« 仕える人になる | トップページ | 天の衣を身にまとう »

2016年5月15日 (日)

天の王を心に迎える

 天皇皇后両陛下は今週、地震被害にあった熊本を日帰りで訪問するそうです。現在、天皇は82歳、皇后は81歳です。年齢にふさわしく、お二人の公務を減らす方向だというニュースもありました。毎日、さまざまな人の訪問を受けたり、あちこち訪問したり、超過密スケジュールのようです。それでもできるだけ早く被災地を訪れ、人々を励ましたいという心遣いには、頭が下がります。

 天皇が各地を訪問する習慣は、明治維新以降始まりました。それまでの天皇は都にいて、遠出することはほとんどなかったようです。京都に代わり東京が新しい時代の首都とされ、国王として尊ばれた明治天皇が移って来ました。それは、新時代を象徴する一大イベントでした。京都から東京まで、天皇は輿に乗って来たようです。周囲が御簾で覆われていて、天皇の姿は直接見えなかったようです。天皇の神秘性を高めるためだったと言う人もいます。沿道では、多くの人々がその一行を目撃しました。長年、徳川家の本拠地だった江戸・東京の人たちも、新時代の到来を実感したはずです。明治天皇はその後、日本各地を訪問しました。全部で97回にも及んだそうです。それらの訪問は、天皇を中心とする新しい国づくりの時代が来たことを人々に印象づけたに違いありません。

 第二次大戦後、昭和天皇も日本各地を精力的に訪問しました。敗戦後、天皇は退位することも一時考えたようです。しかし、自分の使命は日本全国を訪問して人々を慰め励まし、復興への勇気を与えることだと思い直しました。最初に訪問したのは1946年2月、川崎の肥料工場だったそうです。食料不足だったので、肥料の生産はたいへん重要でした。一列に並んだ工員たちに、天皇は話しかけました。「生活は苦しくないですか。食べ物はありますか。家はありますか。」午後は、横浜の仮設住宅を訪問しました。天皇が「これでは寒いでしょう」と聞くと、「はい、大変寒いです」と答えがありました。その時、天皇は「あ、そう」と言いました。「あ、そう」はその後、流行語になったそうです。9日後には、東京を見て回りました。日本橋の焼け跡、小石川の仮設住宅、そして早稲田の小学校での授業参観。新宿の伊勢丹デパート前では、「天皇陛下万歳」と叫ぶ人たちに取り囲まれました。訪問する先々で、同じような光景が繰り返されたそうです。原爆が投下された広島でも、天皇は熱狂的に歓迎されました。人々のこのような反応は、占領軍や海外の多くの人にとって全く想定外でした。「敗戦の責任が問われるはずの天皇が、どうして日本中で大歓迎されるのか。Why Japanese people?」彼らには、非常に不思議に思えたようです。天皇は、8年半かけて全国各地を訪問しました。敗戦の痛みに苦しむ人々を慰め、新たな復興の時代を迎えられるように力づけたのです。

 イエス様も3年半、イスラエル各地を訪問し、慰めと励ましのことばを人々に語られました。ユダヤ人たちは、何百年も続く外国の占領に苦しんでいました。異邦人の支配から解放される時を待ち続けていました。いつか国王が首都エルサレムに戻ること、そしてダビデ・ソロモン時代のように国が復興することを期待していました。必ず新しい時代が来るという預言のことばもありました。そしてとうとうイエス様が登場し、その時が来たと宣言されたのです。天から遣わされた王として、イエス様はエルサレムに入城されました。この「天の王」を、人々は熱狂的に迎え入れたのです。

 今日は、ペンテコステの日です。2000年ほど前のこの日、イエス様を心に迎え入れた人たちに聖霊が注がれ、天の御国の「復興」は弟子たちの手に引き継がれました。その働きは今、全世界に広がっています。イエス様を天の王として心に迎え入れる人は、誰でもこの新たな国づくりに加わることができるのです。

「そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」(マタイ21:9)

|

« 仕える人になる | トップページ | 天の衣を身にまとう »

礼拝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186781/63633880

この記事へのトラックバック一覧です: 天の王を心に迎える:

« 仕える人になる | トップページ | 天の衣を身にまとう »