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2016年8月

2016年8月28日 (日)

信仰により力を得る

 ニック・ブイチチさんは1982年、オーストラリアのメルボルンに生まれました。今年34歳になります。両親は、ユーゴスラビアからオーストラリアに来て牧師となり、教会を始めました。子供が3人与えられましたが、ニックは最初の子供でした。彼が生まれた時、両親は大きなショックを受けました。生まれつき手足がなかったからです。看護師が連れて来た時、お母さんはその子を見ることも、抱くこともできませんでした。しかし時間とともに、両親はその状況を受け入れるようになりました。ニックに手足がないことはきっと神様の計画なのだろうと、信じたのです。その後、生まれた弟や妹には、手足はちゃんとついていたからです。

 でも神様の計画が何なのか、なかなか分かりませんでした。ニックは、小さい頃から周りの人たちにじろじろ見られました。学校に入ると、いじめられました。つらい日々が続きました。両手足のない自分を、みじめに思いました。彼は両親の教会で育ったので、神様の愛のことは聞いていました。でも自分はなぜ生まれて来たのか、何のために生きるのか、全く分かりませんでした。どうして自分には手足がないのかと、神様に怒りをぶつけたこともありました。神様に愛されていないのではないかと思う時もありました。8歳の時、すでに人生を悲観していました。仕事も結婚もできないだろうと思いました。心は、次第に神様から離れて行きました。10歳の時、自殺を試みました。湯船につかって、顔をお湯の中に沈めました。でもその瞬間、両親がお墓の前で泣く様子が思い浮かびました。そして、自殺を思いとどまりました。

 転機が訪れたのは、15歳の時です。聖書を読んでいて、あることばに目が釘付けになりました。生まれつきの盲人を見て、弟子たちがイエス様にこう質問した箇所です。「この人の目が見えないのは、誰が罪を犯したせいですか。この人ですか。それとも両親ですか。」イエス様は、こう答えられました。「この人でも両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」この聖書箇所を読んだ時、ニックは神様から全ての答えをいただいたように感じました。ニックもその盲人も、自分がなぜハンディを負って生まれて来たのか分かりませんでした。でも神様はその理由をご存知であり、祝福の計画を持たれていたのです。そのことに気付いた時、ニックの心は解放されました。その後、大学を卒業し、不動産の会社に就職しました。4年前には日系人の宮原佳苗さんと結婚し、子供も2人与えられました。今は世界中を回って講演活動をし、神様の愛と希望を伝えています。

 ニックは、ずっとこう祈って来ました。「手足を下さい。奇跡を起こして下さい。」その祈りは、今のところ答えられていません。でも神様が手足を下さらなかったことに、今は感謝しているそうです。神様は、彼に奇跡を与えられませんでした。でも神様の計画は、ニック自身が他の誰かにとって奇跡となることだったのです。彼は今、神様の愛を信じています。その信仰により、彼は生きる力を得ました。他の人を愛する力を得ました。世界の至る所に行き、神の愛と希望を伝える力を得ました。イエス・キリストを信じる信仰により、私たちは神様からさまざまな力をいただくことができるのです。

「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒3:16)

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2016年8月14日 (日)

曲がった時代から救われる

 日本の夏は、怖い話が多くなる季節です。幽霊や妖怪、お化けなどの話が多く語られます。お化け屋敷にも人が集まります。いま多くの人が追いかけているポケモンも、モンスターならお化けの一種なのでしょうか。夜の公園に行って追いかけるくらいなら、ポケモン自体は怖くなさそうですね。ただ追いかけていて事故にあったり、熱中症で倒れたりしたら、その方が怖いかもしれません。

 夏に怖い話が多くなるのは、おそらくお盆の影響でしょう。日本では、死んだ人の霊がお盆に帰って来ると信じられて来ました。地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が里帰りするという信仰です。その時、礼儀を尽くしてお迎えしなければ、何か悪いことが起こると恐れられて来ました。そのためにお供えをしたり、迎え火や送り火をたいたりします。川に灯籠を流す場合もあります。家族総出で墓参りに行き、お墓の掃除もします。盆踊りも、先祖の霊を歓迎する行事です。賑やかな踊りは、地獄の苦しみを逃れた喜びを表現しているそうです。多くの人は、死者の霊が戻って来るというだけで恐れを抱きます。ましてや、下手をするとたたりがあるかもしれないと言われれば、恐れは増幅されます。このお盆の恐怖感が、夏の怖い話の背景にあるように思えます。

 夏は、戦争で亡くなった人の霊を慰める時でもあります。8月は毎年、広島や長崎で原爆犠牲者の慰霊式典が行われます。明日15日には、第2次大戦の戦没者の慰霊式典が武道館で行われます。これらの式典は、自治体や国の事業として行われるため、できるだけ宗教色を出さないようにしています。それでも「慰霊」という言葉自体が、日本の伝統的な信仰と深く関わっています。実際、広島や長崎で安倍総理が語った挨拶には、こういう言葉がありました。「原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。」原爆の犠牲になった人の冥福を祈るという言葉もありました。これらの言葉は、伝統的な信仰に基づいています。1)死者の霊がどこかに存在する、2)死後の世界に幸せな状態と不幸な状態がある、そして3)生きている人の祈りが死者の状態に影響を与える、という信仰です。宗教色を出さないはずの慰霊式典でも、実は日本の伝統的な信仰が言い表されています。

 亡くなった人を思い起こし、その死を悲しむのは、もちろん悪いことではありません。何か過ちがあれば反省し、2度と繰り返さないように決意するのは、良いことです。しかし、どこかの神社のように戦没者の霊を神として祀り、拝むなら、それは偶像礼拝です。日本の多くの人々は、祖先の霊が子孫を守り、繁栄をもたらすと信じて来ました。祖先の霊を敬い、神として拝む伝統がありました。残念ながら多くの人は、それが罪だと思っていません。天地創造の神を知らないからです。日本人の先祖は、バベルの地から長い旅を経て、東の果ての島々にたどり着きました。その間に、天地創造の神をすっかり忘れてしまいました。長い間、曲がった時代を過ごし、曲がっているのが当たり前になっているのです。

 本当に怖いのは、死者の霊や妖怪、お化け等ではありません。全てを滅ぼす権威を持つお方、天地創造の神です。このお方を知らずに滅びに向かうのも、怖いことです。ありがたいことに神様は、私たちを全て滅ぼそうとはしておられません。私たちを愛するため、救いの道を用意して下さいました。イエス・キリストを信じるなら誰でも、曲がった時代、滅びに向かう世界から救い出していただけるのです。

「ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい』と言って彼らに勧めた。」(使徒2:40)

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2016年8月 7日 (日)

新しい時代を築く

 日本の8月は、歴史と戦争について特に考えさせられる月です。71年前の8月、日本は連合国に無条件降伏しました。それは日本の国にとって、新しい時代の始まりでした。日本は明治維新以来、欧米の近代国家のような強い国を造ろうとして来ました。そうしなければ、自分たちも植民地にされてしまうという危機感がありました。急速に近代化を進め、植民地獲得戦争にも乗り出しました。その長い戦いが終わったのが、71年前です。人々は、戦いに疲れ果てていました。多くの人が戦死しました。東京は焼け野原となり、広島、長崎には原爆が投下されました。もう戦争はまっぴらだと思う人たちが、圧倒的多数でした。国全体が死んでよみがえるように、新しい国づくりを目指しました。新たに定められた憲法には、3つの大きな原則がありました。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。国民一人ひとりの命を尊重し、人権を守ろうとしました。一部の特権階級が自由を制限し、若者たちを好き勝手に戦地に送れない仕組みにしたのです。過去70年間は、この仕組みがうまく機能した時代でした。今後はどんな時代になるのか、注意深く見張りをし、祈って行く必要があります。

 日本がモデルとした欧米の近代国家は、宗教改革の後に誕生しました。その前の時代は、中世と呼ばれます。西欧では、カトリック教会が大きな力を持つ時代でした。全ての人が信者だったので、ローマ法王は社会全体に大きな影響力がありました。十字軍も、法王の呼びかけから始まりました。エルサレムをイスラム教徒から奪い返そうと呼びかけたのです。マルティン・ルターが登場し、宗教改革が始まった後は、プロテスタント教会が各地に生まれました。国王の信仰により、この国はプロテスタント、あの国はカトリックという具合に分かれました。キリストへの信仰により、各国民が一体感を持ちました。その後、各国は軍事的、経済的に力をつけ、西欧以外の世界に進出するようになりました。西欧から日本に初めて来たのは、カトリックのポルトガル人です。その後、プロテスタントのオランダ人たちが来ました。日本人が恐れたのは、後に黒船で来た米国人、英国人、フランス人、ロシア人たちでした。米国と英国はプロテスタント、フランスはカトリック、ロシアは正教会ですね。函館に行くと、当時、各国の人たちが開拓した教会が一つの地域に集まって建っているのを、今も見ることができます。

 明治維新の時代、日本の指導者たちは、欧米の国づくりの土台にキリスト信仰があることに気づきました。カトリックの国もプロテスタントの国も、国王や国民はイエス・キリストを信じていたのです。国が一つにまとまる上で、キリスト教会は大きな役割を果たしていました。実は国民主権、基本的人権、平和主義といった考え方も、聖書に影響を受けたものでした。日本人の中にも、国づくりの礎はキリストだと信じ、その教えを広めようとした人もいました。しかし大多数の指導者たちは、神道に基づく国づくりを目指しました。天皇は神々の子孫で、永遠に日本を治める天命があると信じていました。「主権は天皇にある。人権は天皇(と政府)が許す範囲に限る。この体制(いわゆる国体)を守るため戦争も行う」という考え方です。欧米の近代国家とは、国づくりの土台が全く異なっていました。

 最近は、終戦直後に人々が目指した新しい国づくりの思いが薄れつつあるようです。大多数の日本人は、人の命が創造主なる神から与えられたとは信じていません。人の命のために、キリストが自らの命を犠牲にされたことも信じていません。この信仰がないため、聖書に基づく原則もなし崩し的に捨て去される危険性が感じられます。天の王であるイエス様は、十字架と復活を通して、天の御国の新しい時代を築いておられます。私たちも新時代の御国づくりに加わってほしいというのが、天の王のご意向であり、お気持ちなのです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

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