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2008年11月11日 (火)

慣習から自由にされる(使徒15章)

Flower081109 海の向こうでは「変化」がキーワードのようですが、海のこちら側は今のところ、それほど大きな「変化」が見られません。経済的には厳しいけれど、すべてが新しくなるような劇的変化を望まない人がおそらく今なお多いのでしょう。社会全体が高齢化しつつある傾向も、ひょっとしたらこの膠着状態と関係しているかもしれません。

何も考えず、「今までそうだったからこれからも同じようにしていく」、あるいは「みんながそうしているから私も同じようにする」という生き方は、「変化」の対極にあります。それは、「慣習の奴隷」としての生き方です。創造主なる神様は、私たちに自由を与えて下さいました。その自由には、「慣習からの解放」という意味も含まれています。

パウロやバルナバは、この自由をよく理解していました。ですから、異邦人クリスチャンがユダヤ人の慣習に従い、割礼を受けるべきだと言う主張に、真っ向から反対したのです。使徒15章に記される「エルサレム会議」では、その後のキリスト教会のあり方を規定する重要な決定がなされました。イエス・キリストを信じる異邦人は、ユダヤ人たちの慣習から解放され、割礼という行いではなく、信仰によって救われていると宣言したのです。

では、異邦人クリスチャンはすべてが自由で、勝手気ままに生きてよいかと言うと、そういうわけではありませんでした。ユダヤ人たちが忌み嫌ういくつかのことを避けるべきだと、書き送ったのです。それは新たな「律法」と言うよりは、ユダヤ人信者たちへの愛に基づく配慮と考えられます。異邦人クリスチャンの生き方を見て、近くにいるユダヤ人たちがつまずくことがないための心遣いでした。(殴り合いのケンカも、ダメですね。 苦笑)

私たちは、神様が起こされようとしている変化を敏感に感じ取り、その変化を担う者となって行きたいですね。エルサレム会議で判断基準となったのは、「聖霊なる神様がどのように働かれているか」、そして「聖書にはどのように書かれているか」でした。私たちも、「慣習からの自由」について、適切な判断を下して行きたいと思います。信じるすべての人を意味のない慣習から解き放ち、自由にして下さる救い主イエスに感謝します。

「そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(使徒15:8-11、新改訳第3版)

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