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2016年4月

2016年4月24日 (日)

天の喜びを共有する

 災害が起きると、ある日突然、普段の当たり前の生活が当たり前ではなくなります。地震や津波、台風などの自然災害によって、「ライフライン」が失われます。「ライフライン」とは、もともとは海に潜る人と舟をつなぐような命綱を意味しました。それが、人の命を支えるために必要不可欠な物を意味するようになり、特に日本では電気、ガス、水道、電話、道路などの公共設備を指すようになっています。かつては、「生活線」とか「生命線」という日本語が使われていました。「ライフライン」という言葉が多用されるようになったのは、1995年の阪神・淡路大震災以降のようです。「ライフライン」は、95年の新語・流行語大賞のトップテンにランクインしたそうです。ちなみにクリスチャンのTV番組である「ライフ・ライン」は、その8年前の1987年から放送されています。TV放送を通して、人の命に必要不可欠な「いのちのことば」を届けようとしているのでしょう。

 ライフラインの中でも、水は特に重要です。人間の体の大部分は、水でできています。胎児は体重の90%が水、新生児は75%、子供は70%、大人は60~65%、老人は50~55%だそうです。年を重ねるとともに、水分は少なくなります。お肌にも潤いがなくなります。体内の水は3分の2が細胞の中にあって、生命維持に必要な栄養などを保っています。DNAも水の中で複製されます。残り3分の1の水は、細胞外の血液などに含まれ、体中を循環しています。体の隅々まで酸素や栄養などを運ぶ重要な役割を担っています。老廃物など不要なものを体外に運び出す役割もあります。健康な大人が1日に出す尿の量は、1000~1500 mlだそうです。この他にも、体から出る水分があります。体温調節のために出る汗は、多い時は1時間に1500 mlになるそうです。汗以外でも、皮膚から1日600 mlの水が蒸発しています。息をする時に吐き出される空気にも、400 mlの水が含まれるそうです。合計すると、少なくとも1日2リッター以上の水が体の外に出る計算になります。大きなペットボトル1本以上です。飲み物や食事で補給しないと、体の水分はすぐに不足します。

 阿蘇山のある熊本は「火の国」と呼ばれますが、「水の国」でもあるそうです。地下水が豊富で、県内各地に1000箇所以上、湧き水が出ているからです。熊本の水道の80%、熊本市周辺では100%が地下水だそうです。全国平均は20%とのことで、熊本がいかに水に恵まれた地域かよく分かります。この話は地震の少し前に、NHKのある番組で紹介されていました。私は、たまたまその番組を見ていました。勢いよく水が湧き出る井戸の映像もありました。しかし地震が起きると水道が止まり、水不足と報道されました。あれだけ水が豊かでも不足するのかと思い、水が与えられるように祈りました。

 イエス様は、水のない私たちに水を届けに来て下さいました。永遠のいのちの水です。イエス・キリストを信じる人は、誰でもこの水が飲めます。決して断水がありません。信じる人の心の井戸から、いくらでも湧き出て来ます。誰かが新たにこの水を飲めば、天に大きな喜びがあります。水を飲む人自身も、天の喜びで満たされます。その水の豊かさを伝える私たちも、一緒になって喜ぶことができます。

「そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」(マタイ18:13-14)

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2016年4月17日 (日)

天の声に聞き従う

 「天の声」と言うと、最近はテレビのナレーターのことを指すそうです。平日の朝放送している情報バラエティ番組では、「天の声」が番組出演者にクイズを出しています。普段は男性の声ですが、金曜日は女性の声になります。天の声にもシフトがあるようです。天の声をやりたいという別な女性もいて、一度やらせてもらったそうです。人間でも、その気があれば天の声になれるようです。別の番組では、天の声が交代したら、視聴者の評判が悪かったそうです。聞き取りにくい、前の声の方が良かったとか言われたようです。天の声に文句を言って良いのでしょうか?先日終了した別の番組では、あるアイドルグループに天の声が指令を出したそうです。天の声に従って、そのグループが日本全国を旅行しました。指令は絶対で、言われたら必ず従わなければならなかったそうです。無茶ぶりもあって、「天の声を殴りたい」と思った人もいたとか。天の声を殴るなんて、できるのでしょうか?

 古代中国の思想では、天は「天帝」、つまり天地を治める皇帝のような最高神を意味したそうです。この天帝の子が天子であり、地上の王のことでした。天子である王は、天の命によって天下を治めました。もし王が徳を失うと、天はその人を退けて、別な人を王に任命すると考えられたそうです。良い王の条件は、徳があるかどうかでした。このような中国の思想は、日本にも影響を与えて来ました。つい最近、セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEOの鈴木敏文さんが引退を発表しました。セブンイレブンやイトーヨーカドー、西武百貨店の親会社です。鈴木さんは会見で、「私の不徳の致すところ」という表現を使いました。米国のビジネス誌フォーチュンの記者は、この言葉の謙虚な響きに感激したようです。米国の経営者もこの謙虚さを学ぶべきだと書きました。この記事をフェイスブックで紹介する人たちもいました。「不徳の致すところ」という表現は、古代中国の思想の名残のようです。王に徳がなければ天の信任を失い、ついには王位を失うという考え方です。信任を失わないように、天にお伺いを立てる王たちもいました。占い等を通して、天の声を聞こうとしたのです。

 聖書には、天の声に聞き従う人とそうでない人たちが登場します。アダムとエバは、聞き従いませんでした。彼らは、天国のような楽園から追放されました。ノアは、天の声に聞き従いました。箱舟を作って洪水から命を救われました。アブラハムも、天の声に聞き従いました。生まれ故郷を後にして、約束の地に向かいました。モーセも、天の声に聞き従いました。エジプトの奴隷を解放し、シナイ半島40年ツアーのガイドを務めました。ダビデも、天の声にほとんど聞き従いました。数々の戦いに勝利し、エルサレムに神殿を築く準備をしました。その後の多くの王たちは、天の声に聞き従いませんでした。彼らには、忠実という徳がありませんでした。結局、彼らは天の信任を失い、王位をはく奪されました。国は滅び、人々は世界中に散らされました。一部の人は中国や日本にも来て、天の声に聞き従うべしという教訓を語ったかもしれません。

 イエス様は、まことの天の声です。天帝の子、天子として地上の世界に来て下さいました。全世界の人が、天に対する忠実という徳を失っていました。その徳を回復するために、イエス様が来られたのです。完全な徳を備える天子イエス様は、天下を治める王位を永遠に失うことがありません。永遠に交代のない天の声です。その指令は愛に満ちていて、決して無茶ぶりがないことを感謝します。

「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい』という声がした。」(マタイ17:5)

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2016年4月10日 (日)

天国の鍵を用いる

 人類史上、最も古い鍵は紀元前2000年頃、エジプトで作られたそうです。アブラハムの頃です。アブラハムは神様の導きに従い、メソポタミヤからカナン(イスラエル)の地にやって来ました。「あなたの子孫にこの地を与える」と神様から言われました。でも激しいききんのため、しばらくエジプトに避難しました。エジプトには、ナイル川流域に高度な文明が発達していました。ファラオ(パロ)と呼ばれた王が、豊かな国を支配していました。アブラハムの妻サラはとても美しい女性だったので、ファラオの宮殿に召し抱えられました。アブラハムは、ファラオからの贈り物で非常に豊かになりました。エジプトは格差社会でした。王様には、莫大な財産がありました。その財産を守るために、鍵が必要だったはずです。アブラハムのひ孫のヨセフは、後にエジプト全土を支配しました。彼の指導の下、大量の穀物が倉庫に貯蔵されました。穀物が盗まれないように、その倉庫にも鍵がかけられたかもしれません。

 鍵は、権限を象徴しています。ファラオの倉庫の鍵を持つ人は、王の財産を管理する権限がありました。王に忠実で、信頼されていたはずです。イスラエルにも、後に王国が誕生しました。エルサレムの王宮にも鍵を管理する人がいたはずです。王が立てられて、イスラエルも格差社会になりました。ソロモンは非常に豊かでしたから、守るべき財産もたくさんあったはずです。その後、預言者イザヤは、王宮の管理人について預言を語りました。誇り高ぶった管理人が職を解かれ、別な人が管理人に任命されるという預言です。新しい管理人には、ダビデの家の鍵が与えられると語りました。王の家を管理し、全てのドアを開閉する権限が与えられました。王の家に招かれた人は、管理人がドアを開けると、中に入ることができました。管理人には、中に入るべきでない人から家の中のものを守る役割もありました。王の家の管理はたいへん重要な働きで、名誉あるものでした。

 エルサレムの神殿にも、鍵を持つ人がいたようです。ダビデは神殿建設の準備を進め、さまざまな奉仕を担う人たちを任命しました。その中には、門衛もいました。彼らは、神殿の見張りをしました。神殿の中にある宝物倉も見張りました。そこは鍵がかけられていたようです。神殿は、神の家と呼ばれました。門衛たちは、神の家の管理人だったのです。神様を礼拝に来る人を、神の家の中に招き入れました。中に入るべきでない人から、神の家を守りました。門衛の働きも重要で、名誉あるものでした。

 天の御国は、天の王宮であり神の家です。その家の鍵を、イエス様はペテロに預けられました。天の王の招待を喜んで受け取り、王宮に来る人に対し、ドアを開けるためです。王の招待を断る人たちには、ドアを開けることはしません。王宮を荒らす存在から、中の人たちを守るためです。王宮の鍵は、ペテロ一人だけに与えられたのでしょうか。そうではありません。ペテロは、イエス様の弟子を代表してその鍵を受け取りました。ペテロと同じようにイエス様の弟子となる人には、誰でも同じ鍵が預けられます。天国に人を迎え入れるための大切な鍵です。イエス様を信じるなら、誰でもこの重要で名誉ある役割が与えられるのです。

「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)

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2016年4月 3日 (日)

心をきよめる

 あるお店では、「心を磨き清めるセット」を販売しています。キャッチフレーズは、こうです。「心が汚れちゃった全ての大人へ。磨けよ心・清めよ心。」セットの中には、3つの物が入っています。1つは、「心」という漢字の木彫り。荒削りだそうです。2つ目は紙やすり。これで荒削りの心を磨いて、角を落とします。3つ目は清めのお香。このお香で、丸くなった心を清めるそうです。販売価格は、税込みで1,500円。姉妹商品には、「女を磨き清めるセット」もあるそうです。こちらのお値段は、なぜか書いてありません。「男を磨き清めるセット」は、ないようです。ちなみにこのお店では、仏壇グッズを販売しています。仏壇のTシャツとかフィギュアを売っています。木彫りの「心」も、仏壇彫刻に使われる「紅松」という材料だそうです。木彫りの「心」が磨かれると、松の木の良い香りを放つそうです。磨かれて清められた心は、周りの人の心にも麗しい印象を残すということでしょうか。

 日本では伝統的に、心の汚れを清めるという信仰があります。神社の境内には、水の出る場所が用意されています。参拝する人が、水で手や口をすすぐ所です。水が貯めてある水盤には、たいてい「洗心」という文字が彫られているそうです。両手と口を洗い清めれば、心も清めることができると信じられています。もともとは、海や川に体を浸して清めました。滝に打たれる場合もあります。「みそぎ」と呼ばれます。車や電車のない時代、わざわざ海や川や滝に行くのは大変でした。そこで神々に祈る前に、簡単に身と心を清める方法を考えました。それが、神社境内の水だそうです。ちなみにお香で清めるという信仰は、インドから伝わったそうです。汚れた臭いを消すという意味だそうです。

 イスラエルでも伝統的に、汚れと聖めに関して日本とよく似たしきたりがありました。彼らが神様を礼拝した幕屋には、洗盤と呼ばれる大きな水桶がありました。日本の水盤は石ですが、イスラエルのものは青銅でできていました。青銅は、神様のさばきを象徴していました。さばきとは、神様に受け入れられるものと受け入れられないものが、はっきり二つに分けられることです。聖いものと汚れたものとが、二つに分けられます。祭司たちは、その洗盤の水で手足を洗いました。神様に近づく前に汚れを落とし、自らを聖めたのです。手足を洗い聖めるとともに、心の準備も整えました。

 この洗盤は、イエス様の象徴でもありました。洗盤は、幕屋の奉仕をする女性たちの鏡から作られました。当時の鏡は、青銅製でした。神のみことばであるイエス様は、人の心を映す鏡です。みことばによって、私たちは自分の心の汚れを知ることができます。イエス様は、全ての人を罪の汚れから聖めるために、十字架のさばきを受けて下さいました。そのみわざを信じる人には、聖霊の水が与えられます。心の汚れを洗い聖める水です。実は私たちは、自分で自分の心を聖めることができません。洗盤であるイエス様が、聖霊の水を用いて私たちの心を聖めて下さるのです。

「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」(マタイ15:18)

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