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2016年5月

2016年5月29日 (日)

天の教えを実行する

 ある人々に強い影響力を持つ人のことを、オピニオンリーダーといいます。一般的には、マスメディアを通して発言する政治家や学者、評論家などを言うようです。その他にもタレントやモデルなどは、ファッションやライフスタイルの面で多くの人に影響を与えます。最近、情報はインターネットを通しても流れるようになりました。ホームページやブログ、YouTubeなどの動画共有サイト、TwitterやFacebookなどのSNSを通して、人に影響を及ぼすオピニオンリーダーもいます。

 エヴェリット・ロジャースという社会学者は、新しい商品やサービスに対して、人々がどういう反応をするか研究しました。5つのタイプに分かれると彼は考えました。1つ目はイノベーター(革新者)で全体の2.5%。冒険的で、新しい物をすぐ採り入れます。新しければ良いので、役に立つかどうかは考えません。2つ目はアーリーアダプター(初期採用者)で、全体の13.5%。彼らはオピニオンリーダーで、他の人たちに影響力があります。彼らの意見により、新しい物が広まるかどうかが決まります。3つ目はアーリーマジョリティ(前期追随者)、34%。新しい物に少し慎重ですが、オピニオンリーダーの影響を受け、割と早めに採り入れる人たちです。ブリッジピープルとも呼ばれます。4つ目はレイトマジョリティ(後期追随者)、34%。新しい物に疑いを持っています。周囲の大多数が使用しているのを見て、採り入れます。フォロワーとも呼ばれます。5つ目はラガード(遅滞者)、16%。流行や世の中の動きにあまり関心がなく、新しい物が新しくなくなるまで買いません。最後まで買わない人もいます。新しい物を売り出す人は、誰がオピニオンリーダーなのか気になりますね。CMには、オピニオンリーダーになりそうな好感度の高い人を使おうとするはずです。

 パリサイ人は、1世紀ユダヤ人社会のオピニオンリーダーでした。彼らは、人々に大きな影響力を持っていました。バビロニアにいたユダヤ人たちは、ペルシア帝国の時代になってイスラエルの地に戻って来ました。ペルシアは、ユダヤ人の信仰に寛容でした。その後、ペルシアを滅ぼしたギリシアは多神教の国でしたが、ユダヤ人の信仰に不寛容でした。多神教なら寛容だというのは、大きな誤解です。ギリシア人は自分たちの信仰を、ユダヤ人に押し付けようとしました。日本にいるクリスチャンも、多くの人が似たような同調圧力を感じて来たはずです。ギリシアの圧力に反発したユダヤ人たちは、唯一の神との契約を忠実に守ろうとしました。この運動が、パリサイ派の始まりだそうです。サドカイ人は上流階級でしたが、パリサイ人は主として中流階級でした。農家や商人が多かったようです。律法学者をリーダーとするグループに属し、聖書を学び、励まし合いました。シナゴーグと呼ばれる会堂で律法を教え、パリサイ人以外の人たちにも多くの影響を与えました。彼らの信仰の「かたち」は、現代のユダヤ教はもちろん、キリスト教会にも影響を残しています。マスメディアもインターネットもない時代でしたが、パリサイ人は、律法学者を中心とするシナゴーグでの教えを通して、ユダヤ人社会のオピニオンリーダーとなっていました。

 残念ながら多くのパリサイ人は、イエス様の教えを受け入れて広めるオピニオンリーダーにはなりませんでした。逆にイエス様を排除し、十字架につける方向に動きました。しかし、後に一人のパリサイ人がイエス様を信じ、世界中に大きな影響を与えるオピニオンリーダーとなります。使徒パウロです。彼は異邦人に天の教えを宣べ伝え、地の果ての多くの人々が読む長い手紙を何通も書きました。どんな人にも、やり直すチャンスがあります。「罪人のかしら」パウロは、悔い改めて天の教えを実行する人になれたのです。

 「…律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。」(マタイ23:2-3)

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2016年5月22日 (日)

天の衣を身にまとう

 以前、「プラダを着た悪魔」という映画を観たことがあります。2006年公開のアメリカ映画です。ジャーナリスト志望の若い女の子が、悪魔のような上司に鍛えられ、成長していく話です。主人公のアンドレア役はアン・ハサウェイ、恐い上司のミランダ役はメリル・ストリープが演じました。アンドレアは、オハイオの田舎出身です。名門大学を卒業し、報道記者を目指して大都市ニューヨークに来ました。ある出版社に応募すると、なぜかファッション雑誌のオフィスに通されました。彼女は、ファッションには全然関心がありませんでした。来ていた服もセンスゼロで、全く場違いでした。そこに、完璧なファッションで固めた編集長ミランダが現れます。即座に不採用となりますが、その後、編集長の気が変わります。アンドレアは彼女のアシスタントとなり、地獄のような日々が始まりました。厳しい試練の中、アンドレアの能力とセンスが磨かれて行きました。ファッション業界にふさわしい服を着るようになりました。結局、最後にアンドレアはミランダと決別し、大手新聞社に再就職します。今度は、新聞記者にふさわしいボーイッシュな服装に変わりました。

 私も、ファッションにはほとんど関心がない方です。北海道から上京して、名門大学を卒業しました。マスコミに就職しようとしたこともあります。そういう点では、アンドレアに親しみを感じます。ファッション雑誌には就職しませんでしたが、私も行く先々で着る服を変えて来ました。大学卒業後は、政治家や経営者を育てる「塾」に入りました。毎日、ジャケットとネクタイ着用でした。その後、クリスチャンになり、教会の子供たちの家庭教師をしました。毎日、普段着でした。トラック運転手の時は、いつも作業着。サラリーマンになると、いつも背広とネクタイ。函館の教会で副牧師になったら、平日は普段着、日曜日は背広とネクタイでした。背広とネクタイは、牧師の定番ファッションです。その後、隣町の教会の牧師になり、最初はネクタイをしていました。函館の教会から来た人たちばかりだったからです。でも私は、その格好をいつかやめたいと思っていました。私以外、誰もそんな恰好をしていなかったからです。親しい家族の集まりで、一人だけ仕事中のビジネスマンみたいな服じゃない方が良いのではないかと思いました。聖書にも、牧師はネクタイがふさわしいとは書いてありません。そこで少しずつ服装をカジュアルにし、ある日、上着もネクタイもやめました。教会の大部分の人は、私の考えを理解してくれたようです。

 何がふさわしい服装なのか、分からない場合は困ります。16年前、東京で日本フォースクエア福音教団の50周年大会が開催されました。その時、私は通訳者の一人でした。講師は、米国で私が行っていた教会の牧師でした。その教会の礼拝では、牧師はもちろん、出席者の多くが背広とネクタイでした。牧師を含む多くの人が、香水もつけていました。日本の50周年大会でも、講師は同じような格好をするだろうと予想しました。通訳者は普通、講師と服装を合わせます。私は、普段は着ない背広とネクタイを北海道から持参しました。プラダではなかった(悪魔でもなかった!)ですが、びしっと決めて集会場所に行くと、講師はアロハを着て現れました。沖縄の人からもらった、かりゆしウェアだったかもしれません。部屋に戻って着替える時間は、ありませんでした。私はあわてて上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、ワイシャツの袖をまくり上げました。観光客の通訳をする、仕事帰りのサラリーマンみたいな格好でした。

 天の御国は、結婚披露宴のようです。そこに集う人は、婚礼の場にふさわしい礼服を着なければなりません。天の婚礼に着る「天の衣」です。イエス・キリストを信じるなら、誰でもこのとっておきの衣装を着て、天の宴に出席できるのです。(天の御国では、この衣を着ないとセンスゼロです!)

「ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』…」(マタイ22:11-12)
(通訳付き40分のメッセージを最後まで聴きたい方がもしいたら、こちらからどうぞ→ http://hopetoko.org/echurch.html

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2016年5月15日 (日)

天の王を心に迎える

 天皇皇后両陛下は今週、地震被害にあった熊本を日帰りで訪問するそうです。現在、天皇は82歳、皇后は81歳です。年齢にふさわしく、お二人の公務を減らす方向だというニュースもありました。毎日、さまざまな人の訪問を受けたり、あちこち訪問したり、超過密スケジュールのようです。それでもできるだけ早く被災地を訪れ、人々を励ましたいという心遣いには、頭が下がります。

 天皇が各地を訪問する習慣は、明治維新以降始まりました。それまでの天皇は都にいて、遠出することはほとんどなかったようです。京都に代わり東京が新しい時代の首都とされ、国王として尊ばれた明治天皇が移って来ました。それは、新時代を象徴する一大イベントでした。京都から東京まで、天皇は輿に乗って来たようです。周囲が御簾で覆われていて、天皇の姿は直接見えなかったようです。天皇の神秘性を高めるためだったと言う人もいます。沿道では、多くの人々がその一行を目撃しました。長年、徳川家の本拠地だった江戸・東京の人たちも、新時代の到来を実感したはずです。明治天皇はその後、日本各地を訪問しました。全部で97回にも及んだそうです。それらの訪問は、天皇を中心とする新しい国づくりの時代が来たことを人々に印象づけたに違いありません。

 第二次大戦後、昭和天皇も日本各地を精力的に訪問しました。敗戦後、天皇は退位することも一時考えたようです。しかし、自分の使命は日本全国を訪問して人々を慰め励まし、復興への勇気を与えることだと思い直しました。最初に訪問したのは1946年2月、川崎の肥料工場だったそうです。食料不足だったので、肥料の生産はたいへん重要でした。一列に並んだ工員たちに、天皇は話しかけました。「生活は苦しくないですか。食べ物はありますか。家はありますか。」午後は、横浜の仮設住宅を訪問しました。天皇が「これでは寒いでしょう」と聞くと、「はい、大変寒いです」と答えがありました。その時、天皇は「あ、そう」と言いました。「あ、そう」はその後、流行語になったそうです。9日後には、東京を見て回りました。日本橋の焼け跡、小石川の仮設住宅、そして早稲田の小学校での授業参観。新宿の伊勢丹デパート前では、「天皇陛下万歳」と叫ぶ人たちに取り囲まれました。訪問する先々で、同じような光景が繰り返されたそうです。原爆が投下された広島でも、天皇は熱狂的に歓迎されました。人々のこのような反応は、占領軍や海外の多くの人にとって全く想定外でした。「敗戦の責任が問われるはずの天皇が、どうして日本中で大歓迎されるのか。Why Japanese people?」彼らには、非常に不思議に思えたようです。天皇は、8年半かけて全国各地を訪問しました。敗戦の痛みに苦しむ人々を慰め、新たな復興の時代を迎えられるように力づけたのです。

 イエス様も3年半、イスラエル各地を訪問し、慰めと励ましのことばを人々に語られました。ユダヤ人たちは、何百年も続く外国の占領に苦しんでいました。異邦人の支配から解放される時を待ち続けていました。いつか国王が首都エルサレムに戻ること、そしてダビデ・ソロモン時代のように国が復興することを期待していました。必ず新しい時代が来るという預言のことばもありました。そしてとうとうイエス様が登場し、その時が来たと宣言されたのです。天から遣わされた王として、イエス様はエルサレムに入城されました。この「天の王」を、人々は熱狂的に迎え入れたのです。

 今日は、ペンテコステの日です。2000年ほど前のこの日、イエス様を心に迎え入れた人たちに聖霊が注がれ、天の御国の「復興」は弟子たちの手に引き継がれました。その働きは今、全世界に広がっています。イエス様を天の王として心に迎え入れる人は、誰でもこの新たな国づくりに加わることができるのです。

「そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」(マタイ21:9)

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2016年5月 8日 (日)

仕える人になる

 日本では最近、大企業の不正がまた明らかになりました。私は昔、仕事で三菱の2トントラック「キャンター」を毎日運転していました。燃費がどうだったかは分かりませんが、事故がなくて良かったです。実は米国でも21世紀に入ってから、大企業の不正が次々に暴露されたようです。米国ではその後、リーダーには能力だけでなく、高い倫理観が必要だと多くの人々が主張しました。そこで「サーバント・リーダーシップ」という考え方が、再び注目されるようになったそうです。奉仕する(仕える)リーダーシップという意味です。人に指示や命令するよりも、人の行動や成長を支援するリーダーの働きです。このようなリーダーは、「サーバント・リーダー」と呼ばれます。

 サーバント・リーダーシップは、1970年頃からロバート・グリーンリーフによって提唱されました。その頃、米国はベトナム戦争が長期化し、出口が見えませんでした。ヒッピー等による反戦平和運動も盛んになっていました。多くの若い人たちが、国や社会のリーダーを信用しなかったそうです。自分たちもリーダーになりたくないと考えました。グリーンリーフは、「このままでは将来、国や社会でリーダーシップを取る人がいなくなる」と危機感を持ちました。私利私欲を求めるのではなく、他の人のために奉仕するリーダーが必要だと、彼は考えました。そのようなリーダーがいれば周りの人は信頼し、主体的に協力してくれるはずだとも考えました。

 サーバント・リーダーシップには、次の10個の特徴があるそうです。1)傾聴 (listening)。話をしっかり聞き、どうすれば自分が役に立てるか考える。2)共感 (empathy)。相手の立場に立って、その気持ちを理解する。3)癒し (healing)。相手の心の傷を取り除き、本来の力を取り戻させる。4)気づき (awareness)。鋭い感覚によって、物事をありのままに見る。5)納得 (persuasion)。服従を無理強いせず、相手の同意を促す。6)概念化 (conceptualization)。大きな夢やビジョンを持ち、それを相手に伝える。7)先見力 (foresight)。現在と過去を照らし合わせ、将来を予想する。8)執事役 (stewardship)。自分の利益よりも、相手の利益を喜ぶ。9)成長への関与 (commitment to the growth of people)。一人ひとりの力や価値を見出し、仲間の成長を促す。10)コミュニティづくり (building community)。愛情と癒しに満ち、人々が成長できるコミュニティをつくる。

 サーバント・リーダーと正反対なのが、君臨・支配型のリーダーです。君臨・支配型リーダーは、自分の成功を求め、人をそのために利用します。情報をコントロールし、自分の立場を守ろうとします。データもごまかすかもしれません。人には指示、命令を与えるだけです。何か問題が起きたら、誰か別な人の責任にします。人々は、その権威に従いますが、心の中では恐れています。これに対してサーバント・リーダーは、自分よりもチームの成功を求め、そのために仕えたいと思っています。ビジョンを共有し、信頼のネットワークを作ろうとします。情報の正確さを大切にし、人の話をよく聴きます。何か問題が起きたら、そこから得た教訓を生かそうとします。人から信頼され、愛されています。

 イエス様は、すでに2000年前にサーバント・リーダーシップについて教えられました。イエス様ご自身が、完璧なサーバント・リーダーです。サーバント・リーダーシップの特徴を、全て備えておられます。イエス様は、私たちも同じように「仕える人」になってほしいと願われています。日本にイエス様のようなサーバント・リーダーが増えるなら、不正はきっと減って行くに違いありません。

「…あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」(マタイ20:26-27)

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2016年5月 1日 (日)

天に上る許しを得る

 「こどもの日」が日本で国民の祝日に制定されたのは、1948年だそうです。その趣旨は、こう記されています。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」母の日が一緒になっているようですね。父親への感謝はなさそうです(笑)。もともとこの日は、古代中国から伝わる厄払いの行事が行われていたそうです。鎌倉時代以降、男の子のお祭り、「端午の節句」としてお祝いされるようになりました。鎧や兜を飾る風習は、もちろん武家社会から生まれました。鎧兜は、戦の中で身を守る道具でした。男の子があらゆる災いから守られ、健やかに成長することを武家の人々は願いました。私の家は武家ではありませんが、子供の頃の家にはガラスケースに入った兜がありました。一年中飾られていたので、季節感はなかったです。

 鯉のぼりを飾る習慣は、江戸時代の町人の家から生まれたそうです。武士の家では、男の子が生まれると家紋の入った旗やのぼりを立てました。これに対抗して、商人の家では鯉のぼりを立てるようになったそうです。これは、古代中国の伝説に基づいています。黄河の中流に、竜門と呼ばれる流れの急な場所があるそうです。黄砂が、たくさん巻き上げられる地域かもしれません。滝のように激しい流れを登り切った鯉は、天に昇って龍になるという言い伝えがありました。聖書で龍と言えば、サタン(悪魔)のことです。サタンになりたいと思う人は、普通いませんね。しかし中国では龍は皇帝の象徴で、幸運を呼ぶ霊的な生き物だと信じられていました。鯉が龍になる伝説も、いわばサクセスストーリーのように受け止められました。これが、「登竜門」という言葉の由来です。江戸時代の町人たちが願ったのは、男の子が将来、中国の皇帝になることではなかったはずです。子供が健やかに成長し、その商売が繁盛することをおそらく願ったのでしょう。

 明治維新以降、鯉の滝登りは立身出世という考え方と結びついたようです。それまでは武士の子は武士、町人の子は町人という身分制の社会でした。身分の低い者は、どんなに優秀で頑張り屋でも、社会の指導的な立場につけませんでした。しかし身分制社会は終わり、職業を自由に選択できる新しい時代が始まりました。努力次第で高い地位につき、世の人々に認められる可能性が出て来たのです。その頃、海外から伝わった進化論的な考え方も、人々に影響を与えたようです。生存競争に勝ち抜くことが立身出世の秘訣だと、多くの人が考えるようになりました。力を尽くして滝を登り切り、天にまで昇ろうとしたのです。鯉のぼりには、子供の成長と立身出世の願いが込められるようになりました。

 ただ実際は、鯉は滝を登らないそうです。天に昇って龍になることも、もちろんありません。どんなに高い所まで登っても、エベレストの頂上でも、そこは地上に過ぎません。天は、はるか彼方です。天に上るには、改めて天の許可を得る必要があります。精一杯努力したら、許可されるのではありません。高い身分の家に生まれたら、自動的に天に上るのでもありません。イエス・キリストを信じる人だけが、天に上る許可を得られます。天に上っても、龍にはなりません。(安心して下さい!)人間として完成された、最高の姿になります。イエス様は、天に通じる門です。この門を通るために、滝を登って出世する必要はありません。ライバルを蹴落とす必要もありません。信じる人は誰でもこの門を通り、天に上ることができるのです。

「しかし、イエスは言われた。『子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。』」(マタイ19:14)

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