」と聞いています。他の店では品切れ(入荷待ち)だったのですが、私たちがいた店では、レジの奥に在庫がありました。私は知りませんでしたが、ずいぶん人気商品のようですね。私たちも買って食べてみると、とろけるような食感で美味しかったです。

空港内を少し歩き、遺跡から出土した土器などを見回った後、長女はセキュリティーゲートを抜け、搭乗待合室に入りました。妻と私は家に戻り、宅配便で長女の荷物を6箱発送! 数時間後、長女からアパートに無事到着したと連絡がありました。

今回の夏休みで、長女はずいぶん活躍しました。妻と私が三沢と所沢にそれぞれ一泊二日で出掛けたため、学校と部活に出かける長男と次女のお世話を長女が担当したからです。(二人のお弁当も作りました。)それだけ大人になった「子ども」を見ることができたのは、感謝ですね。

長女を見送ると、妻と私の夏休みモードも終わり、秋の到来となります。季節にしたがって私たちを祝福して下さる創造主なる神様をほめたたえます。

「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかにあなたがたの地に住む。(レビ26:3-5)

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2008年9月17日 (水)

バーベキュー

月曜の昼食は、教会でバーベキューでした。いつも年に1、2回、礼拝後にバーベキューを食べていたのですが、今年はスケジュールが立て込み、9月の予定表にも入っていませんでした。すると月初のミーティングで「今年はやらないのか」という声が上がり、急遽、15日の祝日に予定が入ったのです。

七飯の教会のバーベキュー・グリルは、ハンドメイドで巨大です。教会員の人が、ドラム缶を二つに切って作ってくれました。それに備長炭を入れ、金網と鉄板で半分ずつ上を覆います。教会堂前に置かれた二つのグリルから煙が立ち上る様子は、まるで聖所の前に置かれた全焼のいけにえをささげる祭壇のようです(笑)。

今回の「いけにえ」には、子羊(ラム)はありませんでした(残念! 笑)。材料は市販の味付け牛肉、醤油とみりんに漬けたイカ、ソーセージ、そして野菜はキャベツ、玉ねぎ、カボチャ、ジャガイモ、ナス、シイタケ、ピーマンなど。デザートにはナシ、黒糖と干しぶどうのケーキ、そしてカシス・シャーベットもつきました!

妻と私は土日に出張していたため、今回はほとんどの準備を教会の人たちがしてくれました。後片付けは少しお手伝いしましたが、ひたすら食べる係に専念(笑)。長女も京都に帰る前に参加でき、長男と次女もわざわざ部活を早退して教会でのランチを楽しみました。

さわやかな秋晴れの下、久しぶりにのんびりとリラックスした昼食のひとときを味わうことができ、感謝します。

「(創造)主よ。私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。」(詩篇26:6-7、新改訳第3版)

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2008年9月16日 (火)

祝福の計画を引き継ぐ鍵

日曜日は、所沢の教会を訪問しました。異動が決まってから、初めての訪問になります。(異動については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_55ba.html

礼拝では、創世記24章を開き、祝福の計画を引き継ぐための3つの鍵についてお話ししました。第一の鍵は、祝福の約束を信じることです。アブラハムは、一人息子イサクの結婚相手は、自分の生まれ故郷であるメソポタミヤ出身の親族でなければならないと考えました。

アブラハムが求めていたのは、創造主なる神様が約束して下さった祝福のビジョンを共有できる人だったのです。そして彼は、神様がその約束を必ず守って下さると信じ、イサクの結婚相手をも備えて下さっていることを確信していました。

第二の鍵は、導きを求めて祈ることです。アブラハムから遣わされたしもべは、イサクの結婚相手を神様がはっきりと教えて下さるよう、具体的に祈りました。そして、神様はその祈りに明確に答えて下さり、リベカと出会わせて下さったのです。もし、この導きがなかったら、しもべは誰を連れ帰ったら良いのか、まったく分からなかったでしょう。

第三の鍵は、将来へ向け行動することです。リベカは、見ず知らずの地に旅立つことを、すぐに決心しました。リベカ自身もアブラハムと同様、自らの生まれ故郷を出て、神様の示す地へと向かいました。そして、イサクと結婚。二人でアブラハムの祝福を受け継ぎ、子どもたちにそれを引き継いでいく者となったのです。

所沢の教会とそこに集う一人ひとりには、創造主なる神様が用意して下さっている祝福の計画があります。首都圏の水がめとなり、人々にいのちの水を供給していくような教会となっていくことを期待しています。(「水がめ」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_40b2.html

イサクとリベカがアブラハムの祝福を引き継いでいったように、私たちも神様の素晴らしい祝福のご計画を受け継ぎ、そして将来の世代へ引き継いでいきたいですね。

「彼らはリベカを祝福して言った。『われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。』」(創世記24:60、新改訳第3版)

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2008年9月15日 (月)

中秋の名月

昨日、七飯ではきれいな月が見えました。土日は妻と二人で所沢に出張し、昨夜帰ってきました。JALだったのでANAのシステム障害のことは、何も知りませんでした。羽田ではターミナルも別になっているため、JALの方は特に混んでもいませんでしたね。土曜日の方が、連休初日でごった返していたように思います。

飛行機の上からは、美しい夕焼けが見えました。雲の上から見る夕暮れは、赤く燃える空が雲海の彼方に広がり、また特別な趣がありました。函館空港に到着したのは午後7時頃でしたが、その時はもうあたりは真っ暗でした。

帰宅して車を下りると、頭上にふと美しい月を発見しました。家には、月見饅頭がありました。何でも、七飯の教会員の人がくれたのだそうです。長女がそう言うまで、中秋だとは気づきませんでした。ウサギの絵が描いてあるすこし平べったい、こしあんの饅頭でした。夕食後に一口いただきました。美味しかったです。

月はきれいでしたが、七飯の夜は半袖姿ではもう肌寒く、月を見ながら食事というわけにはいきませんね。うちでも、ちょっと見て、「ああきれいだね」と言って、すぐに家の中に入りました。北海道では、外で観月会とはいかないようです。

創造主なる神様が、美しい月を造って下さったことを感謝します。

「主は季節のために月を造られました。太陽はその沈む所を知っています。」(詩篇104:19、新改訳第3版)

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2008年9月12日 (金)

デジカメ

今週は、デジカメも買い換えました。4年半ほど前に購入したキャノンのIXY DIGITALをずっと使っていましたが、時々、撮影時に画像がきちんと表示されないようになっていました。月曜日に長女の着物姿を撮った時も、何枚かはカラフルな「ウルトラQ」オープニング映像のようになりました。(笑)

CCDの不調なのかもしれませんが、携帯を契約した際のポイントがたくさんたまったので、新しいデジカメを購入しました。キャノンとは付き合いが長く、使い慣れているので、またIXY DIGITALです。

最初にデジカメを購入したのは、教会のホームページを作成するためでした。フォルダーを調べてみると、長女が中学を卒業し、高校に進学した年から撮影を始めています。ホームページのためにも撮りましたが、家族の写真もたくさん撮影しました。子どもたちが小さかった頃の写真を見ると、たいへん懐かしい気持ちになります。

デジカメも、私たちが創造主なる神様に良くしていただいた出来事を思い起こすため、存在しているのかもしれませんね。神様の大いなる恵みと祝福を感謝します。

「あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。見よ。(創造)主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。」(詩篇128:3-4、新改訳第3版)

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2008年9月11日 (木)

メール

以前にも書きましたが、メールを始めたのは92年の留学時です。その時はパソコン通信の「電子メール」で、「塾報」用の原稿を日本へ送るのにもっぱら使っていました。(以前の記事は、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_acd2.html

アパートの書斎には都合よくモジュラージャックがあったため、そこにパソコンのモデムを電話線でつなぎ、近隣のCompuServeのアクセスポイントにダイヤルアップで接続しました。外付けFDD内のフロッピーに保存した文書ファイルをパソコン通信で送ったのですから、当時としては、我ながらよくやったと思います。(笑)

95年に日本に帰ってきた3、4年後、今度は友人の牧師とひんぱんにメールのやりとりをするようになりました。その頃は、ニフティマネージャーとかいうソフトを使い、ずいぶん使い勝手がよくなりましたが、依然としてダイヤルアップ回線による文字だけのメールでした。

99年頃、札幌の父(故人)からソーテックのパソコンが送られてきました。「孫たちのため」ということでしたが、私の仕事用にしっかり使わせてもらいました。同年暮れ頃から教団の規約作りで忙しくなり、メールのやりとりも頻繁になりました。電話料金の請求が急に増えたため、定額のブロードバンドを導入します。ネット検索も、やっと時間と料金を気にしないでできるようになりました。

やはり99年頃から携帯をもつようになりましたが、両手での「タッチタイピング」に慣れていた私は、すぐに携帯メールをしたいとは思いませんでした。最初の携帯は、メールができない機種(か契約)だったように記憶しています。今は携帯メールにも少し慣れてきましたが、それでもキーボード入力の方が速くて好きですね。仕事上の長いメールは、PCオンリーです。

手紙、電報、電話、ファックスだけの時代から比べると、世の中便利になったものです。しかし創造主なる神様とのやりとりは、今でもメール経由でなく、直接の対話です。いつでもどこでも、パソコンも携帯もなかったとしても、神様が私たちとコミュニケーションをとって下さることを感謝します。

「先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」(イザヤ42:9、新改訳第3版)

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2008年9月10日 (水)

携帯電話

携帯を新しくしました。今回で4台目です。

私はどちらかと言うとPCメール派で、ネットももっぱらパソコンで見ます。出張以外はたいてい家で仕事をしているため、携帯を持つのも遅かったのですが、その必要を強く感じるようになったのは、携帯が使用できないはずの飛行機の中でした。

ある時、東京出張を無事に終えた私は、羽田発・函館行きの最終便に乗り込み、ほっと一息ついていました。ところが飛行機はゲートを離れ、滑走路に向かう途中、ガタンという大きな音がして急に止まります。しばらく動かず、大丈夫だろうかと心配していると、アナウンスが入りました。ブレーキ系統の故障か何かで、その飛行機は使用不能となったため、別の機に乗り換えて下さい、とのことです。

誰かに連絡したい人は電話を使っても構いませんというアナウンスも、同時に入りました。まわりの多くの人たちは、一斉に携帯を取り出して電話を掛け始めましたが、私は「不携帯」のため、どうしようもありません。しかし、大幅に到着が遅れそうなので家に連絡しなければならないと思い、後ろに座っていた女性の方に、携帯電話をお借りしました。

結局、ほぼ2時間遅れの函館到着となりました。帰宅して夕飯にありついたのは、午後10時頃です。電話連絡をしておいて良かったです。携帯電話の契約をしたのは、そのすぐ後でした。

最初は、ドコモのたいへんシンプルな機種。次に長女が高校に入り、携帯を持つようになった時に、auの海外でも使える機種に変え、3年以上使った後、使い勝手が悪くなったので機種変更しました。今回は、長男が受験に向けて必要になりそうなので、ソフトバンクに変えて3人で「ホワイト家族」になりました。「お父さん」のストラップもゲットしました。(笑)

人間同士は、携帯電話を持たなければ連絡がとれないこともありますが、創造主なる神様とはいつでもどこでも連絡がつきます。ただ一言、祈れば良いのです。神様は、私たちがどこにいたとしても祈りを聞いて下さり、また私たちに語りかけて下さるお方であることを感謝します。

「(創造)主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。」(詩篇86:6、新改訳第3版)

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2008年9月 9日 (火)

成人の記念写真

昨日は、長女が成人の記念写真を撮りに行きました。成人式の時は地元にいないので、4ヶ月前倒しの写真撮影です。

着たのは、なんと妻が高校生の時、母親が自ら反物から仕立てた由緒ある(?)着物だそうです。妻は成人式の頃、ちょうど米国留学中だったため、式には出席しませんでした。しかし、大学4年のお正月に同じ着物を着て、写真撮りをした後、初釜に行ったそうです。

昨日はお昼頃、妻と長女は、美容室に行きました。午後2時頃、着付けが終わったと連絡が入ったので、私がワゴン車でお迎えに行き、すぐ近くの写真館まで連れて行きました。妻も私も、付き人状態です。(苦笑)

撮影終了後、すぐに撮ったばかりの写真をテレビに映し出して、プリントして台紙に貼るものを選びました。そして、妻と長女は函館の義母のところに「晴れ姿」を見せに行きました。成人の記念写真撮影も、一騒動です。(笑)

長女は、数日前には教会員でプロカメラマンの人に、函館のベイエリアで記念写真を撮ってもらっています。そちらはワンピースにレギンス姿でした(レギンスって何? 笑)。たくさん撮影して、写真集が出せそうなくらいです。

あの小さくて弱々しかった保育器の中の赤ん坊が、20歳になったなんて、何だか不思議ですね。(生まれた時の様子は、こちらの2年前の記事参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9202.html

神様は、私たち一人ひとりを育て、一人前の「大人」にして下さいます。成人して「大人」となった私たちは、大人らしい生き方をしていきたいですね。

「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」(1コリント14:20、新改訳第3版)

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2008年9月 8日 (月)

出会いによって変えられる(使徒9章)

Flower080907 「出会い」と言っても、「出会い系」の話ではありません。異性との出会いに限らず、広い意味で私たちの人生を変え、新たな方向づけをするような「運命の出会い」の話です。

教会を迫害していたサウロ(後の使徒パウロ)は、3つの大きな出会いを通し、その人生の方向性が一変します。クリスチャンを捕えにダマスコ(ダマスカス)へ向かう途上、彼はイエス・キリストと出会いました。突然、天から光が照らされ、「なぜわたしを迫害するのか」というキリストの声を聞いたのです。

その超自然的な出会いにより、目が見えなくなったサウロのもとに、今度はダマスコ教会のアナニヤが遣わされます。アナニヤがサウロのために祈ると、再び目が見えるようになり、サウロはすぐに救い主イエスの証人として大胆に語り始めます。「目からうろこ」ということわざのもとになったエピソードです。サウロは、このことを通して教会の人々、つまり神の家族と出会いました。

サウロはさらにエルサレムで、将来の同労者と運命的な出会いをします。誰にも信用されなかった彼の身元保証人となり、使徒たちに紹介したのは、バルナバでした。その後、故郷のタルソに送り出されたサウロを、新たな働きのためにアンテオケから迎えに行くのも、このバルナバになります。バルナバとの出会いは、サウロの人生をまさに運命づけたと言えます。

神様は、私たち一人ひとりに新しい出会いを計画していて下さいます。運命的とも言える重要な出会いを通して、私たちの生き方は変えられていきます。イエス・キリストとの出会い、教会の人々との出会い、そして志を共有し、ともに神様に仕える「同労者」との出会い。私たちは一つひとつの出会いを大切にし、神様の導かれる方向に進路を調整して、前進して行きたいですね。

「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』」(使徒9:3-6、新改訳第3版)

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2008年9月 5日 (金)

礼拝と賛美のカタチ

私が最初に行った教会は、おそらく札幌のルーテル教会だったと思います。教会に付属する幼稚園に通っていました。日曜学校には顔を出しましたが、大人向けの礼拝には出たことがなかったのではないでしょうか。ただ、会堂の雰囲気は覚えています。木のベンチが整然と並んだ前の方に、オルガンがあったように思います。

小学校の親友にさそわれて行ったバプテスト教会も、木のベンチでした。会堂にはせいぜい1、2回くらいしか行かなかったため、よく覚えていませんが、多分そこにもオルガンがあり、賛美を歌ったのでしょう。礼拝には、ひょっとしたら一度くらい出席したかもしれません。ただ、小学生の私は遊びに忙しく、続けて教会に行き続けようという思いには至りませんでした。

大学4年の時、創造主なる神様を信じ、その1年か2年後に近所のカトリック教会のミサに出席したこともあります。定められた交読文を唱え、最後に神父の方が口の中に丸いウェハーを入れてくれました。その時、賛美を歌ったかどうか、楽器があったかどうかは、残念ながら記憶していません。

そのさらに1、2年後、訪れた函館の教会は、フォースクエア教団に属していました。プロテスタントですが、ルーテルやバプテストとはまた異なり、20世紀初頭から始まったペンテコステ運動の流れに属する教会です。礼拝で用いられた楽器は、「電子オルガン」(エレクトーン)の他、ピアノ、ギター、ベース、そしてドラムまでありました。歌もいわゆる聖歌・賛美歌ではなく、ワーシップソングと呼ばれる新しい歌が中心でした。

先日、三沢で見たヒルソングのDVDでは、あらゆる楽器が賛美の伴奏に用いられ、クワイヤー(聖歌隊)には指揮者もつき、ダンス・チームは踊りで賛美していました。そう言えば、夏に札幌で行われた「祈りの祭典」でも、踊って賛美する人たちが多数いました。

それぞれの教会が、違ったカタチで創造主なる神様を礼拝し、賛美しています。時折、「礼拝や賛美はこのカタチでなくてはならない」という主張を耳にしますが、私はそうではないように思います。神様は多様性を喜ばれるお方です。ある一つのカタチでなくてはならないと主張することは、下手をすると律法主義に陥る危険性があります。

旧約聖書時代や初代教会の時代、ヨーロッパ中世やバッハ、ヘンデルの時代も、今とは違った礼拝や賛美のカタチだったでしょう。そして、これから100年たったら、また違ったカタチが出てくるかもしれません。カタチは、時代や文化とともに移り変わります。最も大切なのは、カタチではありません。まことの神を信じ、礼拝する心なのです。

カタチにとらわれず、神様を心から礼拝し、その素晴らしさを賛美していきたいですね。

「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。」(詩篇149:3、新改訳第3版)

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2008年9月 4日 (木)

渋谷のギターセミナー

私のギターは、ほとんど我流なのですが、一度セミナーを受けたことがあります。あるクリスチャンのミュージシャンの方が、20年ほど前、渋谷で賛美伴奏のためのギターセミナーを開いたのでした。

東急文化会館(当時)横の会場で、何回かに分けて行われた夜のセミナーに集まったのは、少人数だったように思います。私は、中学3年の時買ってもらったギターを所沢から神田の職場経由(?)で持ち込み、指導を受けました。

私が教えられた通りにダウンストローク、アップストロークを繰り返すと、講師の先生は、「音が全然響かないのはなぜだろう」と首をひねっています。その時は、私にも理由が分かりませんでしたが、後で一つのことを思い出しました。ほとんど使っていなかったので、おそらく10年以上、弦を張り替えていなかったのです。(笑)

その時、ダウンストロークとアップストロークを4拍子で繰り返す基本練習を習いました。しかし、私は不真面目な生徒で、その後は習った基本をきちんと練習せず、下手くそながらもギターによる賛美リードの実践を続けました。

それから10数年たった頃、かつて講師をつとめて下さったミュージシャンの方を七飯の教会にお招きして、コンサートを開くことになりました。せっかく来られるのだからと、昼間は賛美のセミナーを計画し、教会の賛美リーダーを指導していただく予定を入れます。私自身は指導してもらうつもりはなかったのですが、なりゆきでギター伴奏をすると、すぐに私の方にチェックが入りました。弾き方が悪かったようで、4拍子のストロークにしなさいとのことです。(苦笑)

昨日、教会で行ったギター講習会では、かつて渋谷で習った基本練習を今度は私が教えました。何より基本が大切です(笑)。あらゆる楽器で麗しい音を奏で、創造主なる神様を心から賛美していきたいですね。

「声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。」(詩篇81:2、新改訳第3版)

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2008年9月 3日 (水)

ギター講習会

今朝は、教会でギター講習会が開かれました。なんとこの私が講師です!(笑)

実は先日、教会員の人からギターを教えてほしいと要望があったので、関心のある人たちに呼びかけて、初心者向けの講習会を開いたのです。本日の生徒は3人。チューニングの後、おごそかな(?)祈りをもってレッスンを始めました。

C(ハ長調)のキーの簡単なコードだけで弾ける曲を、まず練習してみました。シンプルな4拍子のストロークと8拍子のストロークも練習しました。3人とも、基本的な弾き方はだいたい頭に入っているようなので、スムーズに良い音を出すためには、あとは練習あるのみです。

今日の参加者がギターを弾く目的は、みな賛美の伴奏をするためなので、賛美リーダーの心構えについても少し学びました。賛美リーダーは、礼拝者の模範となり、人々が心から神様をほめたたえ、礼拝できるよう賛美を導いていくことが必要です。現代の礼拝において賛美リーダーは、非常に大きな役割を担っています。

皆がヒルソングの賛美リーダーたちのようにはできませんが、テクニック以上に重要なのは心です。真実な思いをもって創造主なる神様を礼拝していきたいですね。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:23-24、新改訳第3版)

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2008年9月 2日 (火)

三沢訪問

日曜夜は、青森県三沢市で行われた教会開所式に出席しました。七飯の礼拝が終わった後、子どもたちを家に送り、妻と二人でJR函館駅に向かいました。今回初めて、「パーク&トレイン」を利用してみましたが、駅のすぐ近くの駐車場が利用でき便利でした。

特急を2時間半ほど乗ると、三沢です。妻は青函トンネルを通るのが初めてで、ずっと起きていたようですが、私はたっぷり昼寝をしました。三沢駅に着くと教会の人が迎えに来てくれていて、車で会場に向かいました。

到着したのは、三沢市国際交流教育センターという立派な施設です。そこに集まった40~50人のほとんどがアメリカ人で、いきなり海外に来たような感覚にとらわれました。午後6時から始まった開所式では、賛美、召天者の記念式、献児式、ビデオ・プレゼンテーションの後メッセージと盛りだくさんで、終わったのが8時半。そしてその後、軽食と交わりの時間があり、夕食のお弁当を食べたのは10時頃でした。

翌日はマクドナルドで朝食をし、米軍三沢基地に入り、その中のアパートで昼食をご馳走になりました。奥さんたちはフィリピン出身の人が多かったようで、メニューもフィリピン料理。ロンググレインのお米に鶏肉や牛肉の煮込み料理、春雨に春巻き、そしてデザートにライスプディング(?)がつき、たいへん美味しかったです。

昼食後、ヒルソングのDVDを観賞し、みんなで少しお話しする時を持ち、また一緒に賛美もしました。私がギターで伴奏するおまけ(?)もつきました(笑)。午後4時半頃の特急で帰る頃はもうへとへとでしたが、楽しい「国際交流」の時を過ごすことができました。

新しくできた教会の名は、「All Nations Fellowship」と言います。アメリカ人、フィリピン人のみならず、近隣に住む日本人や各国から働きに来ている多くの人々に福音を伝えていきたいと願っているようです。その教会が、名前の通り、「すべての民の祈りの家」となっていってほしいですね。

「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。」(マルコ11:17、新改訳第3版)

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2008年9月 1日 (月)

キリストを宣べ伝える(使徒8章)

神様は、逆転の得意なお方です。災難が続き、すべてを失ったヨブは、神様との新たな出会いを体験した後、すべてが回復され、二倍の祝福を受けました。十字架上でいのちを失い、弟子たちがみな逃げ去った後、イエス・キリストはよみがえられ、弟子たちは救い主復活の知らせを死をも恐れず宣べ伝えるようになりました。

ステパノの殉教も大きな逆転勝利をもたらしました。エルサレムの教会はステパノの死を悲しみ、その後、激しい迫害に苦しみました。人々は牢にぶちこまれ、またエルサレム市外に追い出されました。それまで飛躍的な成長を続けていた教会はこれで一巻の終わりかと思いきや、何と人々は驚くべき行動に出たのです。各地に散らされた人々は、救い主イエスの知らせを伝え歩いたのでした。

教会はそれまで、エルサレムの中にとどまっていました。ところが、ステパノの殉教をきっかけとし、ユダヤ、サマリヤへと拡大していきます。そしてステパノ殺害に加担し、教会を迫害していたサウロは、後に使徒パウロとして、「地の果て」にまで福音を伝え、教会を開拓していきました。

「災い転じて福となす」のは、創造主なる神様の得意分野です。私たちがどんな苦しみや悲しみを経験しようと、神様はそれを私たちの益として下さるのです。過去に受けた傷は神様によっていやされ、私たちは傷が回復した経験を通し、さらに強められ生きていくことができます。傷ついた状態にとどまる必要はありません。神様が、傷を受けた苦しみを祝福と喜びの勲章に変えて下さるからです。

各地に散らされた弟子たちは、逆転勝利の神様を信じ、イエス・キリストを宣べ伝えていきました。私たちも同じように、それぞれ遣わされた場所で、絶望を希望へと変えて下さる神様の話を伝えていきたいですね。

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」(使徒8:4-5、新改訳第3版)

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