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2016年9月

2016年9月25日 (日)

信仰の遺産を残す

 ユネスコでは1972年以来、世界遺産の登録を進めています。人類が共有すべき「顕著な普遍的価値を持つ」不動産などを登録し、保存する運動です。日本では文化遺産16、自然遺産4、計20か所が世界遺産になっています。最近は富士山や富岡製糸場、国立西洋美術館などが話題になりました。世界では現在、1052件の世界遺産があり、文化遺産は814件、自然遺産は203件だそうです。文化遺産の約半数はヨーロッパにあり、イタリアが51、スペインが45、フランスが42、ドイツが41。アジアで多いのは中国で、50件とのこと。日本の2.5倍ですね。日本はさらに9つの物件をリストアップし、世界遺産への登録を目指しています。その一つは長崎の教会群で、最近の報道では2年後の登録を目指すそうです。日本政府の推薦理由は、こうです。「我が国におけるキリスト教布教の歩みを示し…(中略)…顕著な普遍的価値を持つ可能性は高い。」キリスト教を拒否し続けて来た国が、このような推薦をするのは、ちょっと不思議な気がします。

 長崎の教会群の代表的建築物は、大浦天主堂です。1865年に建設された、現存する日本最古のキリスト教建築物だそうです。正式名称は、「日本二十六聖殉教者堂」。1597年に日本で最初に殉教した、26人のキリシタンにささげられた会堂です。殉教地の西坂に向かって立っています。処刑を命じたのは、時の天下人・豊臣秀吉。当時の京都奉行・石田三成に、京都・大坂に住むキリシタン全員を捕えよと命じました。「布教を禁じたキリスト教を広めている」という理由です。3000人余りのキリシタンの名簿が作られましたが、三成は犠牲者をできるだけ減らそうとしました。結局24名が捕えられ、左の耳たぶが切り落とされました。京都・大坂の市中引き回しの後、1か月かけて裸足で長崎まで歩かせられました。真冬の寒さと人々の罵声の中です。長崎はキリシタンが多かったため、見せしめの意味がありました。途中2名が加えられ、計26名となりました。日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人とポルトガル人が各1名。全て男性でした。

 長崎に到着した26人は2月5日の朝、祈りつつ西坂の丘を登りました。周囲には、4千人のキリシタンが見守っていました。目の前の長崎湾にはポルトガル船が停泊していて、祝砲を鳴らしました。26人は、それぞれの十字架の前で跪きました。彼らを縛り付けた十字架が一斉に立てられると、群衆からどよめきが起こりました。26人は「すべての国民よ、神をほめたたえよ」と賛美しました。リーダーのパウロ三木は、こう叫びました。「私は、キリストの教えを説いただけで殺されます。この上ない喜びで、神の大いなる恵みに感謝します。死を前にして、私は皆さんを欺きません。信じて下さい。人の救いの道は、キリスト教以外にはないと断言します。皆さんの迷いを私は正したいのです。」最年少の少年は、12歳のルドビコ茨木でした。処刑責任者の役人は憐れに思い、「信仰を捨てたら助けてやる」と彼に言いました。しかし彼の答えは、こうでした。「つかの間の命と永遠の命を取り替えるわけにはいきません。」13歳のアントニオは、涙を流していた両親をこう慰めました。「泣かないで。自分は天国に行くのだから。」彼らは、十字架上で「天国、天国」と叫びました。そして槍で両脇を突かれ、息絶えたそうです。

 特別な使命を全うした26人は、キリシタンたちの信仰を奮い立たせました。秀吉にしてみれば、全く逆効果でした。迫害はその後、300年近く続きました。その間、26人の雄姿は多くの人の励ましとなりました。そして今なお彼らの姿は、ステパノのような他の殉教者たちとともに、世界の信仰遺産になっているのです。

「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」(使徒7:59-60)

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2016年9月18日 (日)

チームで新境地を開く

 プロ野球は先日、広島カープがセリーグ優勝を決めました。私は北海道出身で、広島には一度も行ったことがありません。ですから、広島というチームにも馴染みがありません。ただ、1979年に広島が初めて日本一になった時の試合は、強く印象に残っています。その年、日本シリーズの相手は、近鉄バファローズでした。私は両チームとも関わりがなかったのですが、日本シリーズでは近鉄を応援しました。監督だった西本幸雄さんが好きだったのです。西本さんは弱小チームの近鉄を鍛え上げ、その年初めてパリーグ優勝を果たしました。3対3のタイで迎えた日本シリーズ最終戦。広島1点リードの9回裏。近鉄がノーアウト満塁のチャンスをつかみました。マウンド上は伝説のサウスポー、江夏豊投手。私は近鉄逆転サヨナラ優勝かと思い、TV中継をかじりつくように見ていました。ところが江夏投手は、後続をみごと0点に抑え、広島が日本一になったのです。この9回裏の攻防は「江夏の21球」として、後にノンフィクションやTVドキュメンタリーにも描かれました。

 私はその時、知りませんでしたが、弱小チームを鍛え上げるという点では、広島も同じだったようです。広島は、特定の親会社を持たずに球団を運営して来ました。このため、お金をたくさん出して実力のある選手を集めることができません。そこで、まだ注目されていない将来性のある若い選手を集めるそうです。そして猛練習で鍛え上げ、育成するそうです。今年活躍した選手たちも、プロ入り前から注目されていた人は少なかったようです。メジャーリーグで活躍したベテランの黒田博樹投手は昨年、古巣の広島に戻って来ました。彼は高校時代、控え投手でした。大学に進んでからも、プロのスカウトはノーマークだったそうです。広島に入団し、何年もかけて力を蓄えました。自分を見い出し、育ててくれた広島に深く恩義を感じて来たそうです。黒田投手は、阪神から復帰した新井貴浩選手とともに、チームの要となりました。今年は、さらに成長著しい若手選手がフル回転し、圧倒的な強さで優勝を果たしました。「神がかり的な活躍をする」という意味の「神ってる」という新語まで生まれました。

 モーセも、弱小チームを鍛え上げました。敵を見て逃げるようなチームを、40年かけて常勝軍団にしたのです。シナイ半島の荒野が、彼らのキャンプ地でした。モーセは、外国から力のある選手を集めませんでした。誰も注目しないような奴隷の子供たちを、神様のみことばに従って厳しく育成したのです。要となったのは、ベテランのヨシュアとカレブでした。彼らは若い頃から、敵を見て逃げようとしませんでした。どんな戦いでも、神様が必ず勝利を与えて下さると信じていました。彼らの信仰は、若手の模範となりました。そしてユダヤ人たちは「神ってる」活躍をし、約束の地を手に入れたのです。

 ダビデも、弱小チームを鍛えました。彼はサウル王に追われ、指名手配になりました。洞窟に隠れていると、どこにも行き場のない人たちが集まって来ました。400人もです。そんなに集まって、ダビデは困ったかもしれません。どこに行くにも目立ちすぎます。それでもダビデは彼らを追い返さず、何年もかけて訓練しました。外国との戦いも経験させました。すると彼らは、後の王権を支える常勝軍団となったのです。ダビデのチームは、「神ってる」戦いによりエルサレムを手に入れました。そこは、彼らの国の首都になりました。

 イエス様も、弱小チームを常勝軍団に鍛え上げました。3年半かけて、無学な田舎者たちを訓練しました。聖霊の力を注ぎ、力強い証人として全世界に送り出しました。彼らは「神ってる」活躍により、新境地を次々に開拓して行ったのです。

「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」(使徒6:7)

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2016年9月11日 (日)

人よりも神に従う

 NHKの大河ドラマは、今年の作品が55作目になるそうです。私は、全てではありませんが、子供の頃からずいぶん多くの作品を視て来ました。せっかく受信料を払っているので、朝ドラと大河くらいは出来るだけ視ようと思っています。日本の歴史的人物を扱ったドラマは、脚色されているとはいえ、いろいろ勉強になります。クリスチャンが主人公の場合は、励まされることもあります。これまでの最高平均視聴率は1987年の「独眼竜正宗」で、39.7%。主人公の伊達政宗を渡辺謙さんが演じました。ちょうど、私と妻が結婚した年です。新婚旅行は、式を挙げた札幌から所沢の新居まで、海を越えての大旅行でした(笑)。途中、仙台に立ち寄り、伊達政宗の銅像を見て来ました。政宗君というキャラクターのついた、コースターとランチョンマットも記念に買って来ました。

 今年の大河ドラマの主人公は、真田信繁です。堺雅人さんが演じています。信繁は豊臣家の家臣として、最期まで義を貫く生き方をしました。それは、上杉家の人々の影響だと言われています。信繁は若い頃、人質として上杉家に送られました。そこで、自分の家との大きな違いにカルチャーショックを受けたという話です。真田家は、自分たちが生き残ることを最優先にしました。そのために、どんな手でも使いました。しかし上杉家では、義を重んじました。人質にも、友好的な国から来たお客さんのように接しました。上杉家の家来のように給与も支給し、自由な行動を許したそうです。上杉の繁栄を築いた上杉謙信は、義を大切にする人でした。謙信以降、義を重んじるのが上杉家の家訓となりました。真田信繁は、上杉家で義の大切さを学び、それが彼の生涯に大きな影響を及ぼしたのです。

 豊臣家の家臣だった徳川家康は、秀吉の死後、事実上のクーデターを起こしました。多くの人々は生き残るため、実力者だった家康の側につきました。しかし真田信繁は、最期まで豊臣家への義を貫きました。信繁の実力を認めた徳川家の人々は、徳川方に寝返るように何度も説得しました。しかし信繁は、こう言ったそうです。「恩義を忘れて私欲をむさぼるような者は、人とは言えない。どんな条件で誘われても、自分は裏切り者にならない。」豊臣家最期の戦いで、信繁も命を落としました。49歳でした。その生き方は多くの人に感銘を与え、徳川の時代になった後も語り継がれたそうです。

 ユダヤ人たちは、神様から多くの恩義を受けて来ました。神様は、全人類の代表としてアブラハムを選ばれました。彼とその子孫を通して、全世界の人々を祝福すると約束されました。神様はモーセを選び、奴隷だったユダヤ人を解放されました。荒野で40年間訓練し、約束の地に導き入れました。彼らが助けを求める度に、神様は「士師」と呼ばれたリーダーを遣わして、助けられました。王がほしいと彼らが言うと、サウルやダビデを王に選ばれました。ソロモン王の時代には、彼らに平和と繁栄を与えられました。にもかかわらず、ユダヤ人たちは義を貫きませんでした。受けた恩義を忘れ、神様を裏切り続けました。ユダヤ人だけはありません。全世界の人々が、創造主なる神様を裏切る生き方をしていたのです。

 イエス様は、私たちに義を貫く生き方を教えて下さいました。創造主なる神様から受けた恩義を、私たちに思い出させて下さいました。周りの空気に流されず、命をかけて義を貫く模範を示して下さいました。イエス様を信じ、その教えに従う人は、神様への義を貫く生き方ができるのです。

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」(使徒5:29)

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2016年9月 4日 (日)

みことばを大胆に語る

 神のみことばは、伝えても喜ばれないことがよくあります。みことばを語って迫害されることも、珍しくありません。ヨセフはある日、夢を見ました。彼が家族のリーダーになる夢でした。それは、神様からのメッセージでした。将来起こる出来事の予告でした。でもそのメッセージを伝えても、家族は喜びませんでした。父には、「そんなこと言うもんじゃない」と叱られました。(「お前にはまだ早い」ではなかった!)兄たちは、ヨセフがますます憎たらしくなりました。そして、彼を奴隷として売り飛ばしました。

 エジプトに行ったヨセフは、そこでも神のみことばを伝えました。ファラオが見た夢の意味を解き明かしたのです。それは、神様から与えられた重要なメッセージでした。「7年の豊作の後に、7年の飢饉が来る。だから今から災害対策をしなければならない。」エジプトの人々は、喜んでこのみことばを受け入れました。そして、たいへんな飢饉を乗り越えました。でも、彼らがみことばを喜んだのはその時だけです。ヨセフの死後、エジプト人はすぐ神のみことばを忘れてしまいました。ヨセフがエジプトに呼び寄せたユダヤ人たちは、覚えていたはずです。後の世代に語り継いで、ヨセフはレジェンドとなりました。でも、その話をエジプト人にしても、相手にしてもらえなかったかもしれません。ユダヤ人は400年間、奴隷として苦しめられました。男の赤ちゃんは、皆殺しにされそうでした。もし彼らが奴隷のままエジプトで死に絶えたら、どうなったでしょう。語り継がれた神のみことばも、古代遺跡の一部として埋もれていたかもしれません。

 彼らをエジプトから解放したのは、モーセです。モーセも、神のみことばを人々に伝えました。しかし、みことばを語っても必ずしも喜ばれませんでした。ファラオは腹を立て、ユダヤ人たちをますます苦しめました。苦しめられたユダヤ人たちは、お前のせいだとモーセに文句を言いました。それでもモーセは、めげずにみことばを語り続けました。そしてユダヤ人は、なんとかエジプトを脱出できました。ところが彼らは、モーセに文句を言い続けました。「エジプトの方が良かった。ここには水がない。食べ物もない。カナンには行きたくない。」「なんであんたが、いつまでもリーダーなんだ」という人もいました。モーセがいない時に勝手に金の子牛を作り、拝む人たちもいました。批判的で反抗的な大勢の人々を40年も導くのは、たいへんな仕事でした。でもモーセは、圧倒的大多数の空気に決して流されませんでした。(ポピュリズムではなかった!)彼は辛抱強く、みことばを語り続けたのです。

 その後、多くの預言者たちも、みことばを語って迫害を受けました。エリヤは、王妃イゼベルに殺されそうになりました。エレミヤは、泥の穴の中に沈められました。ダニエルは、ライオンの穴に投げ込まれました。バプテスマのヨハネの首は切られ、お盆の上に載せられました。そしてイエス様はムチ打たれ、十字架につけられました。十字架の前にイエス様は、何と言われたでしょうか。弟子になれば、あらゆることが全て順調だと言われたでしょうか。何の迫害もないと言われたでしょうか。そうではありません。「この世では患難がある。」「わたしについて来たいなら、自分の十字架を負ってついて来なさい」と言われました。また「迫害される人には、天に大きな報いが用意されている。」「わたしはすでに世に勝利した」とも言われました。私たちがみことばを語る時、イエス様がともにいて下さいます。大胆に、忍耐強く語る力を与えて下さることを感謝します。

「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」(使徒4:29-30)

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