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2008年12月

2008年12月31日 (水)

世々限りなく主をほめたたえる(詩篇145篇)

私たちの教会では、一年最後の礼拝は感謝礼拝としています。一年間に創造主なる神様がして下さったすべての良いことを思い起こし、それぞれ感謝をささげます。

今年は、自発的に感謝の「証し(あかし)」をしてもらうことにしました。「証し」とは、神様がして下さったことの証言であり、感謝の報告です。

ガンがいやされた人がいました。心が強められ、明るく元気になった人もいました。高齢の母親が救われ、洗礼を受けた人。孫が献児式を受けた人。音楽のコンクールで好成績を収めた人。そして大学に合格した人。新たな出発をすることができた人。この1年間、神様はさまざまな形で私たちにその恵みを注いで下さいました。

私自身にとっては、神様が新たな道を指し示して下さったことが、この1年間の最も大きな出来事です。それは、来春から私たちの教団の代表となることであり、また同時に所沢の教会に転任することです。大きな責任を感じるとともに、神様の導きに感謝したいと思います。

すべてのものにいつくしみ深い創造主なる神様が、この1年間、私たちを守り導いて下さったことを覚え、主の豊かな恵みをほめたたえます。

「私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。」(詩篇145:1-2、新改訳第3版)

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2008年12月25日 (木)

救いの神をほめたたえる(ルカ2章)

Xmastree2008 クリスマスになると、あちこちで特別なイベントが催されます。盛大なコンサートや賑やかなパーティー、プレゼントを選ぶ親子連れやデートを楽しむ若いカップルたち。街中がお祭り気分に覆われるかのようです。

しかし本当のクリスマスは、そんなお祭り気分とは一切関わりのない場所で始まりました。人間社会の華々しさや賑やかさとはまったくの対極にある、暗く、汚れた、家畜の匂いのする人目につかない場所。栄華や繁栄の「勝ち組」世界とは関係のない、貧しい両親と飼葉おけの赤ん坊。世界で最初のクリスマスは、誰の目にもとまらないような、そんな小さな出来事だったのです。

ところがこの小さな出来事は、全人類の歴史を変える大きな意味を持っていました。そのニュースを最初に告げられ、天使たちの賛美を聞いたのは、野宿をしていた羊飼いたち。彼らは世界で最初にクリスマスをお祝いする栄誉が与えられ、飼い葉おけの赤ん坊と出会い、マリヤとヨセフに天からのメッセージを伝えたのです。羊飼いたちは、神のみわざを賛美しつつ帰って行きました。

エルサレムの神殿にいたシメオンやアンナも、誕生した救い主の顔を拝み、神をほめたたえ、感謝をささげます。彼らの目の前にいたのは、いけにえの羊を神殿にささげる余裕のない、名もなく貧しい親子連れでした。しかし彼らは、その赤ん坊がやがて全世界の王となり、人々に救いをもたらす約束のお方だということを悟り、創造主なる神の恵みをほめたたえたのです。

経済的に困難をかかえ、誰にも理解してもらえず、どこにも希望を見出せないような暗黒の中にいたとしても、神様はそこから新しいことを始めることのできるお方です。最初は、誰の目にもとまらないような、ほんの小さな始まりかもしれません。しかし、たとえ「からしだね」のような小さな出来事であっても、神様はそこから始めて、大きな違いをもたらして下さいます。

クリスマスは、そんな神様の素晴らしさをほめたたえる時です。イエス・キリストのご降誕を心からお祝いし、私たちに救いをもたらして下さった神様を喜び賛美しつつ、この季節を過ごしたいですね。

「『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」(ルカ2:11-14、新改訳第3版)

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2008年12月16日 (火)

主を待ち望む

「100年に1度の危機」なのだそうです。米国の金融危機は、1929年の大恐慌を上回る規模という見立てがあります。かつての大恐慌は多くの失業者と社会不安、そしてテロを生み出し、国粋主義的傾向が強まり、世界大戦へとつながっていきました。今回の危機は、どこへ行こうとしているのか。私たちは、しっかりと事態の推移を見極めていかなければなりません。

金融危機を引き起こしたかの国では、新たに選出された大統領が就任前からすでに新政権の人事と経済政策のために動き出しています。一方、危機の「津波」が押し寄せた日本はまったくの迷走状態で、先行きが見えません。たとえ政権交代したとしても、「ガラガラポン」で新党ができたとしても、それだけで政治的リーダーシップに希望を見出すことができるのでしょうか? 大いに疑問です。

「人間の力に期待しすぎてはならない」というのが、聖書の基本的立場です。どんなに偉大な人であっても、人間にできることは限られているからです。被造物である人間にではなく、創造者である神様に期待しなさい、というのが聖書の中心的メッセージです。私たちがどんな危機的状況に置かれていたとしても、神様はそこから私たちを救い出すことが可能です。全知全能なる神様にとって不可能はないのです。

イエス・キリストは、この真実を伝えるために私たちのもとに来て下さいました。私たちは、このお方に信頼し、希望を持つことができることを感謝します。どんな危機の中にあったとしても、いつも救い主イエスに祈り、このお方が事態を収拾して下さることを期待し、待ち望んでいきたいですね。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6-7、新改訳第3版)

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2008年12月10日 (水)

神のみこころに従う(使徒18章)

時折、政治家やビジネスマン、あるいは芸能人の人たちが占い師のお世話になっているという話を聞くことがあります。自らの将来や業績を左右するような大きな決断を下すべき場面において、何かにすがりたいような気持ちになることは、分かる気がします。

ただ、全知全能の神様を信じるクリスチャンは、占い師には聞きません。すべてをご存知である神様に直接聞きます。それが一番確実だからです。占い師に聞くことは、聖書で禁じられています。彼らは、創造主なる神様に聞いていないからです。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」では、そもそも大きな決断を下す際の重要情報とはなりません。

進むべき方向について私たちが思い悩み、祈り求める時、神様は愛をもって答えて下さいます。創造主なる神様は私たちの過去も現在も、そして未来もすべてお見通しなのですから、神様に聞くほど確かなことはありません。私たちは、神様の導きに従い、確信をもって決断を下すことができます。

使徒パウロは、神様の導きによってギリシアを訪れ、コリント(コリントス)の地にしばらく留まり、神の国の福音を伝え続けました。それは、幻を通して、神様から直接そうしなさいと語られたからです。

私たちも、いつも神様のみこころを祈り求め、与えられる導きに従う生き方をしていきたいですね。

「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから』と言われた。そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」(使徒18:9-11、新改訳第3版)

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2008年12月 4日 (木)

韓国訪問

Noodles081126 11月26日から12月1日まで、韓国に行って来ました。YWAMチームの皆さんが招待してくれたのです!

26日(水)朝、函館空港を出発し、羽田・成田経由で夕方、仁川(インチョン)空港に到着しました。以前、七飯に来たチームの2人が、出迎えてくれました。ソウル・新龍山(シンヨンサン)の宿に荷物を置いた後、明洞(ミョンドン)の有名なお店で、韓国風のうどん(?)と饅頭(マンドゥー)をいただきました。

27日(木)は、ソウル市内観光の予定でしたが雨だったため、国立中央博物館を訪問しました。昼食は博物館内のレストランで、プルコギ鍋。この後、仁寺洞(インサドン)で韓国風の不思議なお茶(霊芝茶?)と御餅をいただき、YWAMのキャンパス・ワーシップに出席しました。ソウル市内外の大学生5~600名が集まり、パワフルに賛美し、心にふれるメッセージを拝聴しました。また日本から来た牧師として紹介され、皆さんで祈ってくれました。夕食はまたミョンドンで、ピビンパブでした。

28日(金)は、デジョン(大田)にあるフォースクエアの神学校を訪れました。ソウルからKTX(韓国高速鉄道)で1時間ほどです。スタッフや学生の皆さんとご挨拶し、教区の牧師の方々と昼食(牡蠣のピビンパブ)、さらに近くのフォースクエア教会を見学することもできました。ミョンドンの小さな店で豆腐入りの麺を夕食にいただいた後、夜はYWAM北海道チームの皆さんと一緒に集まりました。メッセージをした後、彼らにも祈ってもらいました。

29日(土)は、今度の1月に来る新しいチームの人たちと、オンヌリ教会で昼食をいただきました。その日は寒かったですがきれいに晴れていたので、景福宮(キョンボックン)観光に出掛けました。そこは朝鮮王朝時代の正宮ですが、一緒に行ったチームの人たちが、ガイドのようにいろいろと説明してくれました。国立古宮博物館も見て、夕食に柔らかくゆでた豚肉とマンドゥー、そしてアサリ入りのうどん(?)をいただきました。

30日(日)は、サラン教会で礼拝。昼は、近くのレストランで海鮮鍋とチヂミをいただきました。教会前の書店でCDを購入し、南山公園内の安重根(アンジュングン)記念館を見た後、Nソウルタワーに上りました。夕食に豚骨付き肉の鍋を食べ、その後ヨンサン駅横の韓国風サウナに行き、たっぷり汗を流してきました。お米のジュース(シッケ?)もいただきました。

1日(月)は、チームの3人に見送られインチョン空港を後にし、夜、無事に七飯に帰着しました。たくさん歩き、南山にも登り、体力の衰えを実感しましたが(笑)、たいへん楽しい時を過ごさせていただきました。韓国料理もすべて、とても美味しかったです。チームの人たちには、良くしてもらいました。

木曜夜に開かれた聖書箇所は、イザヤ55:8-13。神様は、私たちが思い描く以上に素晴らしいご計画を私たち一人ひとりに対してお持ちであるというメッセージ。日曜朝の聖書箇所は、第1列王記19章でエリヤが一時的に働きを休み、神様にふれられ、新たなミッションに遣わされようとする場面でした。

YWAMとの出会いは、まったく思いもよらない形で始まり、チームの大学生たちを通して七飯の教会はずいぶん励まされました。来春からの新しい歩みが始まる前に、このような休暇が与えられ、リフレッシュすることができたことを感謝します。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9、新改訳第3版)

(写真は、最初の晩に食べた麺とマンドゥー)

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