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2016年3月

2016年3月27日 (日)

天の御国をつくる

 イースターは、日本にはなかなか定着しないと言われて来ました。日本では、圧倒的大多数の人がキリストの復活を信じていません。そのお祝いが定着しにくいのは当然です。ところが最近、日本でもイースターが注目されつつあるという記事が、新聞各紙に掲載されました。卵関連の商品が増えているそうです。ブルボンでは、期間限定で「たまごのサブレー」などを販売。亀田製菓は、ハッピーターンのイースターパッケージ。森永製菓は、「キョロちゃんのもちもちたまご<カスタード味>」など。キューピーは、卵のおいしさをいかした「コクのたまごドレッシング」をこの時期だけ発売しています。ディズニーリゾートやUSJはもちろん、トイザらスでも全国の店舗でイースター向けのイベントが開催されています。「イースターネイル」も流行りつつあるそうです。うさぎや卵をモチーフにした、パステルカラーのネイルアートだそうです。キューピー株式会社の調査では、2012年にイースターを知る人は40%でした。ところが3年後の2015年には、88.5%の人がイースターを知っていると答えたそうです。イースター関連市場は、年々拡大の模様です。

 ただ、あくまでこれは商売の話です。イースター関連商品を売る人も買う人も、キリストの復活をお祝いしているのではありません。それでも、話の種にはなるかもしれません。「イースターというのは、本当はキリスト復活のお祝いなんだよ」という話です。話を聞いて、「それは素晴らしい。私もお祝いします」と、心から言う人がいたら幸いです。それは奇跡かもしれません。もちろん、時には奇跡も起こります。しかし多くの人は、「復活などあるはずがない」と考えます。私もそうでした。イエス様の時代の人たちも、そうでした。弟子たちでさえ、復活を信じていませんでした。彼らは、イエス様が息を引き取ったところを実際に目撃しました。墓に葬られたという報告を受けました。自分たちも同じように捕えられ、殺されるのではないかと恐れていました。人目につかないように隠れていました。よみがえったイエス様に出会うまでは、誰も復活を期待していなかったのです。

 ところが3日目の朝、全く想定外の奇跡が起きました。死んで葬られたイエス様が、よみがえられたのです。復活のイエス様は、500人以上の弟子たちの前に現れました。彼らは、イエス様が約束の救い主であると確信しました。それからは死をも恐れずに、イエス様復活のニュースを伝えに行きました。多くの弟子たちは捕えられ、殉教しました。それでも彼らは、口を閉ざしませんでした。キリスト復活の事実に間違いがないことを、命を懸けて証言し続けたのです。

 イエス様の地上での働きは、イスラエルの地に限られていました。働きの対象も、ユダヤ人が中心でした。しかし復活後は、弟子たちを全世界に遣わしました。キリスト復活の知らせを信じ、お祝いする人を世界中から呼び集めるためです。ユダヤ人かどうかに関係なく、信じる人たちを永遠の天の御国に招き入れるためです。イエス様は、天の御国の王として新たな国づくりを始められました。私たちが今、天の御国に招かれ、新たな国づくりに参加できることを感謝します。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。…』」(マタイ28:18-19)

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2016年3月20日 (日)

神の子イエスを礼拝する

 ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手は先月、お父さんになったそうです。「マー君」という愛称で親しまれていますが、「神の子」と呼ばれたこともあります。田中投手は駒大苫小牧高校のエースとして活躍した後、2007年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団しました。その時の監督は、野村克也さんでした。野村さんは、試合後に面白いコメントをたくさん残しました。プロ1年目の田中投手は8月のある日、ソフトバンクホークスとの試合に登板しました。4回表までに5点取られ、0対5でソフトバンクがリードしていました。ところがその後、楽天が7点取って勝ったのです。試合後、野村監督は苦笑しながらテレビカメラの前に現れました。そして、こう言いました。「マー君、神の子、不思議な子。」その試合の前にも、似たようなことが何度かあったそうです。野村監督は、こうも付け加えました。「天から神が降りて来た。」

 日本では、「神が降りて来る」という表現を時々耳にします。目に見えない存在が目に見える世界に働きかけて、不思議なことや奇跡的なことが起こるという意味です。マー君の例のように、スポーツ選手が驚くべき結果を残した時に用いられたりします。ミュージシャンが見事な演奏をしたり、素晴らしい曲を生み出したりする場合にも使われます。とんでもなくおかしいことが起きた時、「笑いの神が降りて来た」と言う人もいます。たいていの場合は、「神が降りて来る」のはその時だけです。田中選手を今も「神」とか「神の子」と呼んで拝む人は、おそらくいないでしょう。

 ただ、神としていつまでも敬われる人も中にはいます。ある分野で非常に優れた人が、何々の神様と呼ばれる場合です。川上哲治という野球選手は、打撃の神様と呼ばれました。手塚治虫という漫画家は、マンガの神様と呼ばれました。松下幸之助という経営者は、経営の神様と呼ばれました。羽生善治というプロ棋士は、将棋の神様と呼ばれているようです。日本の伝統的な信仰では、何百万という神々を拝んでいます。神々には、それぞれ専門分野があると考えられています。各々の神は、その専門分野に大きな力を発揮するという信仰です。ですから新しい分野の神々や神の子が加わっても、多くの人は特に違和感がないようです。

 しかし、聖書に記される天地創造の神は、ただお一人です。その他の神々はすべて偶像であり、偽物ということになります。ユダヤ人たちは長い歴史を通して、聖書の真理を学んで来ました。多くの失敗を経験し、痛い思いをしながら教訓を得て来ました。彼らの国は、偶像の神々を信じる国々に滅ぼされました。アッシリアもバビロニアも、偶像を拝んでいました。その後、ユダヤ人を支配したペルシャやギリシャも、多くの神々を信じていました。皇帝を神として拝む国もありました。しかしそれらの国々も、しばらくすると滅亡しました。ユダヤ人たちは、それらの国々の栄光と没落を目撃した証人でした。天地創造の神だけがあらゆる地上の権力に勝る力を持つと、彼らは証言することができたのです。

 「神の子」とは、もともとはこの天地創造の神の証人全てを指しました。モーセの時代には、「神の子」と言うとイスラエル全体を意味したのです。それがダビデ以降には、特にイスラエルの王を指すようになりました。国が滅んだ後には、新たな国づくりをする「来たるべき王」を意味するようになりました。ダビデの子孫として来られるメシアのことです。天から本当に降りてきた「神の子、不思議な子」は、実はマー君ではありませんでした。それは、イエス様のことだったのです。

「そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、『確かにあなたは神の子です』と言った。」(マタイ14:33)

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2016年3月13日 (日)

天の幸いに気づく

 ある人がYahoo!知恵袋で、こういう質問を投げかけました。「ニュートンは、なぜりんごを見ただけで万有引力を発見したのでしょうか?私なら、りんごの落ちたのを見ただけで何も考えません。なぜでしょうか?」これに対して、何人かの人が真面目に回答していました。「ニュートンは、ひらめきがあったからだ。優秀な科学者だったからだ。なぜそうなのかと、いつも考える習慣があったからだ。」でも、こう答えた人もいました。「ニュートンは天才で、あなたはそうでないからだ。」

 アイザック・ニュートンは、1642年にイギリスで生まれました。生まれる3か月前に父が亡くなり、父と同じ名前がつけられました。アイザックとはもちろん、聖書に出て来るアブラハムの息子イサクの名からとられています。アイザックの父は農家でした。でもその子は農業に関心がなくて、勉強ばかりしていました。母親はそれを見て、「この子は農家には向かない」と思いました。お金がないのに、大学に進学させようとしました。大学講師の雑用係になれば、授業料や食費が免除されたそうです。(良い制度ですね!)アイザックは、働きながら勉強を続けました。そして数学の教授に才能を見出され、奨学金をもらえることになりました。その頃ロンドンでは、ペストが大流行しました。大学も閉鎖されたので、アイザックは故郷でしばらく休暇の時を過ごしました。木からリンゴが落ちるのを見たのは、この時だったと言われています。リンゴは木から落ちるのに、どうして月は落ちて来ないのかと考えたそうです。

 その当時、地上の物体に働く重力については知られていました。イタリア人ガリレオ・ガリレイが、ピサの斜塔から物を落とす有名な実験を行っていました。しかし、そのような力が月や星にも働くとは、誰も考えませんでした。ニュートンは、宇宙空間にある全ての物体に、互いを引き寄せる力が働くと考えたのです。いわゆる「万有引力」です。ガリレオもニュートンも、クリスチャンでした。彼らは、神様が宇宙を創造された時に定めた法則を見つけようとしたのです。引力が発見される前は、全ての物は本来あるべき場所に戻ると考えられたそうです。石は本来地面にあるべきなので、手を放せば下に落ちるといった考えです。でも、月や星は落ちて来ません。天体の世界には違う法則があると、人々は考えたそうです。リンゴと月に同じ力が働くとは、思いませんでした。ニュートンのひらめきは、画期的だったのです。全ての物体に同じ力が働く可能性に、彼は初めて気づいたのです。

 ほとんどの人はリンゴや月を見て、万有引力の法則を考えたりしません。でも神様を信じる人は、リンゴや月を見て神様の愛を思うことができます。神様は、リンゴを創造されました。リンゴの種が木になるように育てて下さいます。丁度良い具合に、日の光を照らされます。水や栄養を与えられます。時が来ると実を実らせて下さいます。美味しいリンゴを私たちに食べさせて下さいます。神様は、月も創造されました。丁度良い具合に太陽の光を反射させ、夜の光として用いられています。月の満ち欠けを通して、神様は時の移り変わりも告げておられます。創造された世界を見て、天の恵みに気づく人は幸いです。あなたは、天才ではないかもしれません。でもイエス様を信じる人は、天の幸いを手にするのです。

「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。」 マタイ13:16

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2016年3月 6日 (日)

イエスの御名に望みをかける

 東日本大震災から、もう5年になります。政府の集計によると、震災が原因で自殺した人は、昨年11月末で154人だったそうです。岩手、宮城、福島の3県の合計です。岩手や宮城では自殺者数は減少していますが、福島では増加傾向のようです。政府の集計では、遺書のない人を自殺とカウントしないそうです。ですから、実際はもっと多いかもしれません。自殺の動機は、健康問題、経済・生活問題、そして家庭問題だと報告されています。ただ一般的に言えば、自殺の大きな要因の一つは絶望だと、ある医師が言っています。戦争や天災などの大きな苦難に直面しても、将来に希望があれば、多くの人はなんとか乗り越えるそうです。今はたいへんでも、ここを乗り切れば明るい未来がやって来る・・・。そう信じられれば、困難を耐え忍ぶことができるようです。

 日本全体の自殺者数は最近、3万人を下回ったと報告されています。ただ遺書のない人を含めると、実際は11万人以上になるという見方もあります。50代の自殺者は、ずいぶん減ったようです。10数年前は経済が悪化し、リストラされた中高年の人が多かったそうです。いろいろ対策が練られたり、景気が良くなったりしたため、自殺者数が減ったと見られています。しかし若い人の自殺は、10数年前よりも多くなっています。15~39歳では、死因の第1位は自殺だそうです。

 確かに今の日本は、若い人が将来に希望を持ちにくいかもしれません。経済力が落ちて来ています。格差が広がっているようです。希望する仕事になかなかつけません。働きたくても、子供を預ける保育園がない場合もあります。多くの人は、厳しい労働条件で働かざるを得ません。人口は今後、ますます減る方向です。高齢化が急速に進みます。社会保障制度は、破たんすると言われています。大きな地震や津波が来る危険もあります。放射能汚染があるのに、原発は再稼働されています。テロもいつ起こるか分かりません。将来、戦争に巻き込まれるかもしれません。政治にも今のところ、あまり期待できそうにありません。将来に希望がないのなら、自殺しようかと思う人もいそうです。希望は一体、どこに見出すことができるのでしょうか。

 歴史上、多くの人が希望の見えにくい状況を生き抜いて来ました。聖書の中には、そんな人がたくさん登場します。アブラハムとサラは、超高齢になっても後継ぎが生まれませんでした。ヨセフは、兄たちに奴隷として売られました。しかも、無実の罪で牢に入れられました。誰も味方がいませんでした。モーセは、人殺しをして荒野に身をひそめました。2度と王宮には戻れないと思いました。エジプトにいたユダヤ人たちは、国営のブラック企業でレンガ作りをさせられていました。約束の地にいたギデオンは、いつ襲ってくるか分からない敵を常に恐れて日々暮らしていました。ダビデは国王から命を狙われ、逃亡生活を続けました。いつ殺されても、おかしくありませんでした。その後、イスラエルの国は滅び、ユダヤ人たちは偶像を拝む国々に散らされました。目に見える限りでは、国が再建される見込みは全くありませんでした。イエス様が十字架につけられた時には、弟子たちは絶望のどん底につき落とされました。しかし神様は、そんな希望の見えない人々といつもともにおられました。将来に祝福の計画を持っておられました。そして、人々に新たな希望を与えられたのです。

 神様は、私たちにも希望を与えて下さいます。たとえ何の希望も見えなかったとしても、神様はいつでも奇跡を起こすことができます。私たちが思いもしない方法で、明るい未来への扉を開くことができます。どんな状況の中でも、イエス様に望みがあることを感謝します。

「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける。」(マタイ12:20-21)

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