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2012年10月

2012年10月27日 (土)

キリスト維新

 「維新」という言葉は、もともと中国の古典「詩経」に出てくるそうです。「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」という一節から引用されたとのこと。「周という国は古くからある国だけれども、新たな天命を受けている」という意味になるようです。「天命」とは天の命令であり、この場合は天下を治める権威ということでしょうね。古代中国には、天帝(上帝)からの命を受けた者(天子)が国を統治するという考え方がありました。「維新」とは、天命が同じ王朝に改めて与えられること。これに対し「革命」とは、天命が革(あらた)まり、別な王朝に移ることを言うそうです。

 明治維新の土台となった考え方は、尊皇思想でした。徳川幕府は西洋列強の圧力に屈し、鎖国から開国へと大きく政策転換を図りましたが、これが攘夷論の高まりをもたらし、さらには倒幕運動へとつながります。徳川幕府の正当性の根拠は、天皇から任命された「征夷大将軍」という役職でした。それは、武士の棟梁としての役職であり、鎌倉幕府以降の「サムライの時代」には、事実上の最高権力者の称号でした。しかし、つきつめてみれば天皇から授けられた役職にすぎません。理論上は、天皇が征夷大将軍の上に位置しています。このことに気づき、天皇を第一とした新たな国づくりをすべきと考えた人たちが、徳川幕府を倒そうとしたのです。それは「革命」ではなく、王政復古であり、「維新」でした。

 明治維新体制の下、定められた憲法は当然、天皇主権という考え方でした。古くから日本を治める天皇が、引き続き天子としてこの国を統治するという思想です。これに対して、第2次世界大戦後に定められた新憲法は、国民に主権があるという考え方に基づいています。これは、古代中国式に考えれば「天命」が天皇から国民に移ったということになり、「革命」にあたるのでしょうか。王政復古(Restoration)を主張し、国民が持つ主権をまた天皇に戻すなどと言う人がもしいたとしたら、それは「維新」というより今度は「革命」になるのでしょうね。

 聖書的な考え方から言うと、すべては天地創造の神が治めています。一時的に別な勢力が権勢をふるうように見えたとしても、それはあくまでも神が許された範囲内のことであって、時が来たらそれらの勢力は追い払われるか滅ぼされます。イエス・キリストは天帝であると同時に天命を受けた天子であり、天地創造の神の権威をすべての国の人々に知らしめるために、この世に来られました。キリストがもたらしたのは「革命」ではなく、「維新」でした。天帝も天子も、永遠に変わらないからです。キリストは、私たちの人生の主権が実は私たちのものではなく、天地創造の神にあることを再認識する運動を推し進められたのです。

 私たちは、それぞれが自分の人生の主権者であるように考え、自分の考えや生活を第一とするような生き方をしていたかもしれません。しかし第一とすべきは、本当の主権者である天地創造の神様です。イエス・キリストが推進された維新の呼びかけに応答し、その運動に一身を献げる志士として生きて行きたいですね。(ま、「志士」と言うには、少し年を取り過ぎたようにも思いますが・・・苦笑)

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ福音書1章15節、新改訳)

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2012年10月18日 (木)

スリランカのECFC大会

 5月にアメリカのフォースクエア大会に行った時、スリランカ教団代表でECFC議長のレスリー・キーグル牧師に会いました。レスリー牧師とは、もう20年以上のつながりになります。1990年に日本のフォースクエアが40周年大会を開いた時、ゲストの一人として来日しました。私が米国に留学した時は、神学校のクラスでばったりお会いしました。使徒的な賜物を与えられていて、しかもたいへん謙遜な素晴らしい牧師です。

 今年の米国大会はアリゾナ州フェニックスでしたが、ある夜の聖会が終わった後、会場からホテルに向かう路上でレスリー牧師と一緒になりました。すると、何か私に頼みたいことがあるとのこと。何だろうと思ったら、10月に開催されるECFC大会でメッセージをしてほしいと言うのです。私は最初、何かの間違いか冗談かと思いました。しかしレスリー牧師が言い間違った様子はないし、そんなことで冗談を言う人でもありません。この話は受けなくてはならないと感じ、私は意を決して「分かりました。私のためにお祈り下さい」と答えました。

 もちろんこれは、たいへん光栄な話です。ECFC大会というのは、アジア・南太平洋にあるフォースクエア教会の集まりです。ECFCとは、Eastern Council of Foursquare Churchesの略で、1979年に米国教団宣教本部と日本、韓国、香港、フィリピンのフォースクエア教会が中心になって始まったそうです。かつてはリーダーの集まり、女性の集まり、ユースの集まりが分かれていたのですが、それが1998年から一緒になり、2年ごとに開催されています。今年は10月2日から5日までスリランカのニゴンボ市で開催され、17ヶ国から370人ほどの参加者がありました。

 問題は英語でした。私はもう40年以上英語を勉強していますが、いまだに大勢の人の前で英語で話すことに苦手意識を持っています。会話をしたり、通訳をするのは(時々かなり誤訳をしてへこみますが)、まだ大丈夫です。ビジネスミーティングも(好きではありませんが 笑)多少慣れてきました。しかし、英語のメッセージはかなりハードルが高いです。たくさん喋らなければならないからですね(笑)。これまでいくつか苦い経験があり、また日本語のメッセージと比べればほとんど場数を踏んでいないせいもあるかもしれません。他の方々はいろいろと励まして下さいますが、自分としては納得できるレベルにまったく達していない感じがあります。

 10月3日の朝、ECFC大会会場に集まった各国リーダーたちを前に壇上に立つと、予想通り(苦笑)かなり緊張しました。今回も思ったようにはお話しできなかったですが、終わった後、何人もの方々から「良かった」と言っていただきました。中には「たいへん励まされた」と言う人もいました。それを聞いた私の方が、もっと励まされたように思います(笑)。互いに励まし合うことのできる「ファミリー」が世界中に存在していることを感謝します。

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」(新約聖書・第一テサロニケ5:11、新改訳)

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2012年10月15日 (月)

3月のインドネシア訪問

 久しぶりにアップします。

 以前にも書きましたが私は子どもの時から作文が苦手で、なぜブログを始めたのか不思議なくらいです(笑)。自分の方から発信しなくても個人的には全然平気なのですが、どうもそれではいけないようです。語るべきことばが与えられるなら、語らなければなりませんね。
 今年は、春からいろいろな所に行かせていただきました。3月にはインドネシアのマナドで開催されたインドネシアフォースクエア教団(GPdI)の大会に参加しました。インドネシアというと一般的にはイスラム教のイメージが強いですが、マナドは90%の人がクリスチャンだそうです。インドネシアのフォースクエアは18,000教会ほどあるそうで、世界各国のフォースクエア教団の中で最大規模です。(昨年訪問したブラジルのフォースクエア教団も、同じくらいの教会数だと聞きました。)
 マナドの教団大会には5,000人の牧師が集まっていました。私は、ただ一参加者として出席したつもりでした。講師はほかに素晴らしい方々がいるので、前に出て話をすることはないだろうと気楽に考えていました。すると、あるセッションの直前にインドネシア教団代表の牧師が私のところに来て、日本の話をしてほしいとのこと。そういえば、去年ブラジルに行った時もそうだった(苦笑)。というわけで、数千人の前で大洗教会と震災支援の話をしてきました。日本語から通訳できる人がいなかったので、英語で語る私の話をインドネシア語に通訳していただきました。
 大会後の日曜日はジャカルタの教会でお話しする機会が与えられました。そこの教会も5,000人の教会です。礼拝は午前5時半、8時15分、11時、そして夕方5時頃(?)と4回あり、そのすべてでメッセージ(説教)しました。この時も英語で私が話すのを、牧師がインドネシア語に通訳してくれました。ネイティブの英語スピーカーの前で英語で話すよりはプレッシャーが少ないのですが、それでも4回メッセージすると、その日は十分にご奉仕させていただいたように感じました(笑)
 私は以前、日本の人たちに対して日本語で働きをすることしか考えていませんでした。しかし、神様には別の計画があったようです。神様から与えられることばをインドネシアの人たちにも語り、主の光を輝かせる働きをさせていただいていることを感謝します。
 「主は仰せられる。『ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。』」(イザヤ49:6、新改訳)
 

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