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2016年10月

2016年10月30日 (日)

時代の変化を好機とする

 今、世界で最も有名な英語のフレーズは、"I have a pen, I have an apple."かもしれません。YouTubeに投稿された動画は世界中で視聴され、3億回以上再生されたとも言われています。私は、最初に習った英語のフレーズが何だったか覚えていません。おそらく自己紹介だったと思います。でも今の子供たちは、"I have a pen."を最初に覚えるかもしれませんね。ピコ太郎さんは、YouTubeによる時代の変化をチャンスにすることができました。

 私が初めて英語を教わったのは、ルーテル教会の英語教室でした。ネイティブの若い女性の先生でした。宣教師だったかもしれません。その頃信仰を持ったら、私はルーテルの牧師になった可能性もあります。明日は、宗教改革記念日です。マルティン・ルターが始めた改革から499年です。来年は500周年で、多くの催しが計画されているようです。明日からスウェーデンで行われる記念行事は、ルーテル教会がカトリックと合同で開催します。ローマ教皇フランシスコも出席予定です。先日、ドイツのルーテル教会員1000人がバチカンを訪れ、教皇と面会しました。教皇は、こう言ったそうです。「今日、カトリックとルター派のキリスト教徒は分裂から一致への道をともに歩んでいることを神に心から感謝いたします。…最も助けを必要としている人々への奉仕において、カトリックもルター派もすでに一つになっています。神のいつくしみがわたしたちを一致させるのです。」

 教皇フランシスコは、史上初のイエズス会出身の教皇です。イエズス会は、イグナチウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルが設立した男子修道会ですね。ルターが改革を始めた17年後の1534年に設立されました。当時、欧州各国にプロテスタント教会が拡がりつつありました。その運動を非難し、抑え込もうとするカトリックの動きもありました。そうした中、イエズス会はカトリック内部の改革と刷新を目指しました。宗教改革の初期、プロテスタント教会は世界宣教に向かいませんでした。生き残りが精一杯だったのかもしれません。しかしイエズス会は、最初から世界宣教のため地の果てまで行くことを目指しました。ザビエルはインド、マレーシア、インドネシアで宣教し、日本にやって来ました。来日は、イエズス会設立15年後の1549年です。日本ではその後、キリシタンが急速に増加しました。50年間で60万人となり、人口の2.4%に達したそうです。今は1%以下ですから、比率では2倍以上です。イエズス会は、アジア以外にアフリカや南北アメリカ大陸でも宣教を進めました。カトリック教会は、宗教改革による時代の変化を世界宣教のチャンスとしたのです。ルーテル教会が宣教師を送り始めたのは、それから100年以上後のことです。日本に来たのは、300年以上たってからでした。

 神様は、時代の変化を通して私たちにチャンスを与えられます。エジプト一帯の大飢饉は、奴隷のヨセフが指導者となり、ユダヤ人難民が増え広がるチャンスになりました。荒野での生活は、彼らが霊的に訓練されるチャンスになりました。約束の地の攻略は、主の勝利を味わうチャンスとなりました。約束の地から全世界に散らされたことは、イスラエルの神の教えを世界中に伝えるチャンスになりました。ローマ帝国は広大な地域に平和を与え、道路を整備し、ギリシア語という共通語をもたらしました。ローマの支配は、帝国内の多くの人々に福音を伝えるチャンスになりました。アンテオケに来た弟子たちも、ギリシヤ人に伝道することができました。神様は、全てのことを用いて益とされます。私たちを祝福するため、時代の変化をも好機として用いられるのです。

「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(使徒11:20-21)

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2016年10月16日 (日)

人種や民族の壁を越える

 先日、銀座でリオ五輪・パラリンピック選手団のパレードが行われました。80万人が集まったそうです。今年の五輪では、いわゆるハーフの選手の活躍が目立ちました。ベイカー茉秋選手は、柔道で金メダルを獲得。父はアメリカ人、母は日本人です。ケンブリッジ飛鳥選手は、400メートルリレーで銀メダルを獲得。父はジャマイカ人、母は日本人です。メダルまで届きませんでしたが、ウォルシュ・ジュリアン選手は陸上競技に出場しました。父はジャマイカ人で母は日本人。テニスのダニエル太郎選手は、父はアメリカ人で母は日本人です。今後も、ハーフで活躍する選手はますます増えそうです。陸上のサニブラウン選手や野球のオコエ瑠偉選手、テニスの大坂なおみ選手などが注目されています。

 実はこれまでも、ハーフの五輪選手はいました。アテネ五輪のハンマー投げで金メダルをとった室伏広治さんも、ハーフです。ミドルネームはアレクサンダー。父は日本人、母はハンガリー系ルーマニア人です。父の重信さんもハンマー投げ選手で、息子が記録を破るまで日本記録保持者でした。広治さんはアテネ五輪などの活躍が認められ、天皇陛下から紫綬褒章を授与されています。北京五輪で野球の日本代表だったダルビッシュ有選手も、ハーフです。父はイラン人で母は日本人。日本ハムファイターズで活躍し、今はメジャーリーグです。こうした先輩たちの活躍もあり、五輪競技でハーフの選手が活躍するのは、珍しくなくなりつつあります。外国出身で日本国籍を取得し、日本代表となった人もいます。サッカーのラモス瑠偉さん、バレーボールの白井貴子さん、ソフトボールの宇津木麗華さんなどです。スポーツの世界では、人種や民族の壁がどんどん薄くなりつつあるようです。

 スポーツ以外の世界でも、最近はハーフや外国人の活躍が目立ちます。テレビにも、そのような人たちがたくさん登場します。しかし、中には快く思わない人たちもいるようです。昨年、ミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナさんは、バッシングを受けました。彼女は父がアフリカ系アメリカ人、母が日本人。ハーフとして初めて日本代表になりました。コンテストに応募したのは、友人の死がきっかけでした。その友人もハーフでしたが、自分は誰なのか悩み、自殺しました。エリアナさんは「ハーフや人種への偏見をなくしたい」と思い、出場しました。ところが日本代表に選ばれると、ハーフの人はふさわしくないという批判がたくさんありました。今年のミス・ワールド日本代表には、吉川プリアンカさんが選ばれました。彼女も父がインド人、母が日本人のハーフです。エリアナさんが日本代表になったことに勇気づけられたそうです。彼女の選出にも批判的な人たちがいるそうです。日本代表は、純粋な日本人であるべきだという意見です。人種や民族の壁は、まだまだ日本に残っています。

 イエス様は、全ての人種や民族の壁を取り払われました。神の国は、ユダヤ人だけのものではありません。日本人と関係のない、外国人の国でもありません。イエス・キリストを信じるなら、人種や民族に関わりなく神の国の国民と認められます。どんな人種・民族出身でも神の国の代表とされ、その素晴らしい恵みを世界に伝えることができるのです。

「そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。』」(使徒10:34-35)

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2016年10月 9日 (日)

世界を変える一歩を踏み出す

 先週、大隅良典さんがノーベル医学・生理学賞を受賞しました。記者会見で大隅さんは、このように発言しました。「研究者としては、この上もなく名誉なことだと思っています。ここ数年、思いもかけずいろいろな賞をいただきましたが、ノーベル賞には格別の重さを感じています。ノーベル賞は、少年時代にはまさしく『夢』だったように記憶しています。」6年前、ノーベル化学賞を受賞した根岸栄一さんは、当時こう発言しました。「50年間抱き続けた私の夢が実現した。若者はみんな大きな夢を持つべきだ。大きければ大きいほどいい。」根岸さんは、「夢を持ち続けよう」という本も書いています。2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、「弟子がノーベル賞をとること」が夢だったそうです。その夢は、昨年かないました。弟子の梶田隆章さんが、同じ賞を受賞したからです。ノーベル賞は、多くの科学者たちの夢となって来ました。科学の発展に、大きな貢献をして来たと言えるでしょう。

 ノーベル賞はご存知の通り、アルフレッド・ノーベルの遺言により創設されました。彼は1833年、スウェーデンのストックホルム生まれです。8人兄弟で4人目の男の子でした。子供の頃は貧しく、食べ物が十分にありませんでした。そのせいか、成人したのは4人の男の子だけだったそうです。父は発明家で、機械や爆発物を製造する会社を経営していました。アルフレッドは、小さい頃から父の事業に関心があったようです。父から爆発物について学び、会社を手伝うようになりました。ニトログリセリンの安全な製造方法や使用方法について、深く研究しました。そして、33歳の時にダイナマイトを発明しました。ダイナマイトは50カ国で特許を取得、100か所以上の工場で生産されました。世界中の鉱山や土木工事で使われるようになりました。数多くの戦争でも使用されました。アルフレッドはダイナマイトにより、一躍世界の大富豪の一人となりました。

 54歳の時、兄が亡くなりました。ある新聞はアルフレッドと間違い、こう報道しました。「死の商人、死す。」「可能な限り最短時間で、かつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した。」これを読んで、アルフレッドは大きなショックを受けました。死んだ後、自分はどう評価されるのか気になり始めました。これがきっかけとなり、彼は遺書にこう書き残しました。「遺産の94%を使って、新たな賞を創設してほしい。国籍や男女の隔てなく、物理学、化学、医学、文学、そして平和の推進に功績のあった人をたたえるために。」アルフレッドは兄の死の9年後、63歳で亡くなりました。彼の死後、その遺志を継いだ人たちは準備を進めました。そして死後5年たった1901年、「ノーベル賞」と名付けられた新たな賞の最初の授与式が行われました。その日以来、授与式はアルフレッドの命日である12月10日に行われています。アルフレッド・ノーベルは「死の商人」ではなく、世界中の人に夢を与える人になりました。彼が死を前にして踏み出した一歩は、その後の世界を変えたのです。

 聖書にも、世界を変える一歩を踏み出した人たちが記されています。アブラハムは故郷を後にし、世界中の人を祝福する一歩を踏み出しました。モーセは荒野を後にし、聖なる国民を救う一歩を踏み出しました。ヨシュアはヨルダン川を渡り、約束の地への一歩を踏み出しました。ルツは亡き夫の故郷に行き、ダビデ王家を生み出す一歩を踏み出しました。エステルは命懸けでペルシア王に拝謁し、ユダヤ人を救う一歩を踏み出しました。そしてイエス様は天から地に下り、人類を救う一歩を踏み出されました。イエス様の導きに従う人は、全世界の王とともに世界を変える一歩を踏み出すことができます。教会を迫害していたサウロ(後の使徒パウロ)も、キリストと出会い、ダマスカスの町へ一歩踏み出した時、世界を変える旅が始まりました。

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒9:5-6)

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2016年10月 2日 (日)

ピンチをチャンスに変える

 先月、男性で世界最高齢の方が113歳の誕生日を迎えました。ユダヤ人のイスラエル・クリスタルさんです。以前、最高齢だった日本人の小出保太郎さんは、今年1月に亡くなられました。女性の最高齢は、116歳のイタリア人の方だそうです。イスラエルさんは、1903年ポーランド生まれ。両親ともユダヤ人で、父は律法学者でした。小さい頃からユダヤ教の教えにより育てられました。7歳の時、母が亡くなりました。11歳の時、第1次世界大戦が始まり、父は戦死しました。イスラエルさんはその後、お菓子職人となり、25歳で結婚。2人の子供が生まれました。37歳の時、ドイツ軍がポーランドを占領。イスラエルさん夫婦は、アウシュビッツに送られました。妻はそこで死去。子供たちは、ユダヤ人ゲットーで亡くなりました。イスラエルさんは強制労働に耐え、なんとか生き延びました。解放された時、体重は37キロだったそうです。戦後、再婚し、また2人の子供が与えられました。47歳の時、再建されたイスラエルの国に移住。引退するまで、家族とともにお菓子の店を経営しました。

 イスラエルさんが世界最高齢になった時、多くの人は驚いたようです。通常、ホロコーストのような過酷な体験は、心に大きな傷を残します。いわゆるPTSDで、さまざまな症状を引き起こします。恐怖感や無力感、悪夢、フラッシュバック、怒り、睡眠障害、うつ、不安障害など。寿命が短くなるリスクもあるそうです。普通は長生きしそうにないですね。ところがある研究によると、ホロコーストを生き延びた人はそうでない人に比べ、逆に寿命が長いそうです。トラウマをバネに、以前より強くたくましく生きるとのこと。何が幸いするか分かりません。ヒトラーは56歳で自殺しました。でもイスラエルさんは、その倍以上生きています。アウシュビッツでの人生最大のピンチは、長生きするチャンスになったのです。彼自身は、こう言っています。「長寿の秘訣は分かりません。全て神のみこころですから。私よりも賢く、体が丈夫で、ハンサムな男性は他にいました。ただ私は、立ち直る力には自信があります。私たちにできることは、出来る限り懸命に働き続け、失ったものを再構築することくらいです。」

 ユダヤ人は、何度も絶滅の危機を乗り越えて来ました。アブラハムは長い間、子供がいませんでした。100歳になってやっと、約束の子が与えられました。ヤコブの家族は、ききんで飢死しそうでした。でも死んだはずのヨセフの助けにより、エジプトの食料にありつきました。しばらくエジプトにいると、今度は男の赤ちゃんが皆殺しにされそうでした。助産師たちが王よりも神を恐れたため、赤ん坊は助かりました。約束の地を手にした後、何度もユダヤ人たちは神様から離れ、国が滅びそうな危機を迎えました。彼らが悔い改める度に、神様は助けを送られました。しかしついに国が滅び、人々は世界中に散らされました。エステルの時代には、ペルシア帝国内の全てのユダヤ人が根絶やしにされそうでした。しかし神様は彼らを危機から救い、約束の地に帰して下さいました。神様は、ユダヤ人をあらゆるピンチから救われました。ピンチを、ご自身の栄光を現すチャンスに変えられたのです。

 イエス様も、ピンチをチャンスにするのはお手の物です。十字架のピンチを復活のチャンスに変えられました。弟子たちも、迫害のピンチを宣教のチャンスに変えました。エルサレムから追放されたピリポはサマリヤで福音を宣べ伝え、多くの人がイエス・キリストを信じました。ピンチをチャンスにするのは、神の国のお家芸です。イエス・キリストを信じ、アブラハムの子孫とされた人は、ピンチをチャンスに変える神の奇跡をともに体験できるのです。

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。」(使徒8:5-6)

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