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2009年7月

2009年7月21日 (火)

指輪を捨てろ

長いことずっと人に借りたままになっていた本を、やっと読み終わりました。ラルフ・モア牧師の「指輪を捨てろ」(Let Go Of The Ring)です。かつては日本語訳もあったのですが、今回読み終えたのは英語版の原著です。

以前、知人が貸してくれたのですが、そのうち読もうと思っているうち、年月が経ってしまいました。先日、久しぶりに会ったある人がこの本を薦めていたため、「ホープチャペル」の牧師をすることになったこともあり、必読書かと思い読んでみました(笑)。

内容は、ラルフ牧師がいかに牧師になり、カリフォルニアで教会開拓を始め、その後ハワイに移ったかを記した証し=ライフ・ストーリーです。私が読んだのは第三版、1993年発行のものでした。

タイトルは、トールキンの「指輪物語」(The Lord Of The Rings)にちなんでいます。映画化された「指輪物語」は、日本語タイトルが「ロード・オブ・ザ・リング」でしたね。わが家では1、2作目をDVDで鑑賞し、3作目は家族全員で映画館に見に行きました。そう言えばちょうどホープトコの前牧師がサハリンから所沢に帰る途中、函館に立ち寄ってお寿司を一緒に食べた日でした。(「函太郎」という美味しいお寿司屋さんです!)

「指輪物語」は、ご存知の通り、世界を支配する指輪を主人公が捨てに行く話。それを一人の人が所有することは本人にとっても、世界の人々にとっても、よくない結果をもたらすからです。マタイ4章に記されるイエス・キリストに対する悪魔(サタン)の誘惑を思い出しますね。サタンにひざまずくなら、世界を支配できるという誘惑は、3つのうちの最後の誘惑でした。

ラルフ牧師は、これまで何度も「指輪を捨てる」必要に迫られたとのこと。建築家として成功したい思いを捨て、カリフォルニアで成長する教会にとどまりたいという思いを捨て、神様の導きに従ってハワイに移住しました。「指輪を捨てる」決断がその時は本人にとってたいへん難しいものであっても、神様がその決断を祝福して下さり、結果として多くの人々にその祝福が流れ出していくことをラルフ牧師の半生に見ることができます。

神様が捨てなさいと言われる時、私たちもいつでも自分に一時的に預けられている「指輪」を捨てていきたいですね。それを握りしめてしまっては、祝福の流れをとどめてしまうことになってしまいます。

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』イエスは言われた。『引き下がれ、サタン。“あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ”と(聖書に)書いてある。』」(マタイ4:8-10、新改訳第3版)

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2009年7月 4日 (土)

預言者ジーン

最近聞いた預言というと、5月の米国フォースクエア大会のことを思い出します。

今年の大会は5月25~28日。会場はアナハイムで、ディズニーランドすぐ横のコンベンションセンターでした。当然、ミッキーに会いに行く時間などなく、予定がぎっしりつまっていました。(苦笑)

2日目の朝、遅れてビジネスセッションに出席すると、ジャック・ヘイフォード夫妻がステージ上にいて、みんなスタンディングオベーションしています。米国教団総理の再任でも決まったのだろうかと思っていたら、そのまったく逆でした。ジャック牧師が次の任期を受けないことを決心したと言うのです。

何でも日曜夜に奥さんと二人で祈っていたら、そのように導かれ、平安があったとのこと。米国教団の理事たちが聞いたのは、大会初日の月曜日だったようで、大混乱だった模様です。私はそんなことは何も知らず、ただ初日夜にジャック牧師が、「明日のビジネスセッションには、海外のリーダーも出た方がいいと思う」と言っていたので、遅刻しつつも顔を出したのでした。

数千人(?)の出席者たちの中にはすぐに受け入れられない人もいたようで、「どうして続けないのか」と質問し、涙を流し、食い下がる人もいました。そんな中でステージ脇のマイクの場所に出てきたのが、ジーンという名前のお婆ちゃんです。

この人、ジャック牧師とは長年の知り合いのようで、数週間前にある別の牧師の誕生会に同席したそうです。その時、神様から一つのことばが与えられたとのこと。ところが、その場で伝える機会を逸してしまったようで、すぐに伝えられなくてごめんなさいと謝っていました。

それは、こういうことばだったそうです。「あなたが総理の次の任期を受けようとしているのは、義務感からか、それとも神様の導きなのか。」

ためらいがちに語られたこのことばは実にパワフルで、会場全体がシーンと静まりかえり、人々がジャック牧師の決断に納得したように感じました。ジャック牧師自身は、「このことばが語られたのは遅かったわけではない、パーフェクトタイミングだ」と感謝していました。

なんだか、ルカ福音書2章に登場する女預言者アンナのようですね。私たちは、神様が人を通して語られることばを注意深く聞き、吟味していきたいと思います。

「あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。」(Iコリント14:31、新改訳第3版)

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2009年7月 1日 (水)

根こぎ

(昨日は私の手違い&ココログのトラブルで、最初の段落だけ記事がアップされていました。読まれた方は、どうも失礼いたしました。)

月曜日、お茶の水で会議があったので、久しぶりにCLCをのぞいてみました。前回いつごろ行ったのか、まったく記憶にありませんが、10年くらい訪れていないかもしれません。お茶の水駅に降り立つのも、久しぶりです。

ずいぶんレイアウトの変わったCLCの店内をうろうろしていると、あることに気がつきました。以前、雑誌や書籍のコーナーに必ず置いてあった(はずの)一連の出版物が一切ないのです。先日、新宿の「オアシス」に行った時もそうでした。

その光景は、私にとって感慨深いものでした。それはある預言の成就であり、また一つの時の終わりを意味していたのです。

私は預言者ではないし、特に預言の賜物が与えられているわけでもありません。近しい人たちがよく知っている通り、すばらしく霊的なわけでもありません。しかし、時に神様が語って下さる「ことば」を受け取ることがあります。そのような時は、その「ことば」が本当に神様からのものかどうか、場合によっては長い期間をかけて吟味することになります。

10年以上前、あるセミナーを受けた時から、私はある霊的な戦いに加わることになりました。そのセミナーの講師が「偽教師」だという「預言のことば」が、複数の参加者に与えられたからです。その預言は正しいのかどうかでたいへんな騒動になりました。一人の牧師はそれをきっかけにして病気になり、退職を余儀なくされました。

そのような混乱の中、私に与えられた「ことば」は、その働きを神様が「根こぎ」にされるという内容でした。当時、破竹の勢いで伸びていたその働きは、その後も日本中に拡大し、「根こぎ」になる気配など、まったくありませんでした。私も、自分が語られたように感じたのは、間違いだったのだろうかと思うようになりました。

ただ、「吟味」の期間は続いているように感じていたため、自分の教会が離れたその働きに、もう一度加わろうという思いにもなりませんでした。

それから10数年、状況が一変したのは今年に入ってからです。報道やクチコミで耳にする話は、私たちの想像を遙かに超えるほどひどいものでした。ただ七飯でクリスチャン書店に行く機会がなかったため、書店ではその後、どのような対応をしているのかまったく知らなかったのです。

新宿の「オアシス」とお茶の水のCLCで見た光景は、まさに「根こぎ」状態でした。神様がその光景を見せて下さり、語られることばに間違いがないことを教えて下さったことを感謝します。

被害をこうむった方々の回復のためにもお祈りいたします。私たちの力が足りず、10年以上もの間、問題が放置されたことがたいへん残念です。また、私たちの関連する教会でその働きとの関わりがあったことを悔い改め、神様の前に赦しを請いたいと思います。

「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」(マタイ7:19-20、新改訳第3版)

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