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2008年10月

2008年10月30日 (木)

信仰にしっかりとどまる(使徒14章)

Flower081026 以前、会社勤めをしている時、「会社は誰のものか」という議論が流行っていました。創業者一族であるオーナー経営者のものか、株主全体のものか、従業員のものか。顧客や取引先、地域社会は関係ないのか。あらゆる利害関係者を含む「ステークホルダー」という言葉を初めて耳にしたのも、その頃です。

では「教会は誰のものか」と言うと、それは明らかです。イエス・キリストが、「わたしの教会を建てる」と明言しているからです(マタイ16:18)。最初に開拓した宣教師や牧師のものでもないし、教団や支援者たちのものでもないし、現在の牧師や教会員のものでもないし、他の関係者たちのものでもありません。すべてのキリスト教会は、イエス・キリストのものなのです。

時折、どこか勘違いしているのではないかと思える話を見聞きすることがあります。「この教会は私のもの」、あるいは「私たちのもの」だと誤解する人たちが、いろいろ理屈をつけて教会を私物化するケースです。しかし、私たちはあくまでも「管理人」に過ぎません。教会や私たち自身を含め、世界中のあらゆる存在のオーナー(所有者)は、創造主なる神様なのです。私たちには、神様からゆだねられた管理者としての務めを忠実に果たして行くことが期待されています。

パウロとバルナバも、自分たちが開拓した教会を自分たちのものと考えてはいませんでした。自分たちのすべき務めが終了した時、教会ごとに長老(牧師)たちを任命し、あとはオーナーで「大牧者」であるイエス・キリストにすべてをゆだねて、教会を後にしたのです。そこに残る人々に対しては、キリストへの信仰にしっかりとどまり続けるよう、励ましのことばを語ったのでした。

使徒たちに任命された長老(牧師)たちや教会の人々も、教会が自分たちの所有物だとはおそらく考えなかったでしょう。もしそう考えていたら、のちにもう一度使徒たちが訪れても、その指導を受け入れなかったに違いありません。「この教会は私たちのものだ」と主張する人々があちこちで出てきたとしたら、ローマ帝国各地に生み出された初代教会のネットワークは各地で分断され、使徒たちの教えから外れた多くの教会が異端(カルト)の餌食となっていたかもしれません。

私たちは、教会のオーナーである創造主なる神様の前にへりくだり、「管理者」としての立場をわきまえて「私物化」の過ちに陥ることなく、良き羊飼いであるイエス・キリストにいつも信頼して歩んでいきたいですね。

「(パウロとバルナバは)弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った。また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒14:22-23、新改訳第3版)

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2008年10月22日 (水)

主イエスに従う

土曜日から月曜日まで、長男と一緒に所沢周辺の高校巡りをしてきました。来春引っ越す予定の所沢は、長男にとってはまったく初めての土地です。高校受験の前にどんなところか少し雰囲気をつかんでおいた方が良いかと思い、中学校は1日休ませ、「視察旅行」をすることにしました。

3日間でのべ6校まわりました。最初の学校は、行ってみるとちょうど学校説明会の最中です。飛び入りでしたが、募集要項をいただき、校内見学ツアーに参加させてもらいました。来春から採用の新しい制服は、なかなかしゃれていました。次の学校は、到着したのが午後6時頃で真っ暗です。部活の子は見当たりませんでしたが、教室で自主的に勉強している子たちが目に入りました。こちらは男子は黒の学ランです。

日曜日の午後は、まず次女が編入する予定の中学校を訪問。ちょうど地域のスポーツフェスティバルが開催され、土ぼこりがもうもうと舞い上がる中、皆さんがマイムマイムを踊っていました。すぐ近くの高校では、野球部と吹奏楽部が熱心に練習中。この日もう一箇所別の高校を訪れると、バスケット部がトレーニングをしていました。正門横には予備校のチラシのように、卒業生の氏名が合格大学名と一緒に掲示されていました!

月曜朝は、土曜夕方に行った高校をもう一度訪問しました。受付で受験予定で見学希望だと伝えると、なんと教頭先生がわざわざ出てきて下さり、手続きの詳しい説明の後、校内を案内して下さいました。午後は、電車を乗り継いでもう一校訪問。たいへんきれいな校舎で、ブレザーにネクタイを締めた生徒たちがみな礼儀正しいことに感銘を受けました。

どの高校に実際に入学することになるか、まだ分かりませんが、創造主なる神様が最善の道を用意して下さっていることを信じ、感謝します。人それぞれには、神様の違ったご計画があります。私たちは、他の人の進む道を気にするのではなく、まず主イエス・キリストが自分にどんな道を指し示しているのかを祈り求め、確信をもって一歩一歩前進していきたいですね。

「イエスはペテロに言われた。『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。』」(ヨハネ21:22、新改訳第3版)

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2008年10月14日 (火)

聖霊の導きに従う(使徒13章)

使徒13章は、キリスト教会史上、一大転機となったアンテオケにおける出来事を記しています。エルサレムに始まった新たな「神の国建設運動」は、迫害で散らされたクリスチャンたちにより、ユダヤ、サマリヤ、そしてシリヤにまで広がっていました。

それまでは各地に散った人々が自発的に福音を宣べ伝え、信じる者が起こされ、ペテロを中心とする使徒たちが巡回して、教会が築き上げられていくというパターンでした。ところがアンテオケの教会は、新たな宣教モデルを採用したのです。それは一教会が拠点となり、バルナバやパウロをリーダーとする宣教チームを送り出して、新たな地に教会を開拓するという方法でした。

この方法は、天才的な戦略家の発想によるものでも、教会のトップリーダーがブレインストーミングして考え出したものでもありません。人々が礼拝のために集まり、断食をしている時、聖霊なる神様が具体的な指示を与えられたのです。

それは、実際にどのような出来事だったのか、詳しくは記されていません。大きな雷が鳴り、天から声がしたのかもしれません。私自身は、預言者たちが神様からのメッセージを伝え、教会の複数のリーダーたちに一致があったのではないかと想像しています。

とにかく、宣教チーム派遣戦略は、創造主なる神様のご計画でした。だからこそ、この戦略は大成功を収め、福音は小アジア、ギリシヤ、そしてローマにまで伝わっていくことになります。バルナバやパウロ、あるいはアンテオケ教会の人々がそう願ったから、これだけ働きが拡大したわけでは決してありません。人の思いをはるかに超える神様の導きがあったからこそ、神の国が力強く前進していったのです。

私たちも、聖霊なる神様の導きに聞き従い、それぞれ遣わされる場所で神の国の福音を宣べ伝えていきたいですね。

「彼らが(創造)主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロ(パウロ)をわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」(使徒13:2-3、新改訳第3版)

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2008年10月 6日 (月)

救い主をほめたたえる(使徒12章)

「(創造)主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる」ということばが、詩篇31:23にあります。神様は高ぶりをきらわれます。そして、へりくだる者を喜んで下さいます。

使徒12章に登場するペテロとヘロデ(アグリッパ)王の二人には、まさに誠実な者と高ぶる者の対比を見ることができます。ヘロデに捕らえられ、殺されそうになったペテロは、天使の導きにより奇跡的に牢から救い出されました。ペテロは、すぐに主イエスが解放して下さったことを悟り、その「救いのわざ」に感謝したのでした。

一方、ヘロデはユダヤ指導者たちのご機嫌とりという政治的思惑のためにヤコブを殺し、ペテロにまで手を伸ばしていました。ペテロを取り逃がすと、本当は責任のなかった番兵たちを処刑します。そして、民衆が「神のようだ」とお世辞を言うと、すっかりその気になり、その場で虫にかまれて死んでしまいます。「上から目線」だった王の最期は、実にみじめなものでした。

私たちは、自らの心をよくチェックする必要があります。ペテロのように、神様がして下さった良いことを感謝しているかどうか。ヘロデのように、自分が良いものを得るのは当然だというような態度でいないかどうか。神様は、高ぶった心をいとわれ、へりくだった誠実な心を尊ばれるのです。

イエス・キリストが十字架にかかって下さり、私たちを「高ぶりの道」から救い出して下さったことをいつも忘れないで行きたいですね。主イエスの恵みに感謝し、その救いをほめたたえる生き方をしていきましょう。

「そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。』」(使徒12:11、新改訳第3版)

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