« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月

2016年2月29日 (月)

最高の休みを得る

 多くの教会は、次のマタイ11章28節を外の掲示板に掲げて来たようです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」疲れた人が多いからでしょう。しかしある教会では、このみことばの掲示をやめたそうです。疲れた人ばかり集まって来て、対応できなくなったからだそうです。何人集まったのかは知りません。ただ、対応しきれないからもう来ないでほしいというのは、残念な気がします。

 8年ほど前のある調査では、20歳以上の日本人の75%が疲労を感じているそうです。4人いたら、3人は疲れています。どちらかというと、女性や若い人の方が疲労を感じる度合いが多いという話です。50代以上になると、意外にも疲労を感じる人の割合が減っています。退職した人がその中に含まれているからかもしれません。仕事でパソコン等のOA機器を使う人は、78%が疲れを感じています。その9割以上は、眼精疲労だそうです。その次が首や肩の凝り、痛みで70%。腰の疲れや痛みは25%、頭痛も25%ほどです。疲れを実感するのが最も多い時は、男女とも「朝なかなか起きられない時」で56%。2位は、男女で異なっています。男性の2位は、「仕事に集中できない時」。女性の2位は、「鏡で自分の顔を見た時」。その後は、「休日に外出しようと思わない時」「何も話す気が起きない時」等と続きます。

 職場の疲れの原因は、仕事量と人間関係がダントツに多いようです。男性は仕事量がトップで62%。次は人間関係で54%。女性は順番が逆です。人間関係がトップで58%。次が仕事量で52%。疲れた人の半数は、何らかの対策を取っています。具体的には、男女とも睡眠が圧倒的に多く、67%。男性の2位は、趣味・好きなこと。女性の2位は、マッサージ・エステ・アロマテラピー。3~5位は男女とも入浴、飲酒、一人になることです。マッサージ以外で女性の方が多いのは、先ず食事。それからおしゃべり。そして電話・メール。これに対して男性は、運動・スポーツが女性よりも多いようです。男女とも肉体的な疲れなら、体を休ませて栄養を十分とれば解消できるかもしれません。しかし精神的な疲れの場合は、気分転換が必要です。その方法は、性別によって違う傾向となるようです。

 神様は、ユダヤ人たちに安息日を守りなさいと命じられました。彼らがエジプトを脱出した時、神様は彼らと契約を結ばれました。モーセに十戒が授けられました。10カ条の契約です。安息日の戒めは、4つ目にあたります。6日間働いたら、7日目に休むという約束です。それは、ユダヤ人であれば必ず守らなければならない、憲法の条文のようなものでした。守らない人は、死刑になりました。なぜ、そんなに重要だったのでしょうか。安息日は、神様との交わりのために確保された特別な日だったからです。奴隷生活から解放された素晴らしい恵みを思い起こす時でした。神様がどんな時もともにおられ、助けて下さることを感謝する日でした。もちろん、ユダヤ人が体を休める時でもありました。神様に励まされ、精神的にリフレッシュする時でした。

 イエス様は、その安息を廃棄するために来られたのではありません。ユダヤ人たちが味わって来た安息を、完成させるために来られたのです。信じるなら誰でも受け取れる、永遠の安息です。イエス様の安息は、私たちのどんな疲れをもいやしてくれます。新しい力を与えてくれます。私たちが今、その最高の安息を受け取っていることを感謝します。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月21日 (日)

御国の到来を宣べ伝える

 人類はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。この問いには、さまざまな答えが用意されて来ました。進化論では、人類は偶然にサルから進化したと考えます。いわゆる突然変異です。何らかの理由でDNAが変化して、サルが人になったと考えられています。進化論を信じる人の多くは、宇宙は偶然生まれたと考えています。生命も偶然誕生し、偶然進化し、偶然人類が誕生したと考えます。先日お話ししたように、全てが偶然だったら、それは奇跡的な確率です。もし全て偶然だとしたら、一人ひとりの命はそれほど重要でないかもしれません。私たちは偶然誕生して、偶然死ぬのです。人生のあらゆることが、偶然に支配されます。将来、人類がどこに行くのかも偶然決まります。ほとんど予測不可能です。ひょっとしたらある人たちが、何か別の生物に進化する可能性も考えられます。いわゆるミュータントです。あるいは偶然何か悪いことが起きて、人類が滅んでしまう可能性もあります。

 日本の神話には、天皇がアマテラスの子孫だと記されています。それ以外の日本人がどこから来たのかは、よく分かりません。日本人以外の人がどのように誕生したのかについても、分かりません。日本の神話は、天皇が王として日本を支配していた頃、その権威を正当化するために書かれたと考えられています。日本の王権の話なので、海外のことは書いてありません。全人類がどこから来たかという視点はありません。全人類がどこに行くのかという視点もありません。日本における天皇の支配だけを強調しています。その視点をそのまま全世界に広げると、危険な考え方になります。全世界が、天皇の下に一つの家族になるという思想です。その思想は「八紘一宇」と呼ばれ、第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとなりました。しかしその考え方は、世界中の人々から拒否されました。ほとんどの日本人も第二次大戦後、この考えを捨て去りました。将来、全人類が天皇の支配下に置かれる可能性は、全く考えられません。

 最近は、人類は宇宙から来たと言う人たちもいるようです。宇宙人とか地球外生命体を好きな人がいるんですね。何か分からないことがあると、みな宇宙のせいにします。では、その宇宙はどこから来たのでしょうか。宇宙の外からでしょうか。時間がたっぷりある時に映画を見るくらいなら、面白い話かもしれません。でも、真剣に検討するような話題とは思えないですね。

 聖書は、人類の起源と将来についてはっきり記しています。人類は、神様が目的と計画を持って造られました。宇宙を創造される前から、人類の歴史と将来について、神様は計画を持たれていました。永遠の天の御国で、人類が神様と祝福の時を過ごす計画です。神様は、十分に時間をかけてその準備をして来られました。アダムとエバを造り、その子孫の中からアブラハムを選ばれました。アブラハムの子孫の中に、イエス様が誕生されました。そしてイエス様を救い主と信じる人すべてに、天の御国の国籍を与えて下さいました。イエス様は、いよいよその恵みの時が到来したと告げ知らせに来て下さいました。そして今は弟子である私たちが、時を告げる働きを引き継いでいるのです。

「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10:7-8)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月14日 (日)

収穫の働き手のために祈る

 収穫とは、農作物をとり入れることです。イスラエルの代表的な農作物の一つは、小麦です。もちろん、パンの材料として作られます。多くの場合、小麦は秋に種をまき、次の年の夏に収穫します。一生懸命種をまき、大切に育てた人にとって、収穫は喜びです。農作業は、楽な仕事ではありません。冬の寒い日も夏の暑い日も、外に出て働かなければなりません。ずっと立ちっぱなしだったり、中腰だったりすることもあります。大切に育てた作物が、大雨や寒さでダメになることもあります。病気や害虫にやられることもあります。動物が畑を荒らしたり、泥棒が来たりもします。さまざまな困難を乗り越えた末に、収穫の時が来ます。育てた人にとって、それまでの全ての労苦が報われる時です。ユダヤ暦では、全ての農作物の収穫が終わった後、秋から新しい年になります。ですから収穫は、一年の終わりの時なのです。

 聖書の中で収穫は、世の終わりの時を象徴しています。私たちの世界は、始まりがありました。初めに神様が、天と地を造られました。生命を誕生させられました。人類を創造されました。そして神様は、みことばの種を人々の心にまかれました。アダムとエバの心にまきました。その種は、全世界の人の心に良心という形で残りました。アブラハムとその子孫にも、みことばの種がたくさんまかれました。神様は長い時間をかけ、全ての人を大切に大切に育てて来られました。そして、世の終わりが近づいた時に、イエス様が誕生されました。イエス様は、ご自身がみことばの種でした。この種は、全ての人のために地に落ちて死にました。そして3日目に新しい芽が出て、よみがえられました。その芽は大きく生長し、世界中に多くの実を結んでいます。エルサレムから始まって、地の果てにまで種がまかれて来ました。今や全世界に実が実り、新たな永遠の時代が来ようとしています。今は、これまでの世界が終わりつつある時代です。魂の収穫の時です。

 収穫には、人手が必要です。小麦の収穫には、今はコンバインという機械を使います。19世紀の初めにアメリカで発明されたそうです。今はエンジンで動きますが、最初は馬や牛に引かせていたそうです。しかしコンバインが登場する前、小麦の収穫は全て手作業でした。片方の手で茎をつかみ、もう片方の手に持った鎌で刈り取りました。一人で刈り取る麦には、限りがあります。多くの麦を刈り取るには、多くの人出が必要です。ルツが落ち穂を拾ったボアズの畑には、何人か若い人たちが働いていました。世界中に広がる畑には、数えきれないほどの働き手が必要です。働き手が足りないのは、日本のビジネスの世界だけではありません。世界中の魂の収穫のために、働き手がさらに必要なのです。この働きを全て機械がすることはできません。魂と魂のふれ合いが必要だからです。魂の収穫のために、神の家族は全員総出で働きます。ただ見ているだけのお客さんはいません。女性も高齢者も外国人も、収穫のために一緒に働きます。小さな子供でさえ、収穫のために用いられるかもしれません。

 神様は、日本にも大収穫の時を用意されていると信じます。それが、いつどのようにやって来るのか、今は分かりません。しかし私たちは、その時のために備えておく必要があります。その時には、多くの働き手が必要となります。私たち一人ひとりを、神様が思いもよらない方法で用いて下さいます。その時に期待しましょう。そのために祈って行きましょう。

「そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」(マタイ9:37-38)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 7日 (日)

神の奇跡を信じる

 奇跡を信じない人は、たくさんいます。NHKは、 2013年に日本人の意識調査を行いました。5年ごとの調査で、今回は3,000人が回答しました。その中で「奇跡を信じる」と言った人は、16.4%だったそうです。80%以上の日本人は、奇跡が信じられないようです。聖書には、多くの奇跡が記されています。奇跡を信じない人がその話を聞いても、本当の事とはなかなか信じられないかもしれません。でも、奇跡が決して起きないと言い切ることもできないはずです。信じられないようなことを目にする可能性は、いつでもあります。

 ある化学者は、アミノ酸が偶然にタンパク質になる確率を計算したそうです。その結果、10の67乗分の1以下という確率になりました。分母は、1の後にゼロが67個並ぶ数です。ほとんどゼロと同じです。数学者も、統計的に10の50乗分の1以下の確率は、ゼロとみなしてよいと言っているそうです。つまり、アミノ酸が偶然に結合してタンパク質になることは、ほとんどあり得ません。それが起きたら奇跡です。私たちの体は、何でできていますか?水の次に多い成分は、タンパク質です。アミノ酸が奇跡的に結合して、私たちの体ができています。ですから私たちは毎日、鏡で自分を見たり、他の人を見るたびに奇跡を目撃しているのです。

 私たちの身近にある奇跡は、それだけではありません。体の細胞一つ一つには、DNAが入っています。正式には、デオキシリボ核酸と言います。遺伝情報を伝える物質です。ヒトのDNAは、長さが2メートルもあるそうです。その中に、膨大な情報が記されています。本にすると、小さな文字でびっしり書かれた500ページの本1000冊分だそうです。人間の体は、60兆個の細胞でできています。最初は、たった一つの細胞、受精卵です。その一つの細胞が次々に細胞分裂を繰り返して、60兆個になります。DNAも、その都度コピーが作られます。すべての生命は、この細胞分裂とDNA複製のメカニズムを持っています。このような生命が偶然生まれる確率も、計算した人がいたそうです。10の4万乗分の1以下という確率になったそうです。分母は、1の後にゼロが4万個つきます。この確率もほとんどゼロですね。ある科学者は、こう言ったそうです。「最初の細胞が偶然生じたと考えることは、こう信じるのと同じです。竜巻が廃品置き場を通り過ぎて、材料が巻き上げられます。するとその材料が自然に組み合わされて、ジャンボジェットのような飛行機ができ上がります。」生命の誕生も奇跡です。私たちの世界は、奇跡で成り立っているのです。

 そう考えると、聖書にいくら奇跡が出て来ても、それほど驚かなくても良いですね。神様は、奇跡によって世界を創造されました。奇跡によって、太陽や月や地球が造られました。奇跡によって、あらゆる生命が生み出されました。人類も誕生しました。そして奇跡によって、今なお新しい命が生まれています。アミノ酸がタンパク質になり、細胞が形作られます。奇跡によって、神様はユダヤ人をエジプトから解放されました。奇跡によって、彼らを荒野で40年間養われました。そして奇跡によって、彼らは約束の地を相続しました。イエス様は、奇跡によって誕生されました。多くの奇跡によって、自らが救い主であることを証明されました。奇跡によって、十字架の死からよみがえられました。そして、今なお奇跡によって、みことばの確かさを示しておられます。神様の奇跡を信じる人は幸いです。その人は、奇跡を見るからです。

「すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。『主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。』イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。」(マタイ8:2-3)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »